日露戦争が変えた世界史と郷土松山
                           
はじめに:私の日露戦争観
100年の視点から地球儀的に、日露戦争から冷戦勝利まで

1,黄色人種・非キリスト教国家が白色人種・キリスト教国家に勝った戦争
 人種差別(人種平等)と民族国家の独立
2.アジア・アラブ・アフリカに民族国家の独立、人種平等への烽火となった戦争
(イスラム圏に対日期待と共同作戦の夢を持たせた戦争)
3.ロシアに共産主義国家を成立させる衝撃を与えた戦争
4.第一次世界大戦の遠因となった戦争(満州進出を阻止されバルカンに)
5.第二次世界大戦の遠因となった戦争←西欧の反撃
アジア主義・共産主義・米国の海軍モンロー主義と白色人種の人種差別との戦争

T. 日本が世界史に与えた第1の衝撃:日露戦争
共産主義(コミンテルン)の誕生、人種差別と米国のモンロー海軍主義、ヒトラーの対日過大期待1.日露戦争がアジアの民族独立に与えた影響 →アジア主義
 ◎民族国家独立と人種平等運動を覚醒させた戦争
(1)中国への影響
・孫文・辛亥革命により中華民国を建国(中国・台湾の建国の父))
(2)ベトナムへの影響
・ファン・ボィ・チャウ(ベトナムの民族独立運動の英雄・1905年・来日)
 「日露戦争は私たちの脳裏に新しい世界を開かせた」
・ベトナム王族のコンデ公の亡命(1905年に来日)
・1907年:ファン・ボィ・チャウ⇒東遊運動(留学生200-300名)
・1905年:トンキン義塾創設←慶応義塾に感銘(ファン・チャウ・チン)
(3)インド・ビルマへの影響
・ジャワハルラル・ネルー首相「日本の勝利は、アジアにとって偉大な救いであった」。
・ビルマ:バーモウ首相「歴史的にみれば、日本の勝利は、アジアの目覚めの発端、またはその発端の出発点とも呼べるものであった」。
・自尊心と自信・日本に学べ→国産品愛護、自治要求、国民教育→反英独立運動
(4)フィリピンへの影響
日本への過大期待⇒狂信的な宗教運動コロム運動→アメリカの過度な対日警戒心

2.日露戦争がアラブ・回教社会に与えた影響
 ○民族国家の独立運動とパン・イスラム運動の高揚(日本と協力し西欧に対抗)
パン・イスラム主義→ツラン主義←興亜主義(大アジア主義)
  大アジア主義=ユーラシア民族(ウイグル・チベット・トルコ・トルキスタンなどとの連携)
(1)エジプトへの影響→エジプトの近代化・独立運動を高揚
 @ハーフィーズ・イブラヒーム「日本の乙女(Ghada al-Yaban)」
 Aムスターファ・カイール『昇る太陽』(日本を賞賛、日本に学べ)
(2)レバノンへの影響
  レバノンの近代化・独立運動を昂揚→教科書に「日本の乙女」
(3)イランへの影響→『ミカド・ナーメ(天皇の書)』明治天皇を賞賛
(4)トルコへの影響→トルコ:トルコ青年党→ケルマ・アタチュルクのトルコ革命

3.日露戦争がヨーロッパ諸国に与えた影響

 ○被圧迫国家の自治拡大と独立、共産主義政権の誕生
(1) ロシア革命と共産党政権の樹立→ → 国際共産主義(コミンテルン)
 ・旅順陥落直後には首都サンクトペテルブルクで、「血の日曜日」事件
・国際共産主義→コミンテルンの誕生
 ・レーニンの言葉「旅順の陥落はツアーの終わり、革命の始まり」
(2)ポーランドの独立→ピウスッキ来日(ポーランド独立後最初の大統領)
(3)フィンランドの独立を加速
  マイネンハイム大統領の独立戦争と日露戦争の体験
(4)ノルウェーのスエーデンからの独立
(5)ドイツ(黄禍論とヒトラーの感激)
ヒトラー「日本海海戦の敗北のニュースにクラスの総てが落胆したが私は歓声を上げた。それ以来、私は日本海軍に対して特別な感情を持った」→日独伊三国同盟→開戦→敗北

(6)米国に与えた影響
@黒人の人権確立運動とアフリカ民族の独立運動
日露戦争時の黒人の日本応援歌・アーチバル・グリンケの「偶像破壊者」
  「行け、行け、黄色い小さな男たちよ。そして、ロシアを征服せよ。
   天罰を加えるまでは、その剣をそばに置くな
   汝はロシアを投げ飛ばせ。 巨大な地球のホコリを、欲望の塊のロシアを投げ飛ばせ」
・黒人運動家(アフリカ開放の父)ウイリアム・デ・ボイスの誕生(日露戦争の衝撃)
 →アフリカの民族運動に飛び火→1919年に最初の凡アフリカ会議を開催
A人種差別の黄禍論と門戸解放・機会均等の海軍モンロー主義
・軍事増強に黄禍論を利用:ホーマー・リーの扇動⇒『無知の勇気』
・海軍主義者(マハン)の扇動→排日・反日・脅日へ 

4.「先の戦争」の私の見方:3つのイズムの戦争 
  私の戦争の呼称・第二次世界大戦・大東亜戦争・太平洋戦争・「先の戦争」           
(1)米国=天啓宗教文明の「神の摂理」と海軍モンロー主義
・天啓宗教文明(キリスト教)の「神の摂理」と社会ダウニズム思想
・門戸解放・機会均等とモンロー主義が合体した覇権確立の海軍モンロー主義
(2)ソ連=国際共産主義運動(スラブ・メシア教的覇権主義)
(3)日本=アジア主義(天照大神(天皇)を家長とした「八紘一宇」の大家族主義)
・世界的:ラディヤード・キプリング「白人の重荷」と徳富蘇峰「黄人の重荷」の戦争
@有色人種の独立(アジア・アフリカ・アラブ諸国)
A人種差別の撤廃

5.先の戦争と民族国家の独立
・「先の戦争」の文明史的意味(1):モンロー主義、共産主義とアジア主義の戦争 
・「先の戦争」の文明史的意味(2):キプリング「白人の重荷」と徳富蘇峰「黄人の重荷」
・「先の戦争」レオン・トロッキーの「対日・米ソCracker(クルミの殻割器)論」
(1)アジアの占領地への影響(教育と国民軍を創設)
@大学や陸軍士官学校で教育したアジア人の人数:160名
A日本が創設した各地の軍隊
B大東亜会議の開催と大東亜宣言→アジアの反撃→バンドン会議(1955年)
・「大西洋憲章」→「国際連合憲章」に引き継がれる
ビルマ初代首相バ・モーの「大東亜会議」の評価
  「日本の日露戦争の勝利は、アジアの目覚めの発端、またはその発端の出発点であった」
(2)アフリカへの影響(独立心を覚醒)
・米国の黒人の人権運動・アフリカの独立運動を加速
黒人兵の参戦→(終戦後に)市民権運動(米国の黒人:1400万・1947年)
 @1960年:アフリカ独立の年
A1975年:インデイアン自治法案の可決
 B1988年:日系人への補償「市民自由権制定」
・国連の動き→1971年:国連「人種主義および人種差別と戦う行動の10年」を可決

                                           
U.日露戦争が変えた世界史と郷土松山
1.松山捕虜収容所とポーランドの独立
  世界の日露戦争観:立憲君主国の文明国(日本)と専制君主の非文明国(ロシア)の戦い
松山捕虜収容所とメドベージ村:文明国の戦争の「ショーウインドウ」
ハーグ条約(1899年)「捕虜の取り扱い」
ポーランド独立派代表の松山捕虜収容所の訪問
明石元次郎→独立派への資金・武器援助
→2回の全ヨーロッパ社会・共産・民族主義者の国際会議を主催
・ユーゼフ・ピウスッキ(ポーランド社会党 独立急進派)→日本軍に協力
   1918年:最初の大統領に就任→日露戦争参加の軍人51名にポーランド軍功勲章を授与
  ・ローマン・ドモフスキ(ポーランド国民同盟)ロシア支配下の自由(穏健保守派)

2.歴史を動かした松山の軍人
 (1)秋山真之(サネユキ)(1867―1918年)50才(政治軍人)「智謀如湧」
◎日本海軍の戦術の確立者「海軍基本戦術」「海軍応用戦術」「海軍戦務」「図上演習規則」
T字戦法は海軍大学戦術教官室教官(山屋他人中将など:皇后の曾祖父)
◎日本海海戦の連合艦隊参謀
◎軍務局長時代→第一次世界大戦の参戦を画策「陸海・外の少壮有力者」
陸軍・福田雅太郎少将、外務省小池張造
「異色の北進論者」→
・軍務局長時代→南洋群島の占領と領有を実現
   占領指示→第2南遣支隊司令官松村龍雄少将
   アンガウル(燐鉱石)の接収←鉱山労働者の派遣(占領の実績化
孫文の革命を援助→「異色の北進論者」「日中攻守同盟」「経済同盟」の推進者
孫文の辛亥革命時→袁世凱打倒・清国砲艦乗っ取り事件(失敗・海軍が阻止)
犬塚信太郎(満鉄理事)→久原房之助(100万円)→孫文(王統)山田純三郎
小池張造(外務省政策局長)(葬儀に載天仇、孫文の代理で出席)
×加藤友三郎次官→秋山をヨーロッパ視察旅行(1916年:半年間外遊・追放)(孫文支援のため)
×宗教に没入→日蓮宗→大本教(神道系の新興宗教・海軍に信者多数)
×1917年:中将昇級と同時に待命
   「一身一家一郷ヲ愛スルモノハ悟道足ラズ。世界宇宙等ヲ愛スルモノハ悟道過ギタリ。
軍人ハ満腔ノ愛情ヲ君国ニ捧ゲテ上下過不足ナキヲ要ス」(天剣漫録)→日本教徒
(2)桜井忠温(タダヨシ)(1879―965年)(軍人作家)→世界の陸軍に突撃論を伝搬
『肉弾』15カ国語に翻訳(アラビア語に翻訳された最初の日本の本)Human Ballets, NIKUDAN
ヨーロッパ列強の銃剣突撃→西部戦線の多数の戦死者
・ドイツ皇帝ウィルヘルムニ世:ドイツ全軍の将兵に必読の書として奨励
「本書により日本陸軍に学べ」
・セオドア・ルーズヴェルト・「予は既に此書の数章を我が二長児に読み聞かせたるが、貴下の描写せる驚絶すべき英雄的行為を学ぶは、一朝有事の時に際して、我が国家の為に奉公すべき義務ある一般青年の精神を鼓舞すべきものたるを感ず」。
  1935年、少将(予備役)

(3)水野広徳(1875―1945年)(ミズノヒロトク)(軍人思想家・反戦平和主義者)
『此一戦』(明治43年)→『次の一戦』(大正2年発禁・謹慎処分)←米国が警戒
   1916年・1919年 ヨーロッパ戦線を視察(私費)→反戦軍人に転向
   大正10年 大佐で待命、退職   
   最初の反戦軍人として戦後日本で最高の評価
(4)秋山好古(ヨシフル)(1859-1930)(典型的武将)
・陸軍大将(騎兵の創設者)(大正12年予備役)→北豫中学校長(多少13年―昭和5年)
・黒溝台の防御・奉天会戦の勝利(奉天突入)→マイネルハイムをフィンランド独立に走らせる
・「学識あり、胆力あり、覇気あり、而して硬骨にして勤勉」
3.むすび:日露戦争と松山@秋山兄弟が海陸で日露戦争の勝利に大きく寄与した。
        A松山の市民が「文明国の戦争」に勝利し、ポーランド・イスラエル独立に寄与した

おわりに(1)日露戦争100年の総括
1.日露戦争百年の総括―アジア主義の敗北と人種平等の勝利

・日本の近代史100年は「人種差別撤廃と有色人種国家独立への苦闘の100年」
@人種平等を実現 Aアジア・アフリカ・アラブ・東欧諸国の独立を達成
2.日露戦争の敗者と勝者
(1)大東亜戦争の評価(歴史学者アーノルド・トインビー)
「日本人が歴史に残した功績の意義は、西洋人以外の人種の面前において、アジアと
アフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間にいわれたような不敗の神では
ないことを明らかにしたことである」(『オブザーバー』紙(1956年10月29日)
(2)半世紀後(朝鮮戦争勃発1年後:ジョージ・ケナン『アメリカ外交50年』岩波書店、1952年)
「アジアにおけるわれわれの過去の目標は、今日表面的には殆んど達成されたということは皮肉な事実である。逐に日木は中国大陸からも、満州および朝鮮からもまた駆逐された。これらの地域から日本を駆逐した結果は、まさに賢明にして現実的な人々が、終始われわれを警告した通りのこととなった。今日われわれは殆ど半世紀にわたって、朝鮮および満州方面で日本が直面しかっ担ってきた問題と責任を引継いだのである」
(3)1世紀後(冷戦崩壊後)サセックス大ソーン教授『太平洋戦争とは何だったのか』草思社、1989年)
「日本自身は一時あのように落ちぶれたが、高価で無駄な軍事力増強の道を避け、かつて剣によって確保することのできたものよりもはるかに大きく、かつ永続的な富と力を得ることができた。米国は1941年には、使命感に燃え………中国の側に立つことになったが、その後「目覚めた」新中国との関係は、すぐに厳しい敵対関係に変わっていった。……戦争の結果、そのような時がきたと信じるようになった米国 ― 1945年には極東戦争のまぎれもない「勝利者」だった米国、その米国が一九七〇年代にはある意味では、長期にわたる最大の「敗者」と見られるようになったのである。
(4)現在の勝者は中国、敗者は日本

おわりに(2)日露戦争100年後の日本の敗北を考える
1.日本人の敵は日本人
江藤淳の『閉ざされた言語空間』の影響→自己規制
占領軍の言論統制の実情
2.日本史の再構築の必要性
(1)東京裁判―共産主義とモンロー主義に裁かれたアジア主義
(2)東京裁判史観の脱却
@ネルーと東京裁判Aインドとサンフランシスコ講和会議
Bバモー首相『アジアの黎明』Cフィリピン史の変化(マルコス政権崩壊後の日本)
3.英語で書かなければ世界の歴史とならない
 華僑の英語力:南京事件・戦争犯罪をめぐるインターネット上の日中の比率
 「歴史は作られ、語られ、ドラマとなり、そして歴史として確立する」