第4章 21世紀に於けるわが国への石油資源輸送ルート(シーレィン)に関する安全保障上の問題点)
(2001年の委託研究でデータは古いですが地政学的にはご参考になると思います。)
はじめに
シーレーン(SLOC:Sea Line of Communication)は相互に発展する国々の経済活動を維持する動脈として、今日ますます重要性を増しつつあるが、それはシーレーンが世界の国々の発展に欠くことのできない膨大な物資の輸送を支える通行料無料の「海の公道」であるからである。冷戦構造崩壊以前には、アメリカの卓越したシーパワーが存在していたため、シーレーンは比較的安定していた。しかし、冷戦構造が崩壊し新国連海洋法条約(以後、新海洋法条約と略記す)にともなう海洋資源の利用権、群島水域の通航権問題、水産資源や海底資源をめぐる島嶼などの領有争い、さらには海賊問題などが生起し、シーレーンの安全と海洋の自由な利用に暗い蔭を落としている。特に懸念されるのが、西沙・東沙群島を武力で占領し、南沙群島に強引に割り込み、さらに台湾解放や尖閣列島の領有権を主張する中国の動向で、中国が脆弱なアジア太平洋海域のシーレーンに潜在的な不安要因を与えている。本論は与えられた2つの命題である「シーレーンの防衛、安全保障上の問題点」と、「わが国近海におけるシーレーンと中国の影響」について、アジア太平洋海域のシーレーンの安全を確保するために、日本は強大国の中国に対してアジア諸国とともに、今後いかにかかわって行くべきかを答申するものである。
1.シーレーンと石油
(1)わが国の資源の海外依存状況
資源小国の日本は、多くの資源を海外に依存しているが、石油が99.7%、鉄鉱石が100%、銅鉱が99.9%、ニッケル鉱が100%、食糧では穀物が72.9%、豆類が95.5%と、欧米諸国に比べると、第1表に示すとおり石油だけでなく、日本の生存を支える多くの資源を海外に依存しており、国家の安全保障を考察する場合には、これらの資源がシーレーンを通って、日夜絶えることなく運ばれている事実に留意する要があろう。
ところで、これらの物資はどこから、どこを通って日本へ運ばれて来るのであろうか。また、今後、これらの物資、特に石油の所要量はどの程度になるであろうか。『日本の海運の状況』などによると、1999年(推定)の世界の海上輸送量は、トンベースで51億トン、わが国の輸送量は輸出が1億500万トン、輸入が7億4886万トン、総計8億5386万トンで、世界の海上輸送量に占める割合は16.7%であった。また、運ばれている物資の内訳を見てみると、石油(原油及び石油製品)が37.1%で最も多く、次に石炭、鉄鉱石、小麦などと続き3品目を合わせたシェアは21.5%を占めている1。
第1表 主要国の主要物資の海外依存度。
^日本 | 米国 | ドイツ | 英国 | フランス | |
石油 | 99,7 | 52,1 | 97,5 | 0,0 | 97,2 |
石炭 | 97,5 |
0,3 | 33,0 | 34,2 | 80,0 |
エネルギー | 79,9 | 21,0 | 59,8 | 00,0 | 48,8 |
鉄鉱石 | 100,0 | 23,1 | 100,0 | 100,0 | 100,0 |
銅 | 99,9 | 31,1 | 100,0 | 100,0 | 100,0 |
鉛 | 98,4 | 74,2 | 100,0 | 99,3 | 00,0 |
亜鉛 | 90,4 | 53,9 | 100,0 | 100,0 | 00,0 |
ニッケル | 100,0 | 98,9 | 100,0 | 100,0 | 100,0 |
穀物類 | 72 | 0,0 | 0,0 | 0,0 | 0,0 |
豆類 | 95,0 | 0.0 | 73.0 | 0,0 | 0,0 |
肉類 | 44,0 | 3,0 | 11,0 | 19,0 | 0,0 |
牛乳・乳製品 | 29,0 | 0,0 | 0,0 | 8,0 | 0,0 |
これらの輸入状況を地域別に図示すると、別紙第1第1図「地域別輸入量の状況(平成9年度)」の通りで、中東からが2億2218万トン(28.8%)、大洋州からが1億7322万トン(22.8%)、アジアが1億4322万トン(18.4%)、北米が9787万トン(12.0%)、中南米が5507万トン(7.0%)、中国が4302万トン(5.7%)、欧州が889万トン(1.1%)、その他が5.3%となっている。
また、石油は輸入総量の99.7%中、アラブ首長連合連邦が26.3%、サウジアラビアが25.9%、イランが9.9%と、中東からの輸入が62.1%を占めている3。アメリカの国防大学国家戦略研究所の研究によると、日本の消費量はなだらかな増加に推移しているが、アジア太平洋地域の1995年の中東からの石油の輸入比率は65%であったが、2000年には67%、2010年には77%に増大すると予測している4。
(2)シーレーン上の緊要地点
1986年2月の記者会見で、レーガン大統領はシーレーン上のチョークポイント(Choke
Point)と呼ばれる軍事上の緊要地点(別紙第1第2図)を示したが、石油の輸送経路とチョークポイントとの関係はどのようなものであろうか。また、石油はどのようなシーレーンを通って運ばれているのであろうか。石油をカスピ海から日本へ運ぶには、黒海経由の場合にはボスポラス海峡、スエズ運河、紅海からインド洋への出口であるバベルマンデブ海峡へと向かう、一方、カスピ海からペルシャ湾経由の場合にはフォルムズ海峡を通り、いずれもインド洋を横断してマラッカ海峡あるいはロンボク海峡を経て南シナ海に入る。
石油が通過するチョークポイントの状況を見ると、黒海を経由する場合にはボスポラス海峡を通るが、ボスポラス海峡の1999年中の通過船舶は4万7906隻(パイロットを必要とする大型船舶は1万8424隻程度)、総通峡船舶中のタンカーの比率は29,3%の5404隻であった。しかし、航路幅が狭く1995には4件であった事故(衝突や座礁)が1998年には11件、1999年には16件に増加している5。また、ボスポラス海峡がイスタンブールという都市を縦断するため、環境保全に対する規制が極めて厳しく、2000年11月には中国(香港)がロシアから購入した未完成空母ワリヤグの曳航による通峡を、危険でるとの理由で拒否したと報じられていることからも、多量の大型タンカーの通峡は不可能であろうと考えられる6。
次のチョークポイントであるスエズ運河の通過船舶は、年間1万4300隻(1999年度)で、パイロット乗船義務があることから、多量の通峡には問題がある。なお、スエズ運河の1998年の1ヶ月間の総通峡船舶は1128隻(日平均37.6隻)、通峡船舶中のタンカーの比率は1997年が193隻、89年が162隻で、全通過船舶に対するタンカーの比率は約12%、輸送された石油および石油製品は南行が60万7000トン、北行が15万5000トンであった7。アフリカ又はスエズから北東アジアヘ向かう船舶は、インドネシアが新海洋法で認められた排他的経済水域(EFZ: Exclusive Economic Zone)を通過する。この排他的経済水域にはマラッカ海峡やロンボク海峡が含まれるが、マラッカ海峡はヨーロッパや中東地域から東南アジア、北東アジアへの最短距離の海峡で、英仏海峡に次いで船舶の往来が激しく、1年間に4万1800隻が通峡している8。マラッカ海峡の問題点は航路幅と水深で、海峡南端のOne Fathan Bank付近の航路幅は1.5マイル、水深は21.1〜22.9bしかなく、超大型船の場合には潮待ちをしなければ通峡できないという問題がある。マラッカ海峡を迂回する場合には、バリ島とロンボク島の間のロンボク海峡、次いでカリマンタン(ボルネオ)島とスラウェシ(セレベス)島との間のマカッサル海峡を通るが、この海峡は水深は150bで、インドネシア群島を通ずる海峡の中では唯一喫水制限がない。しかし、中東からの船舶がこの海峡を通過する場合には、約1500マイル、3日から5日の航海日数の増加となる。とはいえ、この海峡はオーストラリアにとっては、鉄鉱石や石炭の北東アジアへの輸出上もっとも重要な航路帯となっている。
一方、スンダ海峡はスマトラ島とジャワ島の間の海峡で、喜望峰回りで北東アジアに向う船舶にとっての最短距離の航路である。しかし、航路が複雑で喫水制限があるため、10万トンを超える船舶はロンボク海峡を使用し、国際的な航路としての使用頻度は低い。ロンボク海峡の東側にオンバミ・ウエター海峡やトレス海峡などがあるが、航路標識などが未整備で国際的な船舶の航行にはほとんど使用されていない。このほかに地理的には戦略海域ではないが、紛争などが発生した場合にシーレーンの安全を左右する海域として南沙群島周辺や台湾海峡、さらに尖閣列島周辺や東シナ海などがある。現在、ASEAN諸国などの間で高まっている懸念は、南沙群島をめぐるシーレーン遮断の可能性、すなわち、南沙群島周辺海域の海底油田をめぐる紛争である。紛争が生起した揚合には、迂回航路となり輸送経費が増加し、経済的に大きな影響をもたらすであろう9。
(3)シーレーンの経済的依存度
次にこれらのシーレーンをどの程度の船舶が通過しているかを見てみたい。アメリカの国防大学国家戦略研究所のノーエ(John H.Noer)教授は、1993年のデータを基に、全世界の1000トン以上の外航船舶2万6164隻の延べ220万回の航海データを集計し、東南アジアのシーレーンを通過した8842隻の延べ9万4000回にわたる航海を分析し、別紙第2・第3に示すようなチャートを作成した10。
別紙第2の第3図は北東アジア諸国の産業を支える原油、石油製品、第4図は石炭・コークス、別紙第3の第5図は鉄鉱石を運ぶ北行船舶の航跡を輸送量(重量)で、第6図は北東アジアから東南アジアやヨーロッパヘ、主として工業製品を運ぶ南行の船舶の航跡を輸送量(重量)で示したものである。これらの図によれば、石油はペルシャ湾がマラッカ海峡を通過する最大の出発地となっており、ロンボク海峡を通過する貨物の大部分は、石炭と鉄鉱石で、オーストラリアを出発地としている。これらの図から最大の仕向地が日本であり、日本や東南アジア諸国の発展と繁栄が、シーレーンの安全とアクセスの確保、つまり「航行の自由」に大きく依存していることが理解できるであろう。
また、別紙第4の第7図および第8図は輸送された積み荷の出発地と到着地を重量と価格で示したものであるが、この図によれば、北東アジア(日本、韓国、台湾や香港)には原料が運ばれ、北東アジアからは製品が東南アジアとヨーロツパヘ流れ、ヨーロッパが最大の到着地であり、日本が最大の原材料の到着地、工業製品の搭載地となっている。なお、第2および第3表の「東南アジアのシーレーンを通過する地域間輸出入」は、東南アジアの各シーレーン(ロンボク海峡、マラッカ海峡、南沙群島、スンダ海峡)を通過する貨物を国別に重量と価格で示したものである11。
第2表 東南アジアのシーレーンを通過する地域間輸出
国・地域 | トン(100万トン) | 価格(10億ドル) | 国別比率 |
日本 | 33,6 | 153 | 42.4% |
NIES | 24,7 | 78 | 25,7% |
オーストラリア | 133,6 | 17 | 39,5% |
中国 | 8,9 | 20 | 21,8% |
ヨーロッパ | 40,8 | 107 | 6,8% |
東南アジア | 171,2 | 114 | 55,4% |
米国 | 11,1 | 15 | 3,3% |
全世界 | 830,0 | 568 | 15,1% |
(NIEs:韓国、台湾及ぴ香港、ヨーロッパ:東欧及び地中海地域を除く)
(4)船舶と港湾の問題
地球表面積の3分の2を占める海洋は、燃料、1次産品や工業製品など、多量の物資を輸送する上で最も安価で効率的な輸送手段を提供するものであるが、最近では航空輸送が増加し、1995年の統計では航空輸送が1300万トン、金額的には28,9%を占めるに至った。しかし、重量的に見れば全輸送量の0.3%に過ぎず、いまだ99.5%(46億780万トン)の物資が船舶によって運ばれている12。
1999年末のわが国の商船隊の船腹量は、1996隻(672.7万トン)で、日本籍船は154隻(1128万トン)、世界に占める割合は隻数ベースで7.7%、トン数ベースでは16.8%であるが、日本籍船の比率は年々減少傾向にある。一方、外国雇船はパナマ籍が隻数で1283隻(全体に対すシェアー64.2%)、トン数では3.808万トン(同56.6%)、リベリア籍が142隻(同7.8%)で、重量では492万トン(同8.2%)など便宜置籍船が多く、日本籍船は1972年の1580隻をピークとして、長期的に減少傾向が続いている。これは全日本海員組合のユニオンショップ制による船員給与の高額化、割高な船舶登記料や固定資産税などにより、国際競争力を失ったことに起因している13。
第4表 日本船舶の構成変化(日本籍と外国籍の変化)
1985年 | 1028隻 | 878隻 | 529隻 | 2434隻 | |
1990年 | 449隻 | 1053隻 | 490隻 | 1992隻 | |
1995年 | 218隻 | 1154隻 | 627隻 | 1999隻 | |
1999年 | 154隻 | 1083隻 | 759隻 | 1996隻 |
一方、グローバル化する経済活動の進展に伴って、船舶の船籍移動や便宜籍船化が進み、現在では船舶1隻の国籍を正確に把握することさえ厄介な問題となっている。一例を挙げれば、ある貨物船は所有者は中国人(香港)、運用資金の出所が日本、登録はパナマ、乗員は船長が日本人で機関長が韓国人、船員がフィリピンやベトナム人、保険はロイドでイギリス、輪送物資はマレーシア製の日本の家電部品ということさえ珍しくないという。一方、船舶の多国籍化・雑国籍化は船員教育や船舶の整備面の不具合、さらには有事に船員が不足し、輸入所要量が確保できないという国家の生存基盤に関する問題を提示している。しかし、新規採用枠が少なく、船員の高齢化が進み、現在のまま推移すれば、10年以内には日本人の船長が皆無となるともいわれている。有事の際に日章旗を掲げた船舶(日本籍船)でないと、法的に海上自衛隊は護衛が出来ないが、そのような状況となったときに、荷主や船主が危険海域に船舶を就航させるか、外国人船員が生命の不安を感じながら日本のために働くかという問題もある。
船舶で運ばれた物資は、石油の場合には大部分が各地の石油専用埠頭に運ばれるが、問題は今後の発展が予想されるコンテナー輸送で、わが国の発着貨物の約10%に当たる8801万トンの82.4%はコンテナであるが、これらのコンテナーは大型コンテナー船で高雄、香港、釜山などのアジアのハブ港に運ばれ、そこから小型コンテナー船で日本各地の港湾に運ぶ傾向が顕著となり、日本の港湾の地位は第5表に示すとおり年々低下傾向にある14。その理由は、日本の港湾での深夜荷役作業の拒否、高額な係船料、陸揚げ後の高額な陸送経費、コンテナー埠頭の水深不足などにあると言われている。
第5表 コンテナー港の世界ランキングの推移
香港 | シンガポール | 高雄 | 釜山 | ロッテダム | 上海 | 東京 | 横浜 | 神戸 | |
世界順位(99年度) | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 7 | 13 | 18 | 18 |
世界順位(98年度) | 2 | 1 | 3 | 5 | 4 | 10 | 15 | 18 | 20 |
2.石油輸送ルート上の問題点
(1)新国連海洋法上の問題点
1994年に新国連海洋法が発効し、沿岸国の沖合200海里までの水域が、排他的経済水域として認められ、海底資源や環境などに対する主権的権利や管轄権が認められた。このため、世界の海洋の約49%がいずれかの国の管轄下に置かれることとなったが、新海洋法は次の条文が示すとおり、航行の自由を認めている。
@外国船舶は、群島水域で無害通航権を有する(52条1)。
A群島国は、自国の群島水域とこれに接続する領海及びそれらの上空に、外国船舶及び航空機の継続的かつ 迅速な通航に適した航路帯及ぴ航空路を指定することができる(53条1)。
Bこの場合、外国船舶及び航空機には群島航路帯通行権が保証される(53条2)
しかし、問題は「群島国は自国の安全保護のため不可欠な場合には、群島水域の特定の水域において、外国船舶の無害通航を一時的に停止することができる(52条2)」とか、群島航路帯通航権とは「通常の形態での航行及ぴ上空飛行の権利(53条3)」であり、「通過のためにのみ行使される(53条3)」という条項が記載されていることである。このため、この条項を楯に排他的経済水域内での空母の飛行作業や対潜護衛隊形の保持の禁止、潜水艦の浮上航行義務を課そうとする動きも生じつつある。
また、一部の沿岸国では権利の主張が先走り、海洋資源の取得、それに絡む管轄水域の境界確定や島嶼の領有権をめぐり、シーレーン利用国との間で対立を生み出している。例えば、インドネシアは新海洋法により別紙第5第9図に示す広大な海域を管轄下に置くことが認められ、マラッカ海峡、スンダ海峡やロンボク海峡など、アジア太平洋地域とヨーロッパ、中東地域、あるいはオーストラリアを結ぶ重要航路帯の安定的な使用に直接影響を及ぼす国家となった。しかし、インドネシアが認める国際海峡は第10図に示すとおり限られたもので、アメリカなどが主張する国際海峡(第11図)との間には差違が生じている。このように沿岸国の主張が過剰になると、海洋は各国の管轄水域ごとに分割化され、国際杜会の経済的発展に不可欠な「航行の自由」そのものが犯される恐れも懸念される。
また、大陸棚の核兵器禁止問題も、米国とアジア諸国との間には差違がある。すなわち、ASEAN諸国は、歴史的に海洋との関わりが少なく、沿岸海域での海軍活動を規制することによって、海洋の平和が保たれると考える傾向があり、1995年12月に東南アジア非核地帯条約(SEANWFZ:South
East Asian Nuclear Weapon Free Zone)を締結した。しかし、アメリカはこの条約が「海洋の自由」を制限するものであると、次のような抗議を発している15。
「現時点で同条約への支持を控えさせる最も重要な争点の一つは、経済的排他水域と大陸棚を『非核地帯』に含むという条項の存在である。我々は、これは国際的に認められた公海上の航行およびその上空の飛行の自由に反するものと考える。東南アジア非核地帯条約が、公海上の自由が存在する海域においてさえも、条約を締結していない国に対し、同意なしに一定の義務を課すという点において、国連海洋法と矛盾し、(中略)さらに条約の及ぶ範囲を経済的排他水域や大陸棚にまで拡大することは、海洋の国境線の不明確さゆえに、新たな紛争をもたらす可能性があることを懸念する。(中略)そもそも、条約範囲に経済的排他海域や大陸棚を含むのは、当該水域における公海上の航行および飛行の自由原則に矛盾する。各国の領海を超えた世界中の海域で行使されるこれらの権利は、いかなる国の艦艇や軍用機に対しても、それが他の国の諸権利や安全な活動、そして艦隊・航空作戦の妨げにならない限り、あらゆる機動部隊の活動や航空作戦、訓練演習などの実施を許している。現行の条約規定は、他の航行上の権利、たとえば、領海や群島水域の無害航行、国際海峡の通過に関する権利、群島に沿ったシーレーン航行の権利などに制限を加えるものではないが、我々は同条約が公海上の自由航行にもたらす影響に懸念を表する」。
(2)海賊とテロの問題
1992年10月にマレーシアのクアラルンプールに、国際海事局(IMB: International Maritime Bureau)の下部機構として、地域海賊センターが設立された。その統計に依れば、海賊の発生海域と回数は第6表のとおりである16。次に海賊行為の傾向と特徴を述べれば、1992年から1994年初頭にかけては、香港からルソン島、海南島を結ぶ海域や南シナ海、次いで東シナ海域、さらにマラッカ海峡へとシフトしたが、発生件数が最も多いのが、マラッカ・シンガポール海峡およびインドネシア周辺海域を中心とする東南アジア海域である。発生件数は、統計が取られ始めた1994年には90件、1995年には188件、1996年には228件、1997年には247件、1998年には202件と多少は減少したが、1999年には309件に急増し、さらに1998年9月には天佑丸事件(14名殺害)、1999年にはアランドラ・レインボー事件(2週間後に17名を解放)など、海賊行為の大規模化や組織化が進んでいる17。
このほかに、国籍不明船による威嚇発砲31件、臨検23件、器物破損2件、略奪行為3件など総計72件の特異事象が、1991年3月から93年6月にかけて、東シナ海で発生した。これは軍服を着た中国人が、パトロール・ボートに乗って銃撃する事例が多く、このため1993年の半ばには、ロシア海軍が艦艇を派遣し、日本政府は来日した中国外相に、両国沿岸警備当局間で、東シナ海における船舶航行問題に関する協議を行うことを提案したところ、翌年には1件に減少した。この事象の真意や背景は不明であるが、杏林大学の平松茂雄教授は、日本漁船の東シナ海から排除し、「中国の支配下の海」とするのが目的ではなかったかと見ている18。
第6表 海賊行為発生状況
1995年 | 1996年 | 1997年 | 1998年 | 1999年 | |||
東アジア | 外国船 | 80 | 133 | 109 | 100 | 173 | |
日本船 | 5 | 10 | 12 | 14 | 28 | ||
インド洋 | 外国船 | 15 | 30 | 41 | 25 | 51 | |
日本船 | 1 | 0 | 1 | 1 | 7 | ||
アフリカ | 外国船 | 15 | 28 | 41 | 41 | 52 | |
日本船 | 0 | 1 | 2 | 4 | 1 | ||
南アメリカ | 外国船 | 20 | 32 | 45 | 38 | 29 | |
日本船 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | ||
その他 | 外国船 | 2 | 5 | 16 | 6 | 4 | |
日本船 | 0 | 0 | 3 | 0 | 2 | ||
総合計 | 外国船 | 132 | 228 | 252 | 210 | 309 | |
日本船 | 8 | 11 | 18 | 19 | 39 |
また、この他に、テロ国家やテロリストによる港湾や運河、海峡等への隠密の機雷敷設や、船舶へのロケット(ミサイルを含む)攻撃、船舶自沈による港湾の封鎖、船舶に対するテロ攻撃(2000年9月にはアデン港で、アメリカ駆逐艦コールへの自爆テロがあった)なども考えられる。また、荷役施設や運行管制システムなどへの攻撃などに対する防衛は難しく、多様な機能が統合された海上輸送システムは脆弱であり、低次元の武力攻撃でも重大な被害を受けるという特質を持っている。
3.シーレーン上の海域別問題点19
(1)南沙群島問題
マラッカ海峡を通過後のシーレーン上で、紛争が生起する可能性が考えられる海域は、南沙群島周辺、台湾海峡、尖閣諸島周辺や東シナ海などであるが、これらの問題に大きくかかわっているのが中国である。1974年1月に中国は海空軍力を派遣して、当時南ベトナムが領有していた西沙群島(英語名Paracel Is、ベトナム名 Hoang Sa)を占領し、最大の島である永興島(英語名Woody I、ベトナム名Phu Lam)に、1988年前後の約1年間の間に長さ2600bの飛行場を整備した。次いで中国は南沙群島(英語名Spratly Is,ベトナム名Truong Sa)に進出したが、南沙群島には180余の島・岩礁・沙洲はあるが、面積が100平方b以上の島はわずかに7つしかなく、大部分が岩礁・沙洲などであり、わずかな人間の住める島嶼は別紙第6第12図に示すとおり20、台湾・ベトナム・フィリピン・マレーシア・ブルネイなどの5カ国が領有しており、中国は建国以来南沙群島の領有権は主張していたが、1つの岩礁も領有していなかった。
1980年代にはいると、中国海軍の艦艇が南沙群島周辺海域に展開するようになり、その援護下に国務院国家海洋局所属の海洋調査船が海洋調査を始めた。そして、1987年夏には南沙群島海域で軍事演習を行い、翌88年3月にはベトナム海軍と交戦の末に、南沙群島の赤爪礁(Jnhnson Reef)など6つの小さな岩礁を占領した。軍事衝突の契機は、ベトナムが領有権を主張するこれらの環礁に、「中華人民共和国」の標識を建てたことから始まったが、圧倒的な海空軍力を動員した中国軍にベトナム軍は惨敗した。そして、中国は満潮になると海中に没してしまうような岩礁に、鉄パイプとアンペラで高床式の掘立小屋を建てたが、2〜3年後には軍艦島のような恒久施設を建設した。この紛争は、1987年2月に中越国境での軍事活動の相互抑制と、国境貿易の開始に関する暫定合意が成立し、中越和解に向けた動きが始まった矢先のことであった。
次いで中国は1975年に、国交回復で訪中したマルコス大統領、1988年に訪中したアキノ大統領とケ小平副主席との間でも、南沙群島については「通常の外交チャンネルで、友好的協力的な交渉」により解決することで合意に達した。また1993年に訪問したラモス大統領と江沢民主席は、紛争の棚上げと共同開発を表明した。しかし、1992年にアメリカ軍がフィリピンから撤退すると、それに合わせるように、フィリピンが領有していた南沙群島(フィリピン名Kalayann Is)南西部の、満潮時には一部水没するミスチーフ(フィリピン名パンガニバ、中国名美済)環礁、ハーフ・ムーン(半月礁)、 ファースト・トーマス(仁愛礁)、 セカンド・トーマス(信義礁)などに高脚式建造物を建てていた。フィリピンの抗議に中国政府は、「地方当局の漁業部門が建てた漁船の防風避難施設であり、 南沙群島での漁民の生命と操業の安全を守るための施設である」と弁明しが21、その後も建設は続いたのであろう。1995年2月にラモス大統領は、ミスチーフ環礁に揚陸艦、 補給艦、 海洋調査船2隻など9隻の艦艇が在泊している写真を公開し抗議した。しかし、1998年末から1999年初頭には恒久的な施設の建設を完了し、さらに、駐屯する人民解放軍兵士の生活インフラ(海水の淡水化装置、野菜などの水耕栽培装置、直通電話)などの整備を進めている模様である22。
中国は軍事力で支配しながら、一方で紛争の「平和解決」を主張しているが、交渉を当事国の2国間交渉に固執し、多国間協議による解決に反対している。また、中国は領土間題の「棚上げ」、海底資源の「共同開発」を主張しながら、他方で海軍力を誇示し、あるいは実力を行使している。中国の主張する「共同開発」は、南沙・西沙その他の島嶼は中国の領土であり、南シナ海は中国の「歴史的水域」であるとの立場を前提とし、中国は南シナ海の島嶼を実効支配したからこそ、「棚上げ」による「共同開発」あるいは「平和解決」を主張しているのである。
その後、1999年5月と6月には、フィリピン海軍がカラヤン群島付近で操業していた中国漁船を銃撃・撃沈したが、6月には同海域を哨戒中のフィリピン機がベトナム軍に発砲される事件も生起している。また、7月にはマレーシアが新しい建造物を建設したことが確認されるなど、各国が実行支配を確立しようと対立はエスカレートしている。このため紛争の予防を目的に、1999年7月のASEANフォーラムで、フィリピンが同海域での今後の新たな島や環礁の占領や、支配を禁止する「行動規範」を提案した。しかし、この提案は中国のみならず、ASEAN諸国間にも思惑の相違があり、採択されるには至らなかった23。そして、このような中国の南進や新海洋法の施行、ASEAN諸国の経済力の増加が軍拡に向かわせ、1980年から2000年を比べると下表に示すとおり、インドネシアが123%、マレーシアが159%、シンガポールが174%、タイが133%の兵力増強を行っている24。
第7表 ASEAN諸国の総兵力の推移
インドネシア | マレーシア | フィリピン | シンガポール | タイ | |
1980^年 | 241,800 | 66,000 | 112,800 | 42,000 | 230,000 |
1986年 | 281,000 | 110,000 | 113,000 | 5,500 | 256,000 |
1992年 | 276,000 | 132,400 | 106,500 | 55,500 | 283,000 |
2000年 | 298,000 | 105,000 | 110,000 | 73,000 | 306,000 |
軍拡で特に顕著なのが海軍で、タイは1997年8月に空母(垂直上昇戦闘機ハーリア6機とヘリコプター4機を搭載)を購入し、アメリカから駆逐艦2隻(期間5年間)の貸与を受け、フリゲート艦4隻(船体のみで武装は西欧製)と補給艦1隻を中国で建造したが、さらにフリゲート艦2隻を中国で建造中である。また、国産のコルベット艦3隻(630トン)を建造し、現在は改良型(645トン)3隻を建造中である。フィリピンはミスチーフ問題を契機に、1995年6月には総額54億ドルの軍備更新計画を発表した。しかし、財政難から現在のところあまり進展していない。このため、海軍兵力としては、1940年代に建造された旧式のフリゲート艦1隻とコルベット艦10隻が主力で、新規に増勢された艦艇は、香港返還時にイギリスから購入したコルベット艦(690トン)3隻に過ぎない。
マレーシアはイギリス製のフリゲート艦(2270トン)2隻と、イタリア製のコルベット艦(705トン)4隻を1997年から98年に取得したが、さらにアメリカから揚陸艦(8450トン)を購入した。また、購入は見合わせられたが、インド・パキスタン・オーストラリアなどに潜水艦要員の訓練を依頼中との情報もある。ブルネイは1995年に大型警備艦艇3隻をイギリスに発注したのをはじめ、豊富な外貨で軍備の近代化を進めているが、ベトナムは財政難からあまり進展していない。シンガポールは、1995年にスエーデンに潜水艦(1210トン)4隻を発注し、2000年中に3隻が回航されている。特に、シンガポールは海軍力の整備に力を入れ、ドイツ製のコルベット艦(595トン)6隻に加え、国産のコルベット艦(500トン)12隻と、ヘリコプター搭載揚陸艦(8500)4隻を建造中で、これら艦艇は2001年にはすべて完成する。
島嶼国家で海岸線が長く、多数の艦艇を必要とはしているが、財政難からインドネシアは東ドイツからコルベット艦(769トン)16隻、掃海艇9隻、揚陸艦(1950トンと1700トン)14隻など39隻を一括購入し、中古艦艇で兵力を維持しようとしている25。このように、新海洋法の採択にともなう海洋資源への思惑から、ASEAN諸国には軍拡ブームが起こり、アジア地域が世界の武器輸出の最大の市場を提供しているが、この軍拡で憂慮されるのは、これらの国々が弱者の兵器であり、同時にシーレーンの攻撃に最適な潜水艦を重視していることである。
第8表 アジアの潜水艦保有国(Military Balance 1999/2000)
中国 | 韓国 | 北朝鮮 | 台湾 | インドネシア | シンガポール | オーストラリア | 日本 | |
71 | 19 | 26 | 4 | 2 | 3 | 4 | 16 |
(2)台湾と台湾海峡問題
1999年10月1日の建国50周年の軍事式典の祝辞で、江沢民国家主席は「覇権主義に反対し、世界の多極化を推進する」として、「富国強兵、近代化、祖国統一(台湾統一)」と、台湾の併合を改めて明言した。昨年8月には1999年に引き続き、台湾を統轄する南京軍管区が、11万人を動員して上陸演習を実施するなど、武力を用いた恫喝を加えているが26、昨年10月には『国防白書』で、台湾が統一問題の平和解決を無期限に拒む場合には「武力行使を含む断固たる措置をとる」と台湾当局に警告した27。このような声明の発表や、台湾海峡でのミサイル発射や軍事演習は、中国が台湾独立とい国家主権がかわる問題に対しては、武力行使を辞さないことを内外に示したものであるが、中国は台湾を武力を用いて併合するであろうか。
中国が武力を用いるか否かについては、中国の戦争観や歴史観を検討する必要があろう。中国の戦争観の第1の特徴は、伝統的な『孫子の兵法』の、
「不戦而屈人之兵 善之善者也(戦わずして人の兵を屈するは、 善の善なるものなり)」との権謀術数の政治手段を重視する戦略である。しかし、
最近の歴史を見ると、西沙群島や南沙群島の占領、 チベットの弾圧など、 必要とするときには躊躇なく「兵勝貴
不貴久(兵は勝つを貴ぶも久しきを貴ばず)」と、 圧倒的軍事力を使用し、 短期間に決着を着ける傾向が目に付く。
また、 中国の戦争で目立つのが戦争に対する自己正義感で、 中国軍事科学院が作成した『局地戦争概観28』には、
チベツト民族の弾圧を、 「チベットは、 中華人民共和国の神聖な領土の一部である」。
進駐した人民解放軍は「真剣に『三大規律八項注意』を実行し、 広汎なチベット族人民の支持と熱情あふれる歓迎を受けた」。
が、 しかし、 「チベット上層部反動集団が、反革命武装反乱を起こしたので鎮圧した」として、
「反乱平定作戦」との名称を付けている。 1979年のベトナム領内への進攻作戦については、
「祖国の国境を守るために、 ベトナムの地域的覇権主義に対して自衛反撃作戦を行った」のであり、
この戦争によって「ベトナム侵略者を処罰する目的を達し、 それは中国人民解放軍の歴史上に壮麗な一章を加えた」と自賛している。
また、 西沙群島や南沙群島の占領については、 南ベトナム反動当局が「神聖な中国領土」を、
不法に占領したので「自衛反撃を行い占領された島嶼を回復した」と、 「自衛反撃作戦」との名称が付けられている。
なお、 前掲の『局地戦争概観』によれば、 中国が第2次世界大戦後に行った戦争とその名称は次の通りで、この表から中国が必要とする時には、戦争に訴えても国家目標を実現してきたことが理解できるのではないであろうか。
第9表 中国が第2次世界大戦後に行った戦争
回数 | 中国が呼称する戦争名 | 戦争期間 | 対象国など | |
1 | 朝鮮戦争 | 1950年6月53年7月27日 | 対国連軍 | |
2 | 東山島上陸抵抗作戦 | 1953年7月16日-17日 | 対国府 | |
3 | 江山島解放作戦 | 1955年1月18日-19日 | 対国府 | |
4 | 金門島砲撃 | 1958年8月23日-78年12月 | 対国府 | |
5 | チベット反乱平定作戦 | 1959年3月-61年12月 | 対チベット | |
6 | インド自衛反撃作戦 | 1962年10月20日-12月21日 | 対インド | |
7 | 南シナ海の86海戦 | 1965年8月6日 | 対ベトナム | |
8 | 東シナ海崇武海戦 | 1965年11月14日 | 対国府 | |
9 | 中ソ「珍宝島」事件 | 1969年3月2日-17日 | 対ソ連 | |
10 | 西沙群島自衛反撃作戦 | 1974年1月17日-20日 | 対ベトナム | |
11 | 対ベトナム自衛反撃作戦 |
1979年2月-3月 |
対ベトナム |
※ 最近、人民解放軍・軍事博物館の展示室の表示が「援朝抗美戦争」と改められた
これらのことから、台湾解放時の武力行使は、台湾とのパワーバランスが崩れ、台湾の国民が中国の力に怯え、世界の国々が台湾を見捨てたとき生起する可能性があるが、戦いは本格的な武力衝突の形とはならず、最初は柔軟な海上封鎖の形を取り、封鎖などにより台湾に動揺が起こり戦局が不利になれば、台湾軍に「義起」と呼ばれる寝返りが起きるのではないか。それは中国の戦争で目立つのが、
陰謀策略の宣伝戦と内通、そして 「義起」という寝返りであったからである。国共内戦の例で見ると、起義は1949年2月初旬の国府海軍の砲艦「黄安」に始まり、
2月25日には、国府海軍の象徴的存在であった巡洋艦「重慶」が、 4月20日には、軍艦8隻と砲艇16隻からなる第2艦隊が司令官の発議で部隊単位で義起するなど、
戦局の不利に比例して増加し、 国府海軍は戦うことなく72隻の艦艇を失い、 蒋介石に従い台湾へ移動した艦艇は50余隻に過ぎなかった29。このような観点から台湾に対する軍事行動は、大規模侵攻作戦ではなく、海上封鎖による台湾の国際社会からの孤立化、そして『三国志』的な戦いの内通や義起へと続くのではないかと考えられる。
(3)尖閣・沖縄:東シナ海海域の問題点
東シナ海大陸棚で石油資源が最も豊富に埋蔵されているとみられている海域は、わが国と中国との中間線を挟んだ海域であり、どちらかといえば日本側の海域である。しかし、中国が「大陸棚自然延長説」に基づいて、東シナ海の大陸棚は中国に主権的権利があると主張していることに加え、台湾も領有を主張している尖閣諸島が所在し、さらに東シナ海大陸棚に対しては、韓国も権利を主張しているところから問題は複雑である。とはいえ、東シナ海の海底石油資源の開発が有望となれば、中国の関心が日本側の大陸棚に向くのは当然で、1980年代に入ると、日中中間線に沿った中国側海域の20数ヵ所で試掘を行ない、1995年12月には石油掘削リグ勘探3号が、 沖縄近海の日中中間線から日本側に入った海域で、 日本の警告を無視して試掘を続け、1998年には日中中間線近くの平湖ガス油田に採掘施設を完成した。さらに1999年10月には、日中中間線の約3マイル中国側の海域(平湖油田の南方百数十`bの海域)で、勘査3号が試掘を行い自噴に成功した模様である。
一方、中国の日本近海での海洋調査は、1994年ころから顕著となり、1996年には15件、1999年5月までに75回に達したが、特に1995年5月には向陽紅9号が1ヶ月以上にわたって、奄美大島から尖閣諸島にかけて海底調査を実施した。その後の調査活動は、沖縄本島と宮古島の間の海域を通って太平洋に至る海域に拡大し、2000年5月から6月(32日間)には、海氷723号が対馬・津軽海峡で、7月には東調232号が対馬から東海沖(大隅海峡経由銚子沖まで)まで行動した。このように最近の調査活動は単なる海洋調査ではなく、日本の防空能力の解明に必要な電子情報や潜水艦作戦に必要な軍事情報の収集へと変質し、調査回数も1997年には4件であったが、1998年には14件、1999年には30件に増加した30。
これとともに注目されるのが中国海軍の動きで、海軍艦艇の演習は最初は中国の沿岸部や東シナ海の日中の中間線以西であった。しかし、1980年代に入ると急速に外洋へ向かい、徐々に沖縄や尖閣列島周辺へと拡張され、1998年には2隻の艦艇であった日本近海での行動も、1999年には27隻に増加し、5月には江滬級フリゲート艦など12隻、7月には旅大級駆逐艦3隻など10隻の艦艇が魚釣島北方で演習を行った。2000年度は規模は縮小したが、ミサイル発射訓練や潜水艦が訓練に参加するなど、訓練内容が高度化している31。
日本にとり不気味なことは、 1958年9月の人民代表大会で「中華人民共和国領海に関する声明」を発表したが、 そこには日本の固有領土である尖閣諸島を意味する魚釣島の記名はなかった。 しかし、 海洋資源への関心が高まった1992年2月に発布された「中華人民共和国領海・接続水域法」では、 「中国大陸及び沿岸諸島、 台湾及び魚釣島を含む付属島嶼」と明記された。1998年月6月26日には、「中華人民共和国専管経済区および大陸棚法」が制定されたが、これは中国大陸周辺海域での資源開発・経済活動などを保護するための法律であり、1996年に批准した「国連海洋法条約」に依拠して制定されたものである。この法律の問題点は同法の第2条で、「中華人民共和国の大陸棚は、中華人民共和国の領海の外で、本国陸地領土からの自然延長のすべてであり、大陸縁辺外縁の海底区域の海床・底土まで延びている」と、「大陸棚自然延長」の原則を国内法で定め、大陸棚での資源開発の法制的な整備を整えたことである。
このような中国に対して、日本政府は尖閣諸島の領有権間題に「触れない」との暗黙の了承で、1972年9月に中国と国交を樹立したが、日中平和友好条約締結交渉中の1978年4月、大量の中国籍武装漁船が、尖閣諸島海域で領海を侵犯するという出来事が生起して、両国関係が緊張したため、ケ小平の提案により尖閣諸島の領有権問題は「棚上げ」された。政府は尖閣諸島はわが国の領土であり、現実に実効支配しており、中国との間に領土問題は存在しない、との立場に立っているが、中国は尖閣諸島が日本の領土であることも、日本が実効支配していることも認めたことは一度もない。中国が尖閣諸島の領有権間題を「棚上げ」した時、中国の海底石油探査・開発能力はいたって低かった。また中国の海軍力はほとんど取るに足りないものであった。しかし、それから15〜20年を経て、中国の海底石油探査・開発能力は著しく向上し、中国の海軍力は強化されている。政府は東シナ海の漁漁や海底資源の開発に関して、厄介な間題として先送りし、友好関係が重要であるとの理由から領土問題を切り離し、漁業交渉だけを進めるという消極的な態度をとって今日に至っている。一方、中国は最初は関税や海上警察を動員して、日本漁船を東シナ海から締め出し、学術調査を名目に海洋調査船を送り、次いで艦艇を展開している。海軍力を展開するのは、国家の海洋権益を獲得あるは擁護し、国力を示し国家の支配(制海権)を示すことにある。中国の調査船の活動や海軍艦艇の行動海域の拡大や演習の増加は、活発化する中国の漁業や海底資源開発と相まって、東シナ海を文字どおり「中国の海」へと変えつつあるとはいえないであろうか。
4.シーレーンの安全と中国海軍
(1)中国の海洋進出とその背景
次に中国が海洋進出を強行している背景、および進出の特徴について考えてみたい。中国がアジアのシーレーンに問題を提示するようになったのは、中国の石油資源に対する渇望であり、その背景には中国の領土観がある。すなわち、10年前には石油の輸出国であった中国が、1993年末には2桁の経済成長率と消費経済への転換により輸入国となり、必要量は1日60万バレルといわれ、輸入所要は2010年には1億トンに達するとの見積もある32。この石油不足が、大陸棚に対する領有権を主張する強い動機となり、海軍軍備拡張となり、1998年の「中華人民共和国専管経済区および大陸棚法」となったのは確実であるが、それだけでは中国の海洋進出を説明できない。
この進出には、大陸国家である中国特有の国境観や文化観が根底にあるのではないか。すなわち、中国人は文化的優越感から、ラッツェル(Fredrich
Ratzel)やチェレン(Rudolf Kjellen)の「国家の領域は文化の浸透とともに拡大する。
自国の文化を他国の領域内に広めると、 その領域が自国の領域に加わる」や、 「国境は同化作用の境界線である。
国境は国家の膨張に応じて変動すべきものであり、 その膨張がこれを阻止する境界線に出合うと、
打破しようとして戦争が起こる」という文化的優越感の国境観に特徴がある。
また、大陸国家にとって、国土の広さや資源の有無は、国土防衛上のみならず、国家の生存発展のためにも不可欠で、第2次世界大戦前のドイツやソ連は、自給自足を求めて他国を侵略したが、中国もこの大陸国家特有の領土欲から東トルキスタン人民共和国(新彊ウイグル地区)、蒙古人民共和国(内蒙古地区)やチベットなどを併合し、西沙や東沙諸島を武力で占領し、台湾解放や尖閣諸島の領有を主張しているのではないであろうか。
そして、この領土観に海洋開発技術の発展や海洋資源への渇望が加わり、中国を海洋へと向かわせたのであろう。しかし、不気味なことは、この中国の領土観が、かってヒットラーがポーランドやオーストリアの併合を正当化した根拠となった、
「国家は生きた組織体であり、 必要なエネルギーを与え続けなければ死滅する。
国家が生存発展に必要な資源を支配下に入れるのは成長する国家の正当な権利である」という、
ハウスフォハー(Karl Haushofer)のレーベンスラウム思想(Lebensraum・生存圏思想)に極めて類似していることである33。この領土観や、海洋進出に関する主張を党や政府、
海軍の機関誌などに発表された論文で検証すると次のような論文があげられる。
☆徐光裕(Xu Gung-Yu)「合理的な3次元的戦略国境を追求する34」
「戦略国境は国家と民族の生存空間であり、 戦略国境を追求することは国家の安全と発展を保証する上で極めて重要である。
また、 国境は総合的国力の変化にともない、戦略的国境線の範囲は変動するものであり、
過去、 ソ連やアメリカは軍事力を中核として地理的国境をはるかに越えた勢力圏を拡大してきた。
陸地、 海洋、 宇宙空間から深海に至る3次元的空間は、安全空間、 生存空間、 科学技術空間、
経済活動空間として、中国の安全と順調な発展を保証する戦略的国境の広がりを示すもので、
国益はその拡張された勢力圏の前線まで拡大されており、 戦略的には国境線の拡大を意味する」。
☆海軍司令員兼参謀長の劉華清(Liu Huaqing)
「強大な海軍を建設してわが海洋事業を発展させよう35」
「わが国は6000余の島嶼と数百万平方キロメートルの海洋国土を持っており、 資源は極めて豊富である。
海洋資源の開発は、 わが国国民のなかで重要な地位を占めている。 現在世界では海洋の開発利用が新しい段階に入っており、
海洋は次第に戦略的意義を持つ領域となりつつある。.........海洋事業は国民経済の重要な構成部分であり、
海洋事業の発展には強大な海軍の支援必要である」。
☆蔡小洪(Xia Hang)「戦略競争はすでに大気圏外・海洋に向かっている36」
「海洋は豊富な生物資源・鉱物資源・科学資源・動力資源の宝庫であり、 西暦2000年までに世界の海洋開発総生産は、
世界総生産量の15から17パーセントに達するであろう」。「20世紀末期から21世紀初頭にかけて、
世界は海洋経済の時代に入り、海洋は世界の主要な軍事競争の対象になる」。 「中国は人口が多く、
1人当たりの資源の少ない国であり、 新しい戦略資源を開発し国力や軍事力を強化できるか否かは、
中国が21世紀に挑戦できるか否かを決する」。 「資源は国家経済の血液であり、国防発展の基礎である」。 「新たな戦略資源は宇宙空間と海洋にある」。
「われわれは強固な意志と軍事力を含むパワーを備え、 国際資源の共同開発に加わり、
われわれの国益を擁護するとともに、わが国の現代化建設を促進しなければならない」。
(2)中国海軍の戦略とその能力
このような主張を背景に、1992年10月の第14回全国代表大会では、 江沢民国家主席が政治報告で「今後、 軍隊は近代戦の必要に応じて自己の体質改善に力を入れ、 戦闘力を全面的に高め、 領土、 領海、 領空の主権と海洋権益の防衛、 祖国統一と祖国の安全擁護という神聖な使命をより良く担うべきである37」と、 「領海の主権と海洋の権益の防衛」に言及した。 同年4月の海軍創立43年記念日には、 海軍司令員の張連忠(Zhang Lianghong)中将が、 「改革解放 ー『シーレーン』防衛の先頭に立て38」との談話を発表し、 「海洋は既に改革・解放政策の前進基地、 貿易の主要ルート」であり、 「海軍は沿岸地区の改革・解放と経済特区の建設を支えて来た。 海軍は海洋権益と海上の良好な環境を守り、 シーレーンの防衛を任務とする」べきであると、 シーレーンの防衛に始めて付言した。 次いで1993年5月には、海軍司令員(参謀長)であり、党中央委員である劉華清から「中国の特色ある軍近代化の道を断固として変えることなく前進しよう39」との論文が発表され、軍の近代化とハイテク化が強調された。しかし、この論文で注目すべきことは、海洋への進出であり、海軍の強化であり、「中国は海洋大国であり、数百キロの領海、内海、大陸棚や経済水域があり、1万8000キロの海岸線、6500もの大小の島嶼がある。海洋と中華民族の生存と発展は密接な関係がある。わが国の海洋権益を保持、防御するためには、強大な海軍を建設しなければならない」。「軍事力の使命は領土、領海、領空および海洋権益を防御し、国家統一を守り国家の安全を防衛することにある」と論じて海軍の増強を訴えた。このような海洋資源への着目が、 中国海軍に海洋の権益、 海洋国境線の防衛という新しい任務を与え、 今まで内陸や沿岸防備を主任務とし、 陸軍作戦を支援してきた沿岸海軍(Brown Water Navy)から、外洋海軍(Ocean Navy)へと転換させたのであった40。
一方、ベトナム戦争で軍の近代化、 湾岸戦争でハイテク兵器の必要性を痛感した中国の指導者は、 軍の近代化、 武器のハイテク化を強調するに至った。そして 1996年3月の第8回全国人民代表会議では、李鵬(Li Peng)首相から第9次5カ年計画(1996年-2000年)が示され、 「国家の安全を守るため国防の近代化を強めなければならない」。 「兵器装備の近代化により戦闘力を高めるため、 新型兵器や装備の開発と開発手段の更新や、改造を重点的に実施し、 ハイテク条件下の戦争に必要な有効な兵器を優先的に発展させるべきである」と、 軍の近代化が国家の政策として指示された41。 これらの論文や各種の軍事関係の出版物などから、中国海軍の戦略を導き出すと次のように要約できるであろう。
(1)21世紀初めに中国大陸から米本土を攻撃できる核ミサイルの完成を目標に、長距離核
ミサイルの開発を重視し推進する。
(2)中国海軍はアジアに展開する米海軍に対抗(バランス維持)できる総合作戦能力
(空母機動部隊)の保有を目標に整備する。
@艦船と航空機を同時に運用できる人材を養成し、総合作戦能力の向上を図る。
A近海防衛戦略を堅持し、近隣列強との戦力差の縮小に努める。
(3)装備の近代化のため、ハイテク技術の輸入と近代兵器の輸入を促進する。
次に中国海軍の戦略を見てみたい。中国の海軍戦略は、大陸国家のロシアやフランスと同様に、基本的には来襲する敵の海軍部隊を、本土周辺で撃退する青年学派(Ecole
de June)の海軍戦略と同様に、2重3重の防衛線を海上に構築して国土を守るという防御的守勢的な多層縦深防衛戦略である。この戦略は、大連艦艇学院副長の林治業(Lin
Chiye)少将の「外方に向かい発展する中国海軍」という論文によると42、 海岸線から150海里以内の第1層の防衛は陸上配備のミサイル、
対艦ミサイルや魚雷を装備した高速哨戒艇、 沿岸から50〜300海里の第2層防衛線の内側は、
ミサイル駆逐艦や護衛艦、 最も外側の第3層防衛線、 すなわち、対馬海峡、 沖縄列島から南沙群島の内側はミサイル搭載の潜水艦や航空機が当たるとしていた。
しかし、 1997年のアメリカ海軍情報部年次報告では、湾岸戦争時のアメリカの巡航ミサイルの威力から、
第3防御線を硫黄島、 サイパン、 フィリピンを囲む2500海里線に拡大したとしている43。
第10表 海上多層縦深防御戦略の防衛線と武器体系
防衛線 | 海域区分 | 防衛兵力 | |
第1層 | 海岸線から150海里以内の海域 | 移動式対艦ミサイル、高速ミサイル艇 | |
第2層 | 朝鮮海峡。琉球列島、南沙群島の内側 | ミサイル護衛艦、ミサイル搭載航空機 | |
第3層 | 小笠原列島線 | 大型ミサイル巡洋艦、同潜水艦 2020年頃には空母も加わるとの見積もりあり |
また、 林論文では、新戦略に伴う兵力整備については、第1期を2000年、 第2期を2050年までと2区分し、
第1期は陸上を基地とする中距離戦闘爆撃機と艦載ヘリコプターを重点とし、 戦闘機、
早期警戒機、 偵察機、 電子妨害機および空中給油機などを、 バランスよく発展させるべきであり、
第2期には空母を保有すべきであるとしていた。 しかし、 1989年に発表された暁軍の論文では44、
2000年前後に近海で生起する可能性のある海上局地紛争に対応するため、 第1列島線内側の南シナ海と東シナ海での長期作戦能力、
独立した制海・征空能力、強力な即応能力と、 一定の核威嚇能力を整備すべきである。
しかし、 現在の経済力・技術力から、軍事費を大幅に増加することはできないので、
第1段階では陸上発進の中距離航空部隊と、攻撃潜水艦を主要な攻撃力とし、 ヘリコプター搭載の中型水上艦艇を指揮支援戦力とする。
第2段階では空母を核とし、 対空・対水上・対潜戦作戦能力を持つ水上艦艇と、潜水艦を配備した機動部隊を、
経済力の発展に応じて南から北へと、段階的に3個保有するとしている。
次に中国海軍の作戦応力を検討してみたい。中国の海軍力が、どの程度の水準にあるかを評価することは難しいが、中国の海軍力は米国はもとより、海上白衛隊と比べても低い水準にあり、洋上防空能力あるいは電子戦能力などの領域ではかなり遅れているといわれてきた45。しかし、最近では急速に近代化を進め先端的な電子機器を搭載したソ連製のキロ級潜水艦4隻、アメリカ海軍が憂慮した対艦ミサイルSS-N-22搭載のソブレメンヌイ(Soveremenny)級駆逐艦(6600トン)2隻の購入など、中国海軍の近代化は急ピッチで進んでいる。なお、空母保有については多くの報道があるが、中国海軍がマハン(Alfred Thayer Mahan)流の制海権の確保を意図し、 アメリカ海軍のような攻撃空母を核とした機動部隊の建設を目指す可能性は、当面は技術的、財政的に難しいであろう。しかし、空母を保有すれば、「戦わずして敵を屈する可能性が生まれる。威嚇の効果がない場合には有効な打撃を加えることが出来る46」と主張しているところから、 将来、財政的に余裕ができれば必ず、空母を保有することになるであろう。そして、中国は空母を使い、かって「定遠」「鎮遠」を長崎や神戸、東京に送って日本人をパニック陥れたように47、日本やアジア諸国に“Gun Boat Diplomacy"を展開するのではないか。
5.アジア諸国の安全保障政策
(1)アジア諸国の安全保障体制の現状
ヨーロッパにはOSCE(Organization for Security and Co-operation in Europe:55カ国)、北大西洋条約機構(NAOT:North Atlantic Organization・19カ国)、欧州連合(EU:Uropean Union・15カ国)、西欧同盟(WEU:Western Eropean Union・10カ国)などの地域的な安全保障機構から、ヨーロッパ緊急対応軍団(Ace Rapid Reaction Corps)まで、多種多様な機構や連合した軍事力が存在しているが、アジアにはヨーロッパに見られるような多層的安全保障機構も緊急対応部隊もない。アジア太平洋地域の諸国は、歴史的、政治的、文化的な差異が大きく、相互に民族問題や領土問題などを抱え、東南アジア諸国連合(ASEAN:Association of South-East Asian Nations)やASEANの加盟6カ国に加えて、日本、アメリカ、欧州連合などのほかにロシア、パプアニューギニアなど18カ国が参加するアジア地域フォーラム(ARF:Asian Regional Forum・21カ国とEU)、ASEAN拡大外相会議、アジア太平洋経済協力会議(APEC:Asia Pacific Economic Co-operation Conference)などの「フォーラム」や「会議」などがあるに過ぎず、常設的な組織はない。アジアの多国間協議の場として最も成功していると言われるているARFでも、経済、文化、教育の協調は高らかに唱っているが、軍事的な枠組みや制度の構築を回避しており、安全保障体制としては低い次元にとどまっている48。
一方、アジアにおける2国間の安全保障体制の枠組みには、日米安保条約、米韓相互防衛条約、米比相互防衛条約、台湾関係法(旧米華相互防衛条約)、米パキスタン協力条約、アンザス(太平洋安全保障条約)などのアメリカを軸とした安全保障体制と、マレーシアとシンガポールの防衛を、イギリス、オーストラリア及びニュージーランドがコミットした「5ケ国防衛協定(FPDA:Five Power Defence Agreement)」、オーストラリアとフィリピンとのマニア条約、オーストラリアとインドネシアのチモール海域協定などの防衛に関する地域間の条約や協定が並立している。
アジアの安全保障体制の有効性をみると、2国間安全保障体制の米比相互防衛条約は、スーピック海軍基地及びクラーク空軍基地の貸与協定の延長を、フィリピン上院が拒否したため、アメリカ軍が撤退し、条約は存続しているものの実効性に問題がある。米韓相互防衛条約はアメリカ軍が駐留し、在韓米軍が国境付近に展開されており、韓国の防衛には自動的に介入する体制にあり、この観点からは日米安全保障条約よりも強力であるともいえよう。これに比べて、日米安保条約には各種の制約があるが、日本、特に沖縄の戦略的価値のため、極東の安全保障には不可欠な条約となっている。台湾との米華相互防衛条約は米中国交正常化により失効したが、アメリカが国内法で台湾の防衛を規定し、武器輸出などを含め実質的に台湾の安全を保障し、台湾も米軍に対する基地の供与を規定しており、中国の重なる抗議にもかかわらず現在も機能している。
弱体なアジアの多国間安全保障体制の中で、比較的に機能しているのが、先に挙げた「5カ国防衛協定」で、現在もオーストラリアとマレーシアやシンガポールとの間には教育、訓練や防空システムの維持運用などに関して協力関係が続いている。インドネシアは、1999年9月に、東地モールへのオーストラリアの人道的な介入への反発から、1999年9月に一方的にオーストラリアとの軍事協定を破棄するなど有名無実化していた。しかし、最近ではアビブ首相の訪濠などもあり修復が進みつつある。
(2)ASEAN諸国の軍事協力の現状49
ASEANの最近の軍事動向で顕著な傾向は、区域内の近隣諸国間の信頼性醸成措置(CBM:Confidence
Building Measures)の一環とした、共同訓練などの増加であり、次いでアメリカ主導の多国間訓練への参加国の増加であろう。また、この流れの中で注目されるのが、軍事面からのオーストラリアの主導性であり、オーストラリアのASEAN地域内での影響力の高まりである。ASEAN内の軍事協力としては、シンガポールがブルネイ海軍と「ペリカン」合同海軍訓練や、「エア・ガード」防空演習を毎年行い、インドネシアとは1999年8月に、最初の合同海上飛行監視演習「チャマル・インドプーラ」を実施した。マレーシアとタイは、「シーエクス・タマル」合同演習を毎年定例的に行っており、マレーシアとインドネシアは、「オプティマ」合同海上パトロールを、シンガポールとインドネシアは、海賊などに対する警備協力を常時行うまでになっている。
これら区域内の演習で主導的役割を果たしているのがオーストラリアで、「スターデクス」海空統合演習や、「カカドゥ」海軍演習には、「5カ国防衛協定」の加盟国だけでなく、インドネシア、パプアニューギニアやフィリピンが参加し、マレーシア、タイ、韓国がオブザーバーを送り、艦艇22隻、航空機35機が参加するなど規模も拡大している。また、アメリカ主導の演習も増加傾向にあり、1999年だけでシンガポールとタイとの「コプラ・タイガー」合同航空演習、マレーシア、シンガポール、インドネシア、タイとの「カラト」海上即応訓練、ブルネイ、オーストラリア、マレーシア、韓国、スリランカ、インドネシア、日本を含む「コーペラティブ・サンダー」統合航空演習などが定例化しつつある。2000年5月に行われたタイとアメリカ軍との合同演習「コブラ・ゴールド演習50」には、シンガポールが始めて参加し、マレーシアとフィリピン、オーストラリアもオブザーバーを送っている。
現在のアジア諸国は、外交的には中国と協調路線を維持しており、これらの演習の目的は、国家間の信頼性の醸成措置にある。しかし、シンガポールやフィリピンなどには、中国の勢力拡張が今後の潮流として避けられない以上、アメリカ軍のプレゼンスが、アジア諸国の「モラルサポート」の上からも必要であるとし、訪問米軍地位協定(Visiting Forces Agreement)を締結し、艦艇や航空機の一時使用を認める方向に転換した。一方、アメリカも政治間題を引き起こし易い永久的基地をASEANには求めず、危機の際に急速に展開できる態勢を整備しようと、日本や韓国を主基地とし、日本に4万157人、韓国に3万6563名を駐留させ、下表および第13図に示す各地に連絡員を配備し、艦艇の訪問や多国間演習を推進し、ASEANに存在を示している51。
第11表 在アジア・太平洋地域展開兵力(Military Ballance:1999/2000)
国名 | 総計 | 陸軍 | 海軍 | 海兵隊 | 空軍 | |
日本 | 40,157 | 1,811 | 5,216 | 19,283 | 13,847 | |
韓国 | 36,563 | 27,486 | 290 | 126 | 8,658 | |
オーストラリア | 343 | 12 | 49 | 16 | 266 | |
シンガポール | 152 | 6 | 87 | 16 | 43 | |
インドネシア | 45 | 6 | 24 | 10 | 5 | |
タイ | 119 | 40 | 8 | 41 | 30 |
6.歴史の教える遺訓52
(1)歴史の原則・覇権は海洋国家が握る
冷戦構造の崩壊後は、共産主義イデオリギーは後退したが、中国ではナショナリズムが高まり、それが台湾解放宣言、西沙・東沙群島の武力占領、南沙群島をめぐる摩擦となり、尖閣列島の領有権を主張するなど、中国の領土膨張願望がアジアの現状維持を覆す可能性を高めているが、このような中国と日本は如何に向かい合って行くべきであろうか。方策を考える前に、歴史の示す遺訓を考えてみたい。アメリカの海洋戦略家マハンは、1890年に刊行した『海上権力史諭』という本で、「商船隊や漁船隊、それを擁護する海軍と、その活動を支える港や造船所などをシーパワー(海上権力)と規定し、シーパワーが国家に繁栄と富をもたらし、世界の歴史をコントロールする」と主張した。そして、アメリカはマハンの理諭を旗印に大海軍を建設し、第1次世界大戦でドイツ、第2次世界大戦では日本とドイツを破り、世界第1の海軍国に成畏し世界に君臨した。
しかし、第2次世界大戦が終わると大陸国家のソ連が台頭し、マツキンダー(Halford
Mackinder)の主張する「ヨーロッパ中央を支配すれば世界を支配することが出来る」とのハートランド理諭は、ドイツの代わりにソ連が主人公となった以外は、予言どおりに実規したかにみえた。ソ連は巨大な軍事力をもって、着々と内側三ケ月地帯(ユーラシア大陸とその沿岸部)を勢カ下に収め、その勢力はアフリカ大陸などの外側三ケ月地帯(ユーラシア大陸の外側の島嶼地帯)にも及んだ。ソ連は東欧を制して、マツキンダーの警旬の第1段階の中央ヨーロッパを征し、第2段階の世界島と言われるユーラシア大陸の支配に乗り出した。ユーラシア大陸の外側にあるヨーロッパでは、ドイツ、フランス、イタリアやギリシャ、そして北東アジアでは中国や韓国、またベトナムなどの外周のリムランドと呼ばれる位置にある国々は、アメリカの強力な支援がなけれぱソ連圏に組み入れられる恐れがあった。
その時に出現したのが、ソ連の外周のリムランド国家群が連携して、ソ連の外方への進出を阻止する「ソ連封じ込め政策」であった。しかし、一時的ではあったが、その後もソ連はリムランドにある中国やアフガニスタンなどを影響下に収め、海洋超大国アメリカは力を失い、海洋一国支配の歴史は幕が閉じられたかに見えた。しかし、大陸国家ソ連は、安価大量の物資を運ぴ得る海洋国家、経済的には有無相通じる国際分業と、国際的自由貿易による相互依存関係で結び付く効率的な海洋国家群に対し、その地理的制約や専制的な国家体制が災いして、経済的に破綻してしまった。ソ連や東欧圏の崩壊はデモクラシー国家の勝利であり、経済的には計画経済に対する自由経済体制の勝利であったが、地政学的には海洋国家の大陸国家に対する勝利でもあった。
近世の歴史、 少なくとも船舶が大型化し、外洋航行が可能となった16世紀以降の歴史は、安価大量の輸送を可能とした船舶という効率的な輸送システムのため、制海権の獲得に成功した国家が覇権を握り、
覇権国家の変動はオランダ、 スペイン、 イギリス、 アメリカと、 シーパワーのパワーバランスの変化と連動してきたことを示している。
日本の歴史をたどっても、黒船の到来で始まった近代日本は、 海洋国家を目指し、海洋国家と連携した時には繁栄の道を歩み、
大陸国家と結んだときには苦難の道を歩まなければならなかった。 すなわち、開国早々の日本は海洋国家イギリスと同盟し、
海洋国家アメリカの援助を得て日露戦争に勝ち、 海洋国イギリスの同盟国として、第1次世界大戦をへて国際連盟の常任理事国になるまでに成長した。
しかし、 日本が国家の基本である憲法を、大陸国家ドイツの憲法を参考としたこと、
国内政治に大きな影響を持つ陸軍がドイツに学んだこと、 日露戦争で大陸に権益を保有してしまった歴史の皮肉などから、
第1次世界大戦中に戦後の世界情勢を読み違えて、 海洋国家イギリスとの同盟を形骸化してしまった。
そして、 1916年には大陸国家ロシアと事実上の軍事同盟(第4次日露協商)を、 1918年には中国と日華共同防敵協定を結んでシベリアに出兵、
さらに日中戦争から抜け出そうとして大陸国家ドイツと結んで、 第2次世界大戦に引き込まれ、
海洋国家のイギリス・アメリカを敵として敗北してしまった。しかし、第2次世界大戦後に、海洋国アメリカと結んだ日米安保条約で平和が保障され、世界第2の経済大国へと空前の発展を遂げた。
(2)歴史の原則:多国間安全保障体制は機能しない
冷戦構造の崩壊や南北和解ムードの影響を受け、米中のいずれにも偏らない日米中の三角形的国際関係を構築すべきであるとか、米国の庇護を脱し、自主独立的な軍備を保有すべきであるとかの主張が聞かれるようになった。この日米中三角論には安保解消の日米中正三角形論から、日本が中米の中間に、アメリカ寄りに位置し、アメリカの対中国政策に関与すべきであるとの日米・中国の二等辺三角形論などがあるが、日米安保条約を解消し自立するという日米中正三角形論の選択は、日本の軍事大国化を招くだけでなく、日本の軍事力が周辺諸国に新たな脅威を与え、アジアに軍拡をもたらすことになるのではないか。
また、二等辺三角形論者は、対米追従外交だけでは、アメリカに価値なき同盟国とみなされ、中国も日本を相手にする必要がなくなるので、独自の政策を遂行し、中国に対しても、アメリカに対しても影響力を維持すべきであると主張している。しかし、日米中関係で日本が、三角形の一辺に位置し続けることが、巧妙な外交術を駆使する中国に対して果たして可能であろうか。また、日米中三角形の国際関係が、アジアに安定をもたらすであろうか。日中米三角形論は、米中が日本を少しでも自国の陣営に組み入れようとするため、日本の「ブレ」る政治姿勢や行動が、寧ろアジアに不安定要因をもたらすのではないか。
最近、社民党から北東アジアの安全保障は日中韓の3カ国にアメリカとロシアを加え、5カ国で協議し、徐々に平和を実現させ、自衛隊を縮小・再編成し、日米安保条約の解消を目指すという「土井ドクトリン」なるものが発表された53。確かに日中韓の3ケ国が「話し合い」を深め、信頼性を醸成することは望ましいことである。しかし、日中韓の3ヶ国の協議では、徐々に日本が韓国と中国にアメリカから引き離され、アジアの安定の基礎である在日米軍の撤退という中ソの戦略に引き込まれることにならないか。在日米軍が撤退したアジアには、軍事力の威圧で中国の覇権が確立し、中国を盟主とした「華夷体制」がアジアを覆うことにならないであろうか。
2国間同盟に第3国を入れることは、「ウイスキーに水を加える」ことであると、日英同盟にフランスとロシアを加えることに加藤高明外相は反対したが、第1次世界大戦後は、国際連盟などが誕生したことから、多国間安全保障体制のムードが高まり、ワシントン会議では日英同盟にアメリカとフランスが加わる形で、日英同盟は「太平洋に関する四カ国条約」に置き換えられてしまった。しかし、日英同盟という2国間同盟を日英米仏に拡大した「太平洋に関する四カ国条約」も、ヨーロッパのロカルノ体制という多国間の国際協調体制も、第2次世界大戦を防止することはできなかった。多国間安全保障体制は、2国間同盟を補強することはできるが、2国間同盟を補完することは出来なかったことを歴史は教えている。次に、歴史の遺訓を参考に海洋国家を軸とした、シーレーンの安全を確立するための方策を述べてみたい。
7.アジアのシーレーンの安全確保のために
(1)海洋国家連合の構築
歴史を見ると、世界が平和であったのは超大国が出現し君臨した時と、複数の国家が連合し、大国とのパワーバランスが働いていた時に多いことを示している。特に近年の中国の南沙群島への対応を見ると、パワーバランスが崩れたり、アメリカのコミットメントに疑念が生じた時に生じている。中国海軍の南シナ海への進出は1970年代に始まったが、その行動は米ソ関係の推移をよく見極め、その間隙を縫って巧妙に遂行されてきた。1974年1月に海空軍を派遣して、当時南ベトナムが領有していた西沙諸島を軍事力で攻略した時も、1988年の南紗群島に対する軍事行動の時も、米ソの緊張緩和と中ソ和解が進む中で、べトナムは孤立していた。ソ連の対越軍事援助の削減が始まった80年代末から、ロシア軍のカムラン湾駐留継続が宣言される92年までは、ソ(ロ)越同盟が最も冷却した時期であり、中国はソ連(ロシア)がベトナム側に立って、南沙問題に介入る可能性を低く見積る十分な根拠があった。アメリカもベトナム戦争の後遺症から介入は考えられなかった。
1993年早々に中国がミスチーフ礁に施設を建設した時には、フィリピンとの間に米比同盟条約はあったが、在比米軍基地の撤去によって、アメリカの軍事的プレゼンスが後退した時期であり、特に航行の自由が確保される限り、ミスチーフ礁への中国の軍事行動が、米比相互防衛条約を発動させる可能性は小さかった。中国は、アメリカが南シナ海の小さなサンゴ礁の領有をめぐる争いで、中国との関係を悪化することはないと踏んだのである。また、台湾海峡に対するミサイル発射などの威嚇行為は、中台双方に軍事行動の自制を促すクリントンの暖味な「関与戦略」が、議会と行政府との対立から抑止効果が低下していた時に起こっている。このように、中国の行動はパワーバランスが崩れ、アメリカが軍事的に介入することはないと考えられた時に生じており、中国の現状維持を変更しようとする行動を抑止するには、中国とのパワーバランスを維持する必要があり、アメリカ軍の存在がアジアに不可欠であることを、南沙群島や台湾をめぐる中国の行動は教えている。
サミュエル・ハンチントン教授は『文明の衝突』という著書で、21世紀には中国、インド、日本などのアジア文明と、アングロサクソン文明との文明間で衝突が起こると書いている。しかし、21世紀の対立は、民族性や宗教などによる文明の差違は徐々に減少し、 世界的に認められている、民主主義と自由経済という「現在の国際秩序の維持」を望むのか、それとも現状に不満を抱き「新国際秩序の創設」を望むのかの、現状維持国家と現状打破国家の覇権争いになるのではないか。とすると、現在の世界的枠組みを旧態依然たる「旧国際秩序」であり、アメリカの覇権主義の産物であると反発し、自国中心の「新国際秩序」を推進しようとしている中国の動向が、21世紀のアジアの将来に大きな影響をもたらす可能性が高い。アジア太平洋の現状維持には、当面は民主主義的価値観を理想として、アメリカと2国間同盟を結んでいる日本、韓国、オーストラリア、それに台湾の4ケ国が欧州連合(EU)あるいは、西欧同盟(WEU)のように、政治的には「デモクラシー」という価値観、経済的には「自由貿易・自由経済体制」という共通のシステムのもとに、中国に対するパワーバランスを維持し、これらの国々が、アジアの平和と繁栄(現状維持)に対する責任を分担しながら、中国が徐々に民主主義や人権を理解する「普通の国」に変化するのを待つしか方策はないのではないか。
日韓豪の3国は、すでにトップレベルの政府首脳の安保対話から、艦艇の相互訪問、留学生の交換や環太平洋合同演習(リンパック)への参加など、様々なチャンネルでの防衛協力が進行中であり、これら3国がアジアの海の平和活動(OPK:Ocean Peace Keeping)に参加する意義は、シーレーンの安全確保に極め有効であろう54。また、このような海上に於ける平和維持活動は、陸上における工藤よりも非政治的なものであり、ASEAN諸国の参加を得るにも抵抗が少なく、アジアにおける多国間協力は海を舞台とし、海軍を軸とした協力から始めるのが適当であろう。この海洋国連合に台湾を加えるか否かについては議論があるであろうが、台湾を加えることは武力による現状維持の打破(台湾解放)の拒否を明確に示し、台湾をめぐる武力紛争を未然に阻止する効果が期待できるであろうと考えられるからである。
シーレーンの安定という観点から、海洋連合国として重視すべき国は、太平洋南端に位置するオーストラリアであろう。オーストラリアは太平洋とインド洋の両洋に接し、地政学的に極めて重要な国であるだけでなく、アジアから多数の留学生(大学生5万4000人を含む約10-14万人)を受け入れるなど、アジアに民主主義を定着させるうえにも極めて重要な役割を果たしている。いかにオーストラリアがアジア諸国から信頼され、アジア諸国に影響力があるかは、カンボジャ平和維持軍、東チモール平和維持軍など、アジアの平和維持活動には常に指揮官を派出していることでも理解できるであろう。また、アジア諸国がオーストラリアとの連携を欲していることは、オーストラリア陸海空軍参謀大学に毎年、ブルネイ、カナダ、フィージー、インドネシア、マレーシア、ニュージーランド、パプアニューギニア、フィリピン、シンガポール、タイ、韓国、アメリカ、イギリスなどから留学生が派遣されていることでも理解できるであろう55。一方、オーストラリアは日本を重要なパートナーと認識し、『外交通商白書』や『国防白書』は日本との関係を次のように述べている56。
「オーストラリアの対日関係の奥深さと質は、オーストラリアの幅広い安全保障と経済上の目標推進のため極めて重要である。政府は最上級の相互依存関係を築き上げている。..........今後の15年間に、日本はアメリカとの強固な同盟関係の枠内で、徐々に自国の安全保障に対してより大きな責任を果たし、域内でさらに密接な防衛提携を促進して、オーストラリアにとっていっそう重要な防衛上のパートナーになるであろう」。オーストラリアは「日本との戦略的利害を多く共有しており、すでに定期的なポリティコ・ミリタリー協議(PM協議)を発足させ、これを情報交換など適度の軍事的連携で補完している」。
また、小国ではあるがシンガポールは戦略拠点に位置し、シーレーンの安全上から極めて重要な国であり、1992年のフィリピンの米軍基地閉鎖以降、アメリカ軍のプリゼンスを維持しようと、アメリカと「訪問米軍地位協定」や「物品役任相互提供協定」を結び、チャンギ海軍基地を空母が入港できるように整備し、空港も中継基地として提供し、アメリカ軍の連絡員152名を常駐させている。また、昨年は日本をアジア地域の演習に参加させようと、海上自衛隊の潜水艦救難艦「ちよだ」を中心とした多国間潜水艦救難訓練「Pacific Reach 2000」を、ホスト国として計画し実施した57。
このような方策に関して中国を敵視しているとか、アジアの国々を排除したアングロサクソン連合であるとかの批判があるかもしれない。しかし、この海洋連合は決して中国を敵視し、またアジアの国々を排除するものではない。このアジア太平洋海洋連合は、民主主義と自由貿易という価値観で結ばれた、ヨーロッパ共同体のようなものであり、アジアの国々の民主化と経済的な発展に手を差し伸べ、条件が整った国から加盟を認める国家連合であり、決して排他的な軍事同盟を意図した同盟ではない。
(2)日米同盟の強化
「富国強兵」をスローガンに、毎年2桁の比率で軍事費を増加している中国の行動を抑止できる国はアジアにはない。アジア太平洋地域の安定には、アメリカ軍の前方展開を含むアメリカ軍の存在が不可欠であり、それには日本の協力が不可欠である。昨年10月にアメリカの超党派の有識者グループから、日本は今や「力の分担(パワー・シェアリング)を担う成熟した国家になるべきだ」として、@有事法令の整備を含めた防衛協力の強化、A国連平和活動への日本の全面的参加、B日米防衛産業の技術協力と弾道ミサイル防衛の日米協力など、集団自衛権の行使を含む「日米ー成熟したパートナーシップに向けて(The United States and Japan:Advancing toward a Mature Partnership)」と題する政策提言があった。さらに1月20日にはブッシュ新大統領の就任演説で、同盟国重視が強調された58。ブッシュ新政権は同盟国日本との関係再強化を目指している。
日本はいかに応じるべきであろうか。日本の選択としては長期的な国益を基本に、近隣諸国の思惑や懸念に左右されることなく、日米安保体制を基軸とした中国との関係、ロシアとの関係など、アジア太平洋地域の安全保障の構想を自ら提示することが不可欠である。特にアジアの安定には中国の存在は無視できなし、中国への関与を今後どう深めていくかは、世界が避けて通れない命題であるが、中国に対して最も必要なのは中国の南紗群島や台湾問題でも触れたとおり、中国とのパワーバランスを維持することである。そして、その「さじ加減」に決定的な力を発揮できるのが、アメリカの軍事力であり、日本の経済力である。すなわち、中国から見れば中国の全輸出の20.4%を占める第1の顧客であり、日本との関係悪化は中国自身にも大きな損失を招くが、日本からみれば中国は輸出国としては第3位にランクされているが、輸出全体に占める比率は5.6%で、アメリカの31.1%(99年上半期)の6分の1に過ぎない59。また、投資も日本(7.2%)、台湾(6.7%)、アメリカ(5.0%)、シンガポール(4,2%)、韓国(4,1%)と日本が1位であり60、さらに日本は1999年末までに、有償資金協力22,600,73億円、無償資金協力1,112,84億円、技術協力1,089,46億円の総計2兆4800億円の援助を与えている61。 このように、日本が中国に利用できるカードは貿易や援助を中心とした経済的パワーポリテックスであり、日本としては中国重視の戦略不在の経済援助から決別し、アジア諸国との連携強化を視野に入れた戦略的経済援助に切り替え、中国との政治的バランスをアジアの国々と共に維持すべきではないであろうか
第12表 中国から見た日米中貿易(『ジェトロ貿易白書(2000年度)
順位 | 国名 | 金額 | 比率 | 順位 | 国名 | 輸入額 | 比率 | 順4位 | 国名 | 比率 | |
1 | 米国 | 41,946 | 21,5% | 1 | 日本 | 33,768 | 20,4% | 1 | 日本 | 18,3% | |
2 | 香港 | 36,891 | 18,9% | 2 | 台湾 | 19,528 | 11,8% | 2 | 米国 | 17,0% | |
3 | 日本 | 32,399 | 16,6% | 3 | 米国 | 19,486 | 11,8% | 3 | 香港 | 12,1% | |
4 | 韓国 | 7,808 | 4,0% | 4 | 韓国 | 17,222 | 10,4% | 4 | 韓国 | 6,9% | |
5 | 台湾 | 3,950 | 2,0% | 5 | ドイツ | 8,333 | 5,0% | 5 | 台湾 | 6,5% |
とはいえ、日米中3国は経済的にはすでに相互依存の関係にあり、日米中3国の発展のためには、アメリカが中国を封じ込めるような強硬策をとるのは、日本にとっては好ましくない。アメリカの対中国強硬政策や封じ込め政策は、日本が紛争の最前線国家として多くのリスクを背負うからである。一方、中国も世界貿易機構(WTO)への加入に努力しており、それが民主化や人権の促進、人治国家から法治国家への変換への期待をもたらしている。中国脅威論のマイナス面(中国が対抗的に軍備を増加することなど)にも留意し、中国の長年にわたった植民地支配に対する過度の対外警戒心から、軍備を過度に重視する歴史的背景にも配慮を加えなければならないであろう。
中国の過剰な警戒心を緩和させることは、軍事的バランスを維持よりも困難であるが、この対策は歴史から求められるのではないか。すなわち、日本は中国に対して海が絶好の障壁となっていたため、防人などの軍備を充実し、「離れず近づかず」の距離を置いて「華夷体制」には入らず、対等な関係を維持し、貿易も朝貢貿易には従わず、拒否されれば海賊に変身する「倭寇」という変則的な貿易で押し通し、中国に対しては対等な隣人、 時には挑戦者として過ごしてきた。しかし、20世紀に入ると日本を背後から支える海を隔てた強国との同盟(日英同盟・日米同盟)によるパワーバランスによって、国の安全を確保してきた。今、日本に必要なのは、この先人の気迫と英知ではないであろうか。
0おわりに
冷戦構造の変化や中国の軍事大国化という世界情勢の変化を受け、21世紀のわが国の安全保障体制や国家戦略、そして海洋戦略も変化しなければならないであろう。しかし、この変化を受けても変わらない部分が3つある。その第1はわが国は国土が狭く資源が乏しく、エネルギーや食糧、それに原料などの厖大な資源を輸入し、これらに付加価値を付け国際競争力のある製品を造り、再び世界に輸出する通商国家の道を歩まなければならないとう国家の体質である。通商国家に必要なのは、資源を提供してくれる国々との間に好意的に資源を提供してくれる円満な関係が存在していることであり、第2は日本が生産する製品を諸外国が購入してくれることである。また、第3はこれらの資源や製品を運ぶ数千キロに及ぶシーレーンの安全が確保されていることであり、長大なシーレーン上に紛争がなく、日本の製品を買ってくれる国々が平和で繁栄していなければならない。すなわち、日本ほど世界の平和を必要とする国はないということであり、日本だけが平和でも日本の繁栄は得られないということである。
しかし、日本は未だに戦後50年間にわたり自らを縛り続けてきた「憲法」という名の「自縛」から解かれていない。また、世界の平和と安全のためには、軍事力を含む力の行使もやむを得ないとする集団的な安全保障観も希薄で、「一国平和主義」の殻に籠もり、「普通の国」になることを拒否しているが、このような日本の対応では同盟国のアメリカを失い、さらにアジア諸国の中国に対する日本へのバランサーとしての期待や信頼を裏切り、国際的孤立を招くことになるのではないか。アジアの未来が、アジアの平和が、日本の決断にかかっていることを、日本人は少しは理解すべきではないであろうか。