ジョミニの戦争概論解題
1.ジョミニの兵学上の価値
『孫子の兵法』とクラウゼヴィツ(Karl von Clausewitz) の『戦争論』が西洋と東洋の戦略思想の相違が顕著なことから常に注目を集め、理論的には両兵法書の中間にあるジョミニの『戦争概論』は、影が薄いというのが読者の実感ではないであろうか。しかし、これら3冊の兵学書を入念に比較するならば、ジョミニが孫子やクラウゼヴィッツなどの古典的戦略論と近代戦略論とを結ぶ架け橋的な役割を果たしていることに気づかれるであろう。また、さらにジョミニの『戦争概論』を深く読むと、そこには時代や場所を問わず変わらぬ原理が存在するのではと、ジョミニが悩みつつ不変の原理を抽出していった過程にも気づかれ、より深い理解が得られるであろう。それでは、まずジョミニの戦略論の特徴とその後の発展について説明しよう。
ジョミニの戦略論の第1の特徴は「点」と「線」、運動による兵力集中などからなる幾何学的な戦争論にある。「点」には戦略要点・決勝点・目標などがり、「線」には「内戦作戦線」「外線作戦線」「離心作戦線」「副次作戦線」「不規則作戦線」「二重作戦線」など多様であるが、要点は「軍の主力を決勝点に戦略的移動により、継続的に勢いもって投入する」ことであり、それは各国の軍事ドクトリンで重視されている「機動と集中」である。ジョミニは作戦目標、作戦方向や作戦線を定め、戦略正面や戦略重心を決定し、そこへ部隊を移動させて勝利を収めことを説いているが、これこそ現代も変わらぬ軍事作戦の不変の原則である。

東洋の戦略家の代表である孫子の『兵法』と、ジョミニの『戦争概論』やクラウゼヴィッツの『戦争論』を見ると、孫子は「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり1」と、戦うことなく勝利することを理想とし、陰謀や策略などをともなう外交的、政治的駆け引きを極度に重視し、その戦略は「碁」を連想させる。一方、ジョミニやクラウゼヴィッツ、特にジョミニの戦略は綿密な数学的な計算を重視し、コントラクトブリッジを思い起こさせる。言葉を変えれば、孫子は戦争や戦略を広く捉え、戦闘場面のみならず、戦争に関わる外部の諸要素により多くの関心を払い、クラウゼヴィヅツは「戦争は一種の強力行為である、そしてかかる強力行為には限界が存しない」と、戦争の暴力的側面を過度に強調している。これに対してジョミニは「戦略とは地図上で戦争を計画する術であって、作戦地の全体を包含しているものである。大戦術とは、図上の計画と対照しつつ、現地の特性に応じて、戦場に部隊を配置し、これを移し、かつ地上で戦闘させる術である」と、大戦略と作戦レベルの戦略と二分し、決定的な戦略点あるいは目標点に兵力を集中せよと極めて明確である。
第2の特徴は佐藤氏も指摘している「仮説の設定」である。ジョミニは「将軍は合理的かつ十分な根拠のある仮説を組み立てることで、他の手段の不備を補うことができる」と、情報や過去の経験、さらには軍事的原則などを基に、「敵の可能行動についての合理的推測を行い、そして、これらの仮説のそれぞれに適した指導方針」を立案すべきとしているが、これこそ、多くの国々の軍事担当者が戦争計画の立案時に利用している敵が採用するであろう可能行動を列挙し、それに対応するわが作戦方針を策定し、彼我の行動方針を目的の適合性、実施の可能性と損害の受容性などで検討し、わが行動方針の優劣を比較し、最後に最良の行動方針を決定する近代的作戦計画立案の手法である。また、ジョミニは、「軍備の優越は勝利のチャンスを増大させる。それは軍備の優越自体で戦いに勝ものではないが、勝利の重要因子をなすものである」と、軍事上の発明や技術的進歩が軍事作戦や戦闘形態を変化させることを予言し、さらに驚くべきことは前装砲から後装砲に変わった技術水準の低い時代に、技術の進歩により無限界・無制限の人類抹殺の殲滅戦の危機を予見し、「国際法がこの種の発明に何等かの制限を付さぬ限り、隣国と同じ勢力を保とうとする競争は恐ろしいことではあるが、しかし、どうしようもない」と、核軍縮や軍備管理の必要性を、180年も前に予見していることである。
2.ジョミニ兵学の影響
ナポレオン(Bonaparto Napoleon)以降はフランス軍が弱体化し、ドイツ軍の軍事的優秀性が顕著となったため、クラウゼヴィッツの名声が高まりジョミニは忘れられてしまった。しかし、近代戦略に与えた影響という観点から見ると、クラウゼヴィッツよりはジョミニの方が大きい。ジョミニの「点と線の理論」は、アメリカ海軍の戦略家マハン(Alfred
Thayer Mahan)によって海上作戦に引き継がれた。マハンは1980年に発刊した『海軍戦略』で、ジョミニの集中の原則、中央位置および内線の戦略的価値、戦闘と後方支援との関係を取り入れ、集中こそ海軍作戦の「卓越した原則」であり、「敵の一部に対して味方の戦力が優勢になるように配分し」、決勝点の理論から「敵艦隊を他のすべてに勝る最高の目標とすることが、海軍作戦の健全な原則である」と艦隊決戦、特に主力艦(戦艦)の重要性を強調した。また、マハンはジョミニの後方支援線をシーレーン(海上交通線)に、戦略要点を基地に置き換え、シーレーンの安全確保が艦隊活動には不可欠であり、それを支える基地は「陸軍が要塞を必要としているように艦隊にとっても必要である」と基地の重要性を強調している。

その後、第一次世界大戦が起こりクラウゼヴィッツ流の無制限、無限的な戦争が多くの犠牲者を出すと、ヨーロッパにはクラウゼヴィツの理論に対する批判や回避が起こった。その先頭に立ったのがリデル・ハート(Basil Henry Liddle Hart)で、リデル・ハートは集中と大胆な機動、最小限のリスクとコストで戦争目的を達すべきであるとの「間接アプローチ戦略」を主張した。次いで陸上ではJ・C・F・フラー(J.F.C.Fuller)、シャルル・ドゴール(Charles de Gaulle)、ジョージ・パットン(George Patton)などの最新のテクノロジーで装備した高度に専門家した軍隊による集中と機動の電撃的攻撃により勝利を目指す戦術へと進み、それがグーデリアン(Heinz Guderian)によって戦車と航空機を連接させた空陸一体の電撃戦論へと発展した。また、ジョミニの理論はさらにイタリアのドゥーエ(Giulio Douhet)や、アメリカのミッシェル(William Mitchell)、セヴァスキー(Alexander .Seversky)などにより、航空機を戦車や戦艦のように決定的地点(政治経済中枢や工業地帯)に集中させるべきであるとの戦略爆撃論に発展していった1。
一方、皮肉なことではあるが日本では、陸軍作戦主体のジョミニの『戦争概論』は陸軍でなく、海軍の方が先に関心を抱いたようで、海軍では1903年(明治36年)に八代六郎大佐(のちの海軍大臣)が海軍大学専攻科学生の課題対策として英語版の『兵術要論(Art of War)』を適訳し、それにイギリス陸軍のハルト少将(Peter T.Halt)の『兵術の回想(Recollection on the Art of War』を加えて、『兵術精髄』として提出し、それを1903(明治36)年に出版したが、八代大佐は緒言でこれら2書を「熟読玩味シ原理原則ヲ咀嚼消化シ、之ヲ実践ニ活用スルヲ得バ、其人ハ必ズ名将トナルベシ」と書き、高くジョミニを評価していた。その後、この『兵術精髄』は1940(昭和15)年に再び連合航空隊司令部から復刻再版されている。陸軍は幕末から明治初期まではフランスの兵制をとり、フランスの影響を受けていたが、途中からドイツ方式に切り替えメッケル(Klemens Wilhelm Jacob Meckel)などを招聘したため、フランス兵学が軽視されクラウゼヴィッツやルーデンドルフ(Elich Ludendorff)7などのドイツ兵学に傾斜してしまった。もし、陸軍がジョミニをもう少し研究し重視していれば、ジョミニの次に示す侵略的征服戦争介入への警告を少しは理解し、シベリア出兵や中国大陸での泥沼の戦争に引き入れられることもなかったのではないであろうか。
「武装住民はたとえどんな脇道でも、またそれがどこへ通じているかも詳しく知っている。その上彼らには、至る所で力を貸してくれる親戚、多数の友人がいる。彼らの指導者たちも、同じくその地方に通暁しており、侵略者たちのどんなに軽微な行動をも直ちに喚ぎ付け、その企てを打ち砕く最適の手段をとることができる。侵略者は相手側の行動について一片の情報をも持ち合わせず、これを察知すべき一切の条件を欠き、その携える銃剣以外に頼るものもなく、ただその部隊の集結によっていささかの安全を求める以外何らなす術もないのだから、まるで暗闇を手探りで歩くようなものである。..........こうして侵略者たちが、あたかもドンキホーテのように、水車めがけて突進している隙に、敵は後方連絡線上に出没し、守備に残された分遣隊を血祭にあげ、輸送隊や兵站部を襲撃し、後日侵入者たちがやむなく侵略を諦めねばならなくなるほど、この種の戦争を堪え難いものにする」。
3.ジョミニーの現代戦略上の価値
ジョミニーの戦略はベトナム戦争や2001年9月11日に始まった「新しい戦争」に、多くの示唆を与えるように思われる。この新しい宗教・民族戦争(ゲリラ戦)について、クラウゼヴィッツは外国の攻撃を受けた場合の国民総武装という観点から考察しているが、ジョミニは宗教や政治的イデオロギー戦争として論じている。そして、民族や宗教が関わる戦争、特に強硬な宗教的ドグマまたは世俗的ドグマ(イデオロギー)は「人々の熱狂心を煽り立て」るので、「激情の底に潜む悪の根を断ち切る」方策はなく、ただ、「時こそが一切の狂気や破壊教義にとっての真の救いである」と、イデオロギーや宗教的信念が絡む戦争の困難性と、敵国領土を侵略する征服戦争の危険性を警告している。
孫子やクラウゼヴィッツは政治指導者が軍事指導者の意見をよく聞き、低レベルの作戦の細部に干渉することはないであろうと、政治家が軍事問題を理解していることを前提としているのに対して、ジョミニは民権思想が強かったフランスの国情からか、「その才能や権力が500マイル離れた枢密院の意向に拘束されている将軍は、他の要素が同じであれば、行動の自由を持っている将軍にはかなわない。将軍が「彼のすべての自主的行動を妨害され、反対されるような場合は、その将軍が将帥として必須の能力を具備していたとしても、成功はおぼつかないであろう」。「私の意見では、戦争評議会は嘆かわしい制度であり、指揮官と意見が一致するときのみ有益である。.....評議会は単に諮問機関でそれ以上の権威を持つべきではなく、......もしそれが異なった意見を持つならば、それは単に不幸な結果を生むだけである」と、軍事的知識に欠ける政治家が作戦の細部に介入する有害性を過剰なまでに戒めている。
読者は孫子、クラウゼヴィッツやジョミニの主張が、時おり大きく異なってみえるかもしれれないが、それはあまりに字句どおりに受取るからである。例えば孫子は最も偉大な勝利は戦わず勝つとしているが、これは孫子の願望であり理想であって、孫子がその実現を確信していたことを意味するものではない。逆に、クラウゼヴィッツは戦闘や流血を伴わない勝利はめったにないと明言しているが、血を流さない勝利があることも認めている。このように自説を強調しているため三者間には一見大きな隔たりがあるように見える。しかし、三者の間には本質的に大きな相違はない。戦争や戦略の研究に際しては、相互の主張の相違や排他的な主張を探索するよりは、互いに補完し合い補強し合っている。すなわち、同じ間題に異なった面から光をあてていると考えて学ぶのが、戦争学を学ぶわれわれ研究者には必要ではないであろうか。2
参考
1
これらの戦略家については、ピーター・パレット(防衛大学校「戦争・戦略」の変遷研究会編『現代戦略思想の系譜』(ダイヤモンド社、1989年)Peter Paret,ed.,Makers of Modern Strategy:From Machivaelli to
Nuclear Age(Prinston University Press,1986)を参照。
2
孫子、クラウゼヴィッツ、ジョミニの戦争論の比較については、マイケル・ハンデル(防衛研究所翻訳グループ訳)『戦争の達人たち』(原書房、1994年)Michael I. Handel, Makers of War:Sun Tzu, Clausewitz and
Jomini(Frank Cass & Co. Ltd.,1922)を参照。