海洋力、特に海軍力の価値

はじめに

わが国は第2次大戦に敗れて国富の大半を失ったが、 持ち前の勤勉さと有史以来の平和に恵まれて世界有数の経済大国へと成長した。 しかし、 日本人の海に対する思考は陸岸から遠く離れた外洋(Ocean)には及ばず、 この繁栄が海洋の持つ輸送力、 海洋の持つ資源、 安全保障に対する寄与など、 海洋の数々の恩恵に支えられてきた事実を理解している者は少ない。 特に、 日本では領海外を行動しわが国の安全保障や国際関係に直接的影響を与える海上防衛力の主体である艦艇の運用には種々の制約を加え、 国家の繁栄に不可欠なシーレーン(Sea Lane)の安全を確保し、 平和維持活動など多様な機能を発揮する海上自衛隊の適切な利用を拒み続けて来た。 確かに、 コロム(Sir Philip Colomb)少将やマハン(AlfredThayer Mahan)大佐によって開花した海軍戦略は、 強大な海軍力を背景とした力による攻撃的帝国主義的な色彩が強く、 専守防衛しか許されないわが国では本来での意味の海洋戦略を論ずることは国情から困難であった。 しかし、 海洋力や海軍力は海洋国たる日本の繁栄や安全を考える場合に不可欠な最も本質的な国家の保有する要素である。 そこで、 本論では政治的制約を離れ諸外国の海軍を例に、 海洋力や海軍力の特質や価値などについて述べてみたい。

1 海洋の特性とその価値
(1)海洋の連続性

 寛政の昔に「江戸日本橋の水は英京ロンドンのテームズ河に通ず」と、 林子平が喝破した海洋の連続性は時代を経た今日でも変わらぬ真理であり、 海洋の第1の価値は交通路としての価値であり、 海洋の存在するとことはどこえでも安価・多量の物資を運び得ることである。 第2次大戦までは資源の有無と内陸交通の難容(鉄道の有無)が近代国家発展の基本的要件であった。 しかし、 科学技術の進歩はコンテナー船、 LPG船、ラッシュ船や機動力の高いトラックと安い運賃の長距離カーフェリー、 超大型タンカーとシーターミナル(CTS:Central Terminal Station)を組み合わせた新しい海上輸送システムを出現させ、 陸上輸送や航空輸送に対する海上輸送の優位を圧倒的なものとし、 資源の有無よりも海上輸送の難容、 特に港湾の良否が国家の発展を左右する大きな要素となった。

 陸海空の輸送距離と価格を比較し、 アンソニー・ソコール(Anthony Sokol)教授は原油を輸送して原産地価格の2倍となる距離は陸(パイプライン)で2500キロ、 海(タンカー)で1万2000キロであり、 海上輸送は陸上輸送の5倍の距離を運んで初めて同一価格、 海上輸送のコストは陸上の5分の1、 航空輸送の50分の1であると述べている(1)。 この海上輸送と航空輸送に関する実例を挙げれば、 朝鮮戦争では北朝鮮軍が38度線を越えた直後の6月25日から10月21日の間に、 航空機1109機が飛行して貨物28214トン、 人員39187名を運んだが、 当時は搭載量も少なく空輸量は1日平均105トンであった。 これに対して海上輸送は戦争勃発直後の6月25日から7月1日の間に30万9314容積トン、 1日平均1万660容積トンの物資を運んでおり、 また運行船舶数のデーターを求めるならば、 7月後半の16日間に韓国諸港へ230隻が入港し214隻が出港して、 兵員4万2581名、 車両9454両、 補給品8万9000トンを運んでいた(2)。 その後、 航空機の大型化に伴いベトナム戦争や中東戦争では空輸比重も逐次増加し、ベトナム戦争では全補給量の3パーセント、中東戦争では7パーセント、 1日当たりC-141輸送機17~18機が飛行し最大1100トン、 平均約700トンに増大したが(3)、 湾岸戦争では平均約7000トン/日に空輸量は増大した。 しかし、 兵器のハイテク化にともない武器や弾薬、 燃料や部品などの補給量が増大し、 空輸比率は2パーセントに下がり、 海上輸送の比率は98パーセントに増加した(4)。

(2)海洋の障害性


 科学技術の進歩が時間的距離を縮め輸送単価を大幅に下げたとはいえ、 わずか数マイルの海がゲリラや工作員の浸透を困難にし、 また直接的侵略を抑止してきた。 すなわち、 海洋を越えた侵略はいずれが侵略者であるかを世界に明示し、 国際世論・国際政治上の不利益を受けるだけでなく、 渡洋上陸作戦には大規模な準備を長期にわたり必要とするため事前に察知され、 奇襲が困難、 作戦も複雑で犠牲が多いことなどから侵略側に強い制約を与え、 古来島国家の安全と独立に寄与してきた。 一方、 対潜捜索兵器の進歩は確かに海洋の隠密性を奪い、 海洋科学の発展は海洋の持つ秘密のヴェールを徐々に剥がしつつある。 とはいえ、 陸地陸地面積の約70パーセントを占め3億6000万平方キロ、 平均水深3800メートという広大な海洋に潜む潜水艦や機雷は、 水という複雑な媒体にわずらわされて宇宙時代の今日でも捜索に決め手がなく、 海洋の隠密性を利用する武器の価値に大きな変動を生じさせなかった。 特に島国に対する挑戦は直接・間接侵略を問わず海を経由せざるえを得ず、渡洋進攻作戦はもとより空挺作戦、 ミサイルや航空機攻撃も海上において探知撃破することは可能であり効果も大きい。 このように海を国境とする国家にとって海軍力は領土に対する侵略を事前に撃破する最も有効な手段であるばかりでなく、 制海権をもっ国家は紛争の解決に好む時期、 好む場所に機動力を発揮して集中し最も有利な状況で柔軟に、 また、 ダイナミックに対処可能である。

 一方、 戦略核ミサイルの命中精度の向上や多弾頭化による防御突破力の向上は、 陸上のサイロ貯蔵の大陸間弾道ミサイル(ICBM)の報復反撃力としての価値を奪い、 機動性、 隠密性に優れた原子力潜水艦搭載の大陸間ミサイル(SLBM)を主力的戦略兵器として登場させ、 この分野における海洋依存度を決定的なものとした。 また、 海の大浮力を利用した艦艇は航空機・ミサイル・砲、 さらには陸上投入兵力である海兵隊などの多種多様な攻撃力や各種多様な捜索武器や通信指揮装置の搭載を可能とし、 水中・水上、空中の脅威を立体的に排除し、 必要な地点へ急速に巨大な打撃力を展開しできる能力を艦艇部隊に与えた。 また、 冷戦構造崩壊後は紛争地域へ急速に展開し、 平和維持活動(PKO)にあたる両用戦部隊の価値を高め注目されるに至った。 とはいえ、 第2次大戦までは敵主力部隊を撃破あるいは封鎖すれば比較的完全な制海権(Command of the Sea)が得られたが、 ミサイル・航空機・潜水艦などの進歩発達により、 制海(Control of the Sea)を流動的かつ不安定なものとし、 今日の制海権は時間的・空間的・質的に極めて流動的な限られたものとなっている。 一方、 海・公海の区分が不明確な海洋は、 単に資源争奪にともなう紛争を生起させるだけでなく、 テロ集団あるいは海賊という国家に帰属しない組織による武力行使、 資源の乱獲(特に魚類)、環境汚染、 難民や密出入国などを生起させ、冷戦時代の制海とは異なる「海洋の安定(OceanStabilization)」、 すなわち陸を主体にしたPKO(Peace Keeping Operation)」の海上版ともいえるOPK(Ocean Peace Keeping)」の動きを加速している(5)。

(3)海洋の可能性

 海洋には数々の可能性があり未来があるが、 現在までは輸送・貯蔵・生産・居住などの空間利用は主として陸上部分に限られて海洋空間には至っていなかった。 しかし、 公害・土地取得の困難性・海洋開発技術の進歩などにより関西国際空港が完成し、 沖縄の基地問題をぐり最近では移動可能な洋上フローテング空港さえ検討されているが、 今後はさらに「メガフロート」を利用した海上原子力発電所、 海上コンビナート、 海中貯蔵施設、 海洋牧場(小規模な養魚施設はすでに実現している)など、 海洋の空間そのものの利用へと生活空間が大きく拡大されるであろう。

 現在の技術力で開発可能な水深は400メートルと言われているが、 その面積はアフリカ大陸と同面積で、 そこには石油・石炭・硫黄・砂鉄・マンガン・クローム・錫などが埋蔵され、 石油が86兆キログラム、 天然ガスが40兆立法メートル、 マンガンの埋蔵量は陸上の4000倍、コバルトは5000倍、 ニッケルは1500倍が埋蔵されていると見積もられている(6)。 この他、海水中には金・銀・ウラン・マグネシウムなど60種の元素が含まれているが、 その量はマグネシュームが200兆トン、 臭素が100兆トン、 ヨウ素が750億トン、 銀4億が5000万トン、 アルミニュームが150億トン、 金が600万トンに達するという(7)。 また、 海を計画的に開発し管理するならば、 現在陸上で得られている約300倍の食料が確保可能であり、 さらに海洋の持つ潮汐エネルギー・熱エネルギー・波力エネルギーなどの海洋エネルギーを潮汐発電・温度差発電・波力発電などにより利用するならば、 現在の世界のエネルギー需要の1000倍のエネルギーが利用可能となるとの計算もある。 このように海上・海中・海底と3次元の立体空間を持つ海洋は、 原子力に次ぐ大きな未来を持つ未開のフロンテアであり、 海洋国家は内陸国家に比べ無限の可能性に恵まれていると言えよう。

 しかし、 海洋開発技術の進歩発展は海洋の持つ富みに対する新たなる収奪欲を生み、 海底鉱物資源・漁業資源などに対する沿岸国、 特に発展途上国の果てしない領海の拡張、 管轄権の拡大をもたらし、 グロチュウス(Hugo Grotius)以来海洋を支配して来た「海は共有物(La Mer Commune)」との理念も各種の制約を受け、 海洋利用に対する制約が増しつつある。 すなわち、 1958年の第1回国連海洋会議では「漁業資源保護条約」「大陸棚条約」「領海および接続水域に関する条約」が採択され、 1973年の第3回国連海洋会議では「新海洋法条約」が採択され1996年にはわが国も批准したが、 この新法は海底資源の開発、 軍艦・大型タンカーの国際海峡通峡、 領海拡大を意図した群島理論や直線基線の主張など、 各国の国益追求、 特に発展途上国の主張が強まり、 海洋を先進工業国が占有していた時代は去ってしまった。 とはいえ、日本の排他的経済水域は表に示すとおり世界第3位の海洋国なのである。
          各国の200カイリ水域面積(単位:万km2
  世界各国の200海里水域の面積  陸地面積 陸海合計面積 陸面積と水域面積の比率
順位   国名      面積     陸地面積 陸海合計面積 陸面積と水域面積の比率
 1   米国    762   936   1,698     0,8
 2 オーストラリア     701   769   1,470     0,9
 3 インドネシア    541   190     731     2,9
 4 ニュージーランド    483    27     510    17,9
 5  カナダ    470   998    1,468     0,5
 6  日本    451    38    489      11,9
 7   ソ連    449  2,240   2,689     0,2
 8  ブラジル    317   851   1,168     0,4
 9  メキシコ    285   197     482     1,5
10   チリ    229    76     305     3,0
22   中国     96   960  1,056    11,0
24   英国     94    24    118     3,0


2 海洋力および海軍力の特性および価値

(1)海洋力・海軍力とは
 海洋力(Maritime Power)とはシーパワー(Sea Power)とほぼ同意語であるが、 海洋力の方がニュアンス的にはシーパワーよりも広範な組織による力意味している。 また、 これと同様な言葉として“SLOC"やシーライン(Sea Line)、 シーレィン(Sea lane)という言葉があるが明確な規定はなく、 意味も曖昧である(8)。 従って本論ではシーパワー(あるいは海洋力)を、 「海洋をめぐる政治力・技術力・軍事力などが適切に組み合わされた力で、 自国の権益の増進、 国家目標の達成、 国家政策の遂行などに必要な海洋の利用や支配を可能とする国家の力の一部」と、 幅広く捕らえて論を進めることとする。

 シーパワーとはマハン(Alfred Thayer Mahan)大佐が、 1890年に出版した『海上権力史論(The Influnce of Sea Power upon the History)』で初めて導入した言葉であるが、 マハン大佐もこの言葉を規定していないため多様な解釈が人によってなされ現在に至っている。しかし、 海洋力を一言で表すならば「制海権(海洋を利用し支配する力)」で、 海洋力の大きさは次の6要素によって決まるとされている(9)。 第1は国土が海上交通の要所にあるか否かの地理的位置、 第2は国土が海洋に接し適当な港湾があるかなどの地形的環境、 第3が領土の大きさ、 特に海岸線の長さ、 第4が人口数、 第5が国民の海洋力に対する認識と熱意などの国民性、 第6が海洋を利用し支配しようとする国家政策・防衛方針などの諸施策を遂行する政府の性格である。 また、 海洋力を構成するものとしては、 第1は海洋の利用手段としての商船隊・漁船隊などであり、 第2はこれらを保護する直接的強制力としての海軍力、 第3はこれらを支える工業力、 第4は港湾施設(海軍力の場合は基地)である(10)。 しかし、 最近では海洋資源に対する列国の国益追求も激しく、 海洋資源などの確保をめぐる国際政治力及び海洋資源開発力などの技術力や資本力なども大きくクローズアップしてきた。

 次に海軍戦力とは海上(上空を含む)および海中の領域を主たる活動の場とする軍隊であり、 このように海上においての領海における法の維持や強制、 海上からの進攻作戦や阻止作戦などの軍事活動を使命とする軍種で、 海洋(海上、 水中、 海上上空、 海底)を主として戦場として使命を果たすために存在している。 また、 これら部隊は戦闘部隊の航空母艦、 巡洋艦、 駆逐艦、 フリーゲート艦、 潜水艦、 掃海艇や航空機、 後方支援部隊としての洋上補給艦(給油艦・給弾艦・工作艦)などから構成されている。 アメリカ海軍などの核兵器を保有する国家は、 これら部隊を国家指導者が直接指揮するSSBN(Nuclear Powered Ballistic Submarine)からなる戦略核部隊と水上艦艇、 潜水艦、 航空機および海兵隊(ロシアは海軍歩兵・中国は海軍陸戦隊と呼称)などからなる一般目的部隊に区分し、 これら部隊は各機能に応じて対潜戦、 対空戦、 対水上戦、 機雷戦、 対陸上攻撃、 両用戦(上陸作戦-ヘリコプターによる上陸も含む)などの諸作戦を実施する。 また、 これら部隊の戦闘力を発揮させるため特殊戦(特殊部隊の破壊活動)、 洋上監視、 哨戒、 情報戦、 電子戦などの補助的作戦も実施している(11)。


(2)海軍力の意義及び特性

 海軍力の機能をブース(Ben Booth)は軍事的役割、 警備的役割および外交的役割の3つ役割に分類し、 この3つの役割の大きさは海軍力の大きさにより異なるとしている。 そして、軍事的役割として軍事力の持つ力による@全面戦争、 A通常戦争、 B局地戦争及び介入、 Cゲリラ戦争、 平時の機能として@戦略核による抑止、 A通常兵力による抑止と防御、 B拡張された抑止および軍事的役割(海洋における国家活動の保護や遠隔海域における国民、 権益や財産などの保護)、 C国際秩序の維持があるとしている。 また、 警備的機能としては沿岸警備による国家主権の行使、 資源の利用確保、 海洋の秩序の維持があり、 さらに国家の発展を支援するため国家安定や国家発展への寄与があり、 外交的役割としては@力による交渉、 A巧妙な政策の実施、 B自国の力や良好なイメージを与える威信の確保を上げている(12)。 また、 ケーブル(James Cable)教授は砲艦外交を目的に従って、@決定型(Definitive)、 A目的追求型(Purposeful)、 B接触型(Catalytic)、 C意図表示型(Expressive)の4つの形式があるとしている(13)。 しかし、 砲艦外交は時に応じて柔軟に対応するものであり、 時期や相手の対応で異なるものであり、 あまりこのような分類にこだわる必要はないであろう。

 一方、 アメリカ海軍は戦時の任務を「制海(Control of the Sea)とし、 制海を得るために@シーラインの保護、A敵国艦艇および商船の海洋利用の拒否、B陸上攻撃および上陸強襲作戦を実施する海域の確保、C前方展開戦闘部隊への補給路の保護を実施することとした。 そして、 制海の確保は@敵艦艇、潜水艦、航空機および機雷の無力化、A敵指揮機能の破壊または無力化、B敵の制海部隊支援陸上施設の破壊または無力化、C紛争地域の島嶼、要地、半島に所在する敵の軍事基地としていた(14)。しかし、 冷戦構造の崩壊を受け平時任務を大きく取り上げ、 平時の第1の任務を「戦争の抑止」とし、 その抑止を@「通常兵器による抑止」、A「核戦力による抑止」、B「前方展開による抑止」とし、また、非軍事的な任務として次のような多様な任務を上げている(15)。

      ◎緊急事態への対処          ◎非戦闘員の避難・引き上げ
      ◎テロへの対処              ◎同盟国への安全保障上の支援
      ◎諸外国の国防上の支援       ◎国際連合の経済制裁への参加
      ◎密入国者の阻止           ◎災害救助、人道上の支援および民間活動の支援
      ◎国民の健康維持への支援     ◎麻薬阻止作戦への協力


A 海軍力の機動性および持久性

 艦艇は航空機、ミサイル、砲などの戦闘力やC3Iなどの各種指揮通信処理装置などを有機的に搭載し、 世界的に広がる海洋を利用して必要な時に必要な場所に急速に機動集中が可能であり、 また、 洋上補給を継続的に実施することにより快適な生活空間と十分な戦闘力を長期にわたり維持し発揮することも可能であり、 アメリカの空母戦闘群(CVBG:Carrier Vessel Battle Group)は1日に1100海里の移動が可能であるが、 現代の戦争では30から60日後に展開される軍事量の絶対量よりも、 早期急速に展開される対処兵力が重要で、 この海軍力の機動性の一例をベトナム紛争に求めれば、 1972年3月末の北ベトナム軍テト南進が始まった時のアメリカの兵力はベトナム介入反対世論の高まりから徐々に兵力を引き上げており、 小規模な海空軍兵力を展開しているに過ぎず、 ベトナム沖へ の展開兵力もコーラル・シー(Coral Sea)とハンコック(Hancock)の空母2隻および巡洋艦・駆逐艦6〜8隻程度の小規模なものであった。しかし、北ベトナムの攻撃3日後にはフィリピンのスビック湾からキティホーク(Kitty Hawk)、7日後には横須賀からコンスタレション(Constellation)を戦列に加え、空母4隻、航空機275機の打撃力をベトナム沖に集結させた。その後もアメリカ海軍は本土西岸の第3艦隊、東岸の第2艦隊および地中海の第6艦隊などから続々と急派し、北ベトナムの侵攻3週間後には空母6隻、巡洋艦5隻、駆逐艦44隻および海兵隊5000人を乗艦させた揚陸艦を含む艦艇65隻、兵員46000人という第2次大戦後最大の海軍兵力をベトナム沖に集中した。これら艦艇の集中状況、すなわち展開速度とその規模は図のとおりで、その所要日数はスビック湾から2日、横須賀から5日、ハワイから10日〜2週間、米西岸から約20日、米東岸から希望峰廻りで30日、パナマ経由で25日、ケープホーン廻りで約40日であった。

 また朝鮮半島有事の場合には、 アメリカ本土西岸から1個パトリオット大隊(ミサイルランチャー48基)、 TBMD(戦術ミサイル防御)ミサイル192基を海上輸送ならば30から50日、 空輸でも20から40日を要するが、 空母戦闘群ならば10から35日で展開できるとしている(17)。また、 展開された空母戦闘群からの出撃機数は救難・偵察・電子戦支援・哨戒・迎撃待機・整備などで航空機が残置されるため、 ベトナム戦争では直接戦闘行為に参加した航空機は全搭載機の40パーセント程度、 空母2隻で60機、 3隻で90機程度であった(18)。 これに対して空軍力の展開速度はベトナム戦争では、 Bー52戦略爆撃機でアメリカ本土から平均5〜6日、 戦闘爆撃機で約1週間であったが、戦闘爆撃機のアメリカ本土からの最少展開所要時間は、空中給油を実施しつつフロリダ州マクデール空軍基地から展開されたFー4ファントムの72時間であった(19)。 しかし、 後方支援部隊や整備器材がない一時閉鎖されていたナムフオン基地にファントム(Aー4)戦闘爆撃機35機を展開するのに、 1000人の工兵隊を海上輸送するとともに、 さらに地上要員や整備器材などの運搬のためCー141型輸送機146回の飛行が必要であったと言われている(20)。

B 海軍力と国際政治性と外交支援上の価値

 日本が開国したのはペリー(Mathey K. Perry)艦隊の砲艦外交(Gunboat Diplomacy)による軍事的圧力であったが、 海軍力をプレゼンスさせ誇示し圧力を加えることは大海軍国によって常続的に行われてきた。 インド・パキスタン戦争時のアメリカ第7艦隊やソ連艦隊のインド洋展開、 プエブロ号事件に対するエンタープライズ以下空母3隻の日本海投入など、 過去に海軍力は国家意志を示す手段として極めて政治的に使用されてきた。 海軍力を行使した国際政治上の駆け引きを北ベトナム港湾へのアメリカの機雷封鎖に対するソ連と中国の対応を示すと、 ソ連は北ベトナムへの精神的支援、 第3世界への影響力の発揮、 国家威信を示すためにスベルドルフ型巡洋艦など10隻の艦艇を南シナ海に派遣した。 アメリカはこれらの部隊に対する監視を強化するとともに、 ソ連が対艦ミサイル(SSM)装備の潜水艦を出港させたことを探知すると、 対潜空母タイコンデロガ(Ticonderoga)を急遽投入してアメリカの強い決意を示した。

 一方、 中国は北ベトナムに1隻の掃海艇を供与し北ベトナムに対する支援姿勢を示した。すると、 ソ連は直ちに4隻の掃海艇を供与して中国と北ベトナムとの間に楔を打った。 このように海軍力は国家の意志を明確に表示するものであるが、 艦隊兵力の増減や特定の艦艇(空母や揚陸艦)の追加削除、 さらには演習の実施や領海侵犯などの行動を加えることにより、 圧力を高めて政治目的を達成することも可能である。 また、 艦艇には象徴性が強く、 ブラジルは湾岸戦争に1隻の旧式駆逐艦を参加させたが、 この1隻の旧式駆逐艦が国連決議を支持するブラジルの姿勢を内外に示したのであった。

 次に平和時の艦艇の訪問などによる効果を見ると、 艦艇は外国の管轄権から独立し、 治外法権(Exterrioriality)、 不可侵権(Invialability)、 庇護権(Right of Asylum)および礼遇とうの享受など各種の外交特権を持ち国家主権の象徴であり、 艦艇の訪問は商船などの寄港とは異なり国家的威信(プレステージ)を示すだけでなく、 友好関係の象徴として受け取られ、 1997年の「かしま」「さわゆき」の韓国訪問を「日韓新時代を象徴している」と韓国の新聞が報じたことからも、 その寄港が極めて大きな意義を持っていることが理解できるであろう。練習艦隊訪問による友好増進などの成果を海上自衛隊の1982年度の南米遠洋航海について示せば(21)、 練習艦隊司令官が表敬した大統領はペルー・チリー・エクアドルの3ケ国、 ペルーの大統領は昼食会に来艦した。 また、 練習艦隊が行った13寄港地における諸行事を列挙すれば、 メキシコ・シテイー、 バンクーバー開港一〇〇年祭、 チリのパルパライソの独立記念日などの3回の市中行進を実施したが、 これらは新聞だけでなくテレビなどでも大きく報道された。 通常の訪問でも練習艦隊の訪問は常に新聞の1面に大きく取り上げられ、ニューヨークでは大きく日本関係の記事が掲載されるのは昭和天皇のご訪問以来であり、 総理の訪米よりも練習艦隊の訪問の方が日米親善にははるかに効果があると在米邦人は感謝していた。

              1982年度遠洋航海の行事1覧表
記者会見 12回(112社・178名) 武道展示 13回(1万1000名)
昼食会 VIP15回(202名) バレーボール試合  7回
昼食会(一般)  3175名 ソフトボール試合  8回
レセプション  13回 サッカー試合  3回
電灯艦飾  12回   運動会  1回
艦内公開  5万6166名  記念碑献花  23回
艦内特別公開   3880名  市中行進  3回
音楽隊演奏会  24回(10万500名) 日本紹介映画上映  12回(3000名)
児童画交換  13都市 教科書交換   6カ国


 また、 練習艦隊の寄港時の活動は音楽隊の広場やテレビでの演奏会、 特技員による日本古来の空手、柔道、 剣道などの展示、 横須賀市内の小学校生が描いた児童画の訪問地の小学校との交換、 各地の剣道・柔道・空手道場などへの指導員の派遣、 大学などの日本語講座への講師(話相手としての実習幹部)の派遣など、 その活動は上は大統領から下は庶民まで多様であった。 しかし、 練習艦隊の効果で見落としてならないのが、 練習艦隊乗組員の長年にわたる無事故と高い規律であり、 この隊員の行動が友好国へは日本への敬意と信頼性の醸成であ、 今もワシントンでの大河原駐米大使主催の歓迎会の席上、 実習幹部の素晴らしい対応に接したアメリカの高官から、 「日本は素晴らしい未来をもっている」と言われた言葉が今でも鮮明に脳裏に残っている。
また、 近代技術を集めて造られた軍艦の輸出は単に経済的利益をあげ、 自国製品の技術的信頼を高めて輸出を促進するだけでなく、 高度な武器ほどその後の教育訓練、保守整備、部品の継続補給と両国の緊密な関係を軍事面から深め、 国家安全保障上、 また外交上からもフリーハンドの利益さえ持つに至るのである。 冷戦時代にソ連はインドネシア、 エジプト、 ソマリアなどに武器を供与して友好関係を強化したが、 現在では経済的利益を求めて多数の国が艦艇を輸出している。 このほか、 ペルー大地震時にアメリカは食料・医療品などを搭載した空母を、 東パキスタンの水害には米英およびドイツ海軍が艦艇を派遣して救難復旧活動を支援したが、 諸外国の国防白書によると発展途上国に対する測量支援や海図作成、救難など、 諸外国の海軍は機動力や指揮通信力を活用して災害時はもとより、 港祭りや博覧会などにも積極的に艦艇を派遣し、 友好関係の促進や国家のプレステージの威示に努めている。

C 海軍力の多目的性および柔軟性

 戦争と平和、 戦時と平時の間には種々の段階があり対処法があるが、 通常不当行為に対しては口上書による抗議に始まるが、 戦前の日本海軍による北洋漁業の保護やアイスランド沖のイギリスとアイスランドの「タラ戦争」などに海軍が出動したように、 単なる口上外交で解決できない問題も多い。 このような場合、 艦艇を派遣することから始まり、 パロールの実施、 実力による排除、 漁船の拿捕と事態の進展に応じて圧力を高めることによって解決されたケースも多い。 特に海軍艦艇は国家意志のシグナルを相手国に明確に認識させるため、 派遣艦艇に空母や揚陸艦艇を加えることにより強い意志を示すなど、 派出兵力の質量の変化や演習の実施、 さらには領海侵犯など合法的あるいは非合法の対応をソフトに段階的にエスカレートさせて圧力を加えることができる。 例えば、 キューバ危機ではキューバのソ連ミサイル基地の無力化に対してアメリカには爆撃、 ミサイル攻撃、 上陸進攻、 空挺作戦と種々の案が検討されたが、 エスカレーションが少なく、 相手に選択の余地や時間的余裕を残しつつ徐々に迫る海上封鎖が採用された。

 また、 1972年3月の北ベトナムの大攻勢に際しても、 アメリカは地上部隊の再投入から原爆の使用まで各種の対応を検討したが、 最終的には機雷による港湾封鎖と南下した部隊に対する空爆というソフトな対応が採用された。 さらに、 海軍部隊は陸軍部隊の投入と異なり敏速に体面を損なうことなく撤収できるという「コントロール喪失によるリスク」を回避できる撤収の容易性という利点もある。 このように海軍作戦は柔軟性に富み目的達成には各種の手段が選択可能であり、 平時における有効親善の促進から核攻撃力の行使に至るまで、 平時および戦時にもその適用範囲が広い特質を持っていいる。

































主要都市などの
重要地点の攻撃
工業地帯など国家とし
て重要な地域の攻撃
 軍事施設などの攻撃
限定地域(海域)外の軍事施設の攻撃
限定地域(海域)内の軍事施設・艦艇などの攻撃
防衛(交戦)海域などの設定
海上封鎖などによる経済的圧迫
対象国へ向かう船舶などの
臨検・抑留・拿捕
対象国にとり重要な地域(水域)
陸海空路の封鎖
対象国周辺への軍事力の集中・展開
艦艇の配備・編成替えなどによる意志の表示
武器の売却(譲渡)・教官派遣・留学生などの
受け入れによる友好関係や勢力圏の拡大
協同訓練などによる友好関係の増進      
災害救助・医療支援・測量支援などのための軍隊の派遣
艦艇・部隊などの相互訪問・国家行事(独立記念日など)への参加
            取り得るオプションの幅

 すなわち、 上の表が示す通り軍艦の訪問は友好関係の象徴としてのVisit of Courtesyの公式訪問、 訪問国の国家的祝賀行事への参加、 友好国との共同訓練の実施などによる友好関係の維持向上などから、 “Show the Flag"と呼ばれる紛争地域への派遣、 経済封鎖や制限水域の設定から、 艦艇の集中・展開などによる示威行動、 封鎖(臨検・拿捕)などの脅迫、 威嚇による国家意志の強制など武力を背景に国家政策を強力に推進する道具として極めて政治的に利用されてきたが、 取り得る選択幅の大きさや、 事態の発展や緊迫化に応じたエスカレーションなど、 海軍力運用のオプションは極めて大きく、 この選択手段の豊富が海軍力の特徴である(22)。

おわりに

 海洋力の特性の第1が輸送力であり、 海洋の存在する所はどこえでも自由に安価に多量の物資を運びえることである。 このため海洋国家は有無相通じる国際貿易、 特に国際分業化を促進し、 海洋国家間を相互依存の関係とする特徴がある。 また、 海洋国は国際交通路として海洋の平和を必要とし、 海洋を介して結び付き世界的な同盟や協調体制を維持する傾向が強く、 古来「海洋国は同盟国とともに戦う」と言われて来た。 このような海洋国が示す経済的国際分業化と軍事的集団安全保障体制化という特性は、 今後一層強まり国家戦略を論じる場合極めて重要な要素であるが、 日本では利用しようとの着意は薄い。 また、 過去の歴史を見ると、 日本は海洋国との同盟で栄え、 海洋国と対立し大陸国と同盟した時に荒廃を招いた。すなわち、 開国早々の日本は海洋国イギリスと同盟し、 海洋国アメリカの援助を受けて日露戦争に勝ち、 第1次世界大戦ではイギリスを助け大陸国のドイツを破り5大国、 3大海軍国に成長した。 しかし、 第1次大戦中の1916年に大陸国ロシアと同盟(第4次日露協商)を結び、 1918年には大陸国の中国と日華共同防敵軍事協定を締結してシベリアへ出兵、 さらに日中戦争から抜け出そうとして大陸国ドイツと結んだ日独伊3国同盟で第2次大戦に引き込まれて敗北してしまった。 しかし、 第2次世界大戦に敗北すると日本は再び海洋国アメリカと結んだ日米安保条約によって現在の繁栄を得た。われわれは先人の選択 ー 海洋国と結ばれた時には繁栄し、 大陸国と結ばれた時には苦難の道を歩まなければならなかったという海から見た歴史の遺訓を忘れてはならないのではないであろうか。


1 アンソニー・ソコール(築土龍男訳)『海洋力』(恒文社、 1965年)108-111頁。
2 アメリカ軍の急速展開能力については拙論「朝鮮戦争に見るアメリカの急速来援能力の 数値的研究」(『防衛 学研究、第4号、1990年11月)を参照。
3 Aviation Week(10 October 1973), Army times(5 December 1973).
4 和泉洋一郎「展開、連合、兵站能力」(『軍事研究別冊 湾岸戦争』1991年5月)69-70頁。
5 秋本峰一「新たな安全保障の概念『海洋の安定化』」(『波濤』通巻131、132号、 1997年7 月及び9月)を参照。
6 『万有百科大事典 宇宙地球』(小学館、 1979年)95頁。
7 堀部純男他『海洋鉱物資源』(読売新聞社、 1986年)12頁。
8 海上交通路(Sea Lines of Communication)がSLOCと表現された場合には、 有事に国家が 生存上または戦争遂行上確保しなければならない海上連絡交通路で、 海峡や重要な海域 など軍事的意味が含まれている場合が一般的に多い。
9 Alfred Thayer Mahan,The Influence of Sea Power upon History, 1660-1783(Boston: Little Brown,1890), p.71,138.
10 Walter La Feber,The New Empire - An Interpretation of American Expansion,1860 -1898(Ithaca:Cronell University Press, 1963),pp.91-93.
11 伊藤英俊「海上戦力」(『安全保障学入門』亜紀書房、 1998年)。
12 Ken Booth,Navies and Foreign Policy(New York:Holmes & Meier Publishing,INC,1969),pp.15-25.
13 James Cable,Gunboat Diplomacy, 1919-1981 - Political Applications of Limited Naval Force(New York:St.Martin's Press,1994),pp.7-15.
14 Naval Warfare Pubilication - 1:Strategic Concepts of the U.S. Navy(Rev.A),
(Washington:U.S.Naval Warfare Publication Library,1990).
15 John M.Shalikashvili, Chairman of the Joint Chief of Staff, 1995 National Military Strategy (Washington:Government Printing Office, 1996).
16 拙論「海洋力、 特に海軍力の価値」(『海幹校評論』第66号、 1974年3月)34-48頁。
17 Robin Laid,“Present at the Creation - TMD Strategy Evolues to Meet a Prolifer -ing Treat", Sea Power(October 1997),p.50.
18 Robert A.Scott,“Task Forces 77th in Action off Vietnum",(U.S.Naval Institute Proceeding, May 1972).
19 「1974年 上院軍事委員会議事録(1973年4月11日)」。
20 Aviation Week(10 October 1973),Army Times(5 December 1973).
21 拙論「海軍教育と練習艦」(『世界の艦船』第472号、1993年11月)141-144頁。
22 拙著「軍事力の意義と特徴」(前掲『安全保障学入門』。