日露戦争が変えた世界史と「武士道」
                                         平間洋一
はじめに
(1)歴史は当時の価値観で、100年の視点から地球儀的に、日露戦争から冷戦勝利まで
日露戦争、大東亜戦争当時の欧米人の人種観
@インディオとアポリジニの状況
Aマリア・ルース号事件(明治5年:中国人の奴隷船事件)日本:中国人奴隷を開放
 ・大韓帝国の併合は当時は常識 『社会進化論』ダウニズムの時代の常識
B人種差別:原爆投下の世論調査(『フォーチュン(1945年12月号)』)
投下を肯定意見  53.5% もっと使う機会があれば良かった 22・7%
投下反対意見 4.5%
(2)日露戦争の意義・影響
@黄色人種・非キリスト教国家が白色人種・キリスト教国家に勝った戦争
 人種差別(人種平等)と民族国家の独立
Aアジア・アラブ・アフリカに民族国家の独立、人種平等への烽火となった戦争
(イスラム圏に対日期待と共同作戦の夢を持たせた戦争)
Bロシアに共産主義国家を成立させる衝撃を与えた戦争
C第一次世界大戦の遠因となった戦争(満州進出を阻止されバルカンに)
D第二次世界大戦の遠因となった戦争←西欧の反撃

T. 日露戦争:世界史に与えた第1の衝撃
  有色人種・被圧迫民族の人種平等と民族国家独立を覚醒
1.日露戦争がアジアの民族独立に与えた影響→アジア主義
(1)中国への影響
・孫文・辛亥革命により中華民国を建国(中国・台湾の建国の父))
(2)ベトナムへの影響
・ファン・ボィ・チャウ(ベトナムの民族独立運動の英雄・1905年・来日)
 「日露戦争は私たちの脳裏に新しい世界を開かせた」
・ベトナム王族のコンデ公の亡命(1905年に来日)
・1907年:ファン・ボィ・チャウ⇒東遊運動(留学生200-300名)
・1905年:トンキン義塾創設←慶応義塾に感銘(ファン・チャウ・チン)
(3)インド・ビルマへの影響
・ジャワハルラル・ネルー首相「日本の勝利は、アジアにとって偉大な救いであった」。
・ビルマ:バーモウ首相「歴史的にみれば、日本の勝利は、アジアの目覚めの発端、またはその発端の出発点とも呼べるものであった」。
・自尊心と自信・日本に学べ→国産品愛護、自治要求、国民教育→反英独立運動
(4)フィリピンへの影響
日本への過大期待⇒狂信的な宗教運動コロム運動→アメリカの過度な対日警戒心

2.日露戦争がアラブ・回教社会に与えた影響
 ○民族国家の独立運動とパン・イスラム運動の高揚(日本と協力し西欧に対抗)
パン・イスラム主義→ツラン主義←興亜主義(大アジア主義)
  大アジア主義=ユーラシア民族(ウイグル・チベット・トルコ・トルキスタンなどとの連携)
(1)エジプトへの影響→エジプトの近代化・独立運動を高揚
 @ハーフィーズ・イブラヒーム「日本の乙女(Ghada al-Yaban)」
 Aムスターファ・カイール『昇る太陽』(日本を賞賛、日本に学べ)

(2)レバノンへの影響
  レバノンの近代化・独立運動を昂揚→教科書に「日本の乙女」
(3)イランへの影響→『ミカド・ナーメ(天皇の書)』明治天皇を賞賛
(4)トルコへの影響→トルコ:トルコ青年党→ケルマ・アタチュルクのトルコ革命


3.日露戦争がヨーロッパ諸国に与えた影響
○被圧迫国家の自治拡大と独立、共産主義政権の誕生
(1) ロシア革命と共産党政権の樹立→ → 国際共産主義(コミンテルン)
 ・旅順陥落直後には首都サンクトペテルブルクで、「血の日曜日」事件
・国際共産主義→コミンテルンの誕生
(2)ポーランドの独立→ピウスッキ来日(ポーランド独立後最初の大統領)
(3)フィンランドの独立を加速
  マイネンハイム大統領の独立戦争と日露戦争の体験
(4)ドイツ(黄禍論とヒトラーの感激)
ヒトラー「日本海海戦の敗北のニュースにクラスの総てが落胆したが私は歓声を上げた。それ以来、私は日本海軍に対して特別な感情を持った」→日独伊三国同盟→開戦→敗北
(5)米国に与えた影響
@黒人の人権確立運動とアフリカ民族の独立運動
 ・日露戦争時の黒人の日本応援歌・アーチバル・グリンケの「偶像破壊者」
  「行け、行け、黄色い小さな男たちよ。そして、ロシアを征服せよ。
   天罰を加えるまでは、その剣をそばに置くな
   汝はロシアを投げ飛ばせ。 巨大な地球のホコリを、欲望の塊のロシアを投げ飛ばせ」
・黒人運動家(アフリカ開放の父)ウイリアム・デ・ボイスの誕生(日露戦争の衝撃)
 →アフリカの民族運動に飛び火→1919年に最初の凡アフリカ会議を開催
A人種差別の黄禍論と門戸解放・機会均等の海軍モンロー主義
・軍事増強に黄禍論を利用:ホーマー・リーの扇動⇒『無知の勇気』
・海軍主義者(マハン)の扇動→排日・反日・脅日へ 

U.大東亜戦争:世界史に与えた第2の衝撃

・大東亜戦争は文明史的にはモンロー主義、共産主義とアジア主義の戦争 
・レオン・トロッキーの「対日・米ソCracker(クルミの殻割器)論」の戦争
1.3つのイズムから見た大東亜戦争            
(1)米国=天啓宗教文明の「神の摂理」と海軍モンロー主義
・天啓宗教文明(キリスト教)の「神の摂理」と社会ダウニズム思想
・門戸解放・機会均等とモンロー主義が合体した覇権確立の海軍モンロー主義
(2)ソ連=国際共産主義運動(スラブ・メシア教的覇権主義)
(3)日本=アジア主義(天照大神(天皇)を家長とした「八紘一宇」の大家族主義)
・世界的:ラディヤード・キプリング「白人の重荷」と徳富蘇峰「黄人の重荷」の戦争

2.大東亜戦争と民族国家の独立
(1)アジアの占領中の民族教育
 自治の推進、民族教育、現地語の教育(インドネシア、フィリピンなど)
(1)湘南・マラヤ興亜訓練所:1080名
(2)日本留学(南方特別留学生):大学や陸軍士官学校で教育したアジア人の人数:160名
(3)国民軍の創設
 ・インドネシア郷土防衛義勇軍(3万5000) ビルマ防衛軍(4000から5万5000)
 ・インド国民軍(3万5000) スマトラ義勇軍(5000) マカピリ(6000)
(4)大東亜会議の開催と大東亜宣言の採択→アジアの反撃→バンドン会議(1955年)
・「大西洋憲章」→「国際連合憲章」に引き継がれる
・ビルマ初代首相バ・モーの「大東亜会議」の評価
  「日本の日露戦争の勝利は、アジアの目覚めの発端、またはその発端の出発点であった」

V 冷戦と民族国家の独立→民族解放とコミンテルンの功罪と日本の貢献
1.冷戦とコミンテルン
@冷戦時に民族国家の独立闘争を支援
A破壊と争乱と独裁国家の誕生(権力闘争→暗殺・流刑・亡命・難民)
・虐殺数:ソ連2000万人、中国6500万人、朝鮮・カンボジャ200万人
ベトナム・東欧100万人全世界で1億人
・中国:クルトワ:6500万人、何応欽:3000万人、文化大革命300万人
 B功罪:民族独立運動の支援と独裁国家(権力闘争→暗殺・流刑・亡命・難民)
(2)大東亜戦争はアフリカ・アラブ民族の独立心を覚醒、冷戦により独立を実現
・米国の黒人の人権運動・アフリカの独立運動を加速
黒人兵の参戦→(終戦後に)市民権運動(米国の黒人:1400万・1947年)
・1950年:対日講話会議→国際連盟規約→人種平等の実現
@1960年:アフリカ独立の年
A1975年:インデイアン自治法案の可決
 B1988年:日系人への補償「市民自由権制定」
・国連の動き→1971年:国連「人種主義および人種差別と戦う行動の10年」を可決

2.日露戦争100年の総括
(1)日露戦争百年の総括―アジア主義の敗北と人種平等の勝利
・日本の近代史100年は「人種差別撤廃と有色人種国家独立への苦闘の100年」
@人種平等を実現
Aアジア・アフリカ・アラブ・東欧諸国の独立を達成
(2)日露戦争90年後の敗者(米英ソ連)
@日露戦争50年後の大東亜戦争の評価(歴史学者アーノルド・トインビー)
「日本人が歴史に残した功績の意義は、西洋人以外の人種の面前において、アジアと
アフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間にいわれたような不敗の神では
ないことを明らかにしたことである」(『オブザーバー』紙(1956年10月29日)
A半世紀後(朝鮮戦争勃発1年後の米国の反省)(米外交評論家ジョージ・ケンナン)
「アジアにおけるわれわれの過去の目標は、今日表面的には殆んど達成されたということは皮肉な事実である。逐に日木は中国大陸からも、満州および朝鮮からもまた駆逐された。これらの地域から日本を駆逐した結果は、まさに賢明にして現実的な人々が、終始われわれを警告した通りのこととなった。今日われわれは殆ど半世紀にわたって、朝鮮および満州方面で日本が直面しかっ担ってきた問題と責任を引継いだのである」ジョージ・ケナン『アメリカ外交50年』岩波書店、1952年)
B1世紀後(冷戦崩壊後の敗者は米国)(英サセックス大学ソーン教授)
「日本自身は一時あのように落ちぶれたが、高価で無駄な軍事力増強の道を避け、かつて剣によって確保することのできたものよりもはるかに大きく、かつ永続的な富と力を得ることができた。米国は1941年には、使命感に燃え………中国の側に立つことになったが、その後「目覚めた」新中国との関係は、すぐに厳しい敵対関係に変わっていった。……戦争の結果、そのような時がきたと信じるようになった米国 ― 1945年には極東戦争のまぎれもない「勝利者」だった米国、その米国が一九七〇年代にはある意味では、長期にわたる最大の「敗者」と見られるようになったのである。
サセックス大学ソーン教授『太平洋戦争とは何だったのか』草思社、1989年)
(3)日露戦争90年後の勝者(日本)、100年後の敗者(日本)、勝者は中国
@アジア主義の敗北と人種平等の勝利
・日本の近代史100年は「人種差別撤廃と有色人種国家独立への苦闘の100年」
@人種平等を実現
Aアジア・アフリカ・アラブ・東欧諸国の独立を達成
A現在の勝者は中国、敗者は日本                      
  貢ぎ物外交・親善外交→貢ぎ物外交(国際連合・中国)

W 日本の勝利の原因・世界が達した結論→「武士道」
・世界史を変えた2冊の本
(1)新渡戸稲造の『武士道』
@初版はBusido-The Sol of Japan-An Exposition of Japanese Thought(The Leeds & Biddle Co.,1900)
世界:1906年までに6版、8カ国に翻訳、ルーズベルト30冊購入
日本:1905年までに9版、岩波書店、1937年初版、1984年に27版
A「武士道」の本質:「義」は人間としての「骨格」
  大東亜戦争の大義→「悠久の大義」←民族国家の独立と人種平等 
(2)桜井忠温(タダヨシ)『肉弾』Human Ballets, NIKUDAN
@世界の陸軍に突撃論を伝搬→15カ国語に翻訳(アラビア語に翻訳された最初の日本の本)
ヨーロッパ列強の銃剣突撃→西部戦線の多数の戦死者
・ドイツ皇帝ウィルヘルムニ世:ドイツ全軍の将兵に必読の書として奨励
「本書により日本陸軍に学べ」
Aセオドア・ルーズヴェルト・「予は既に此書の数章を我が二長児に読み聞かせたるが、貴下の描写せる驚絶すべき英雄的行為を学ぶは、一朝有事の時に際して、我が国家の為に奉公すべき義務ある一般青年の精神を鼓舞すべきものたるを感ず」。

おわりに
1.日本人の敵は日本人
日本弱体化の占領政策(1)言論統制 江藤淳『閉ざされた言語空間』→自己規制 
(2)東京裁判→国家意識の喪失→自尊心の喪失→贖罪意識
2.日本史の再構築の必要性
(1)東京裁判史観の脱却
・東京裁判―共産主義とモンロー主義に裁かれたアジア主義
・東京裁判―告訴されたアジア主義者(大川周明)
@ネルーと東京裁判
・ネルー:インド国民軍裁判の会議派代表→パール博士(カルカッタ大学学長)を指名
・1950年の来日時→大川周明・シャンドラ・ボース・葛生能久(大アジア主義者)招待
・インド:サンフランシスコ講和会議不参加
・日印平和条約:接収資産の返却・賠償放棄・駐留費免除・像のインデラを寄贈
Aバモー首相『アジアの黎明』
Cフィリピン史の変化(マルコス政権崩壊後の日本)
(2)コミンテルンの歴史のナゾの解明
@日中和平交渉の妨害・国共合体を指導
A田中上奏文(日本の世界侵略計画)を偽作⇒東京裁判の土台
  1935年:日独をコミンテルンの敵と規定(第7回世界大会)
B盧溝橋事件(謎の銃弾)→1937年:日中戦争(中国共産党の発砲説)
C1937年:西安事件(第2次国共合体)→「対日戦争で一致」
D「ハル・ノート」の作成:ソ連KGB→米国人ホワイトへ→ソ連「雪作戦」と命名

3.英語で書かなければ世界の歴史とならない
 「歴史は作られ、語られ、ドラマとなり、そして歴史として確立する」
華僑の英語力:南京事件・戦争犯罪をめぐるインターネット上の日中の比率