史料紹介および解説
「潜水艦戦戦果増進に関する
意見書」
1.史料紹介
(1)意見書提出の動機とその反響
本意見書はアメリカ太平洋艦隊司令長官ニミッツ(Chester W. Nimitz)元帥に、
「古今の戦争史において主要な武器が、 その真の潜在的威力を少しも把握理解されずに使用されたという稀有の例を求めるとすれば、
それはまさに第2次大戦における日本の潜水艦の場合である」と酷評された日本海軍の潜水艦部隊から、
敗戦の気配も濃厚となった1944年(昭和19年)2月に海軍中央及び各部に提出されたものである。
この意見書は昭和18年6月に潜水学校の戦術科教官兼研究部幹事、 呉潜水戦隊参謀として着任した海軍中佐井内四郎(兵学校
期)が、 戦果が上がらず旧態依然たる作戦指導に強い不満を持つ潜水艦乗組員が多い現状を憂い、
なんとか打開策を講じる必要があると痛感し作成したものであったが、 部内外に与える影響を考慮し8ケ月間提出をためらっていた。
しかし、 1943年11月にアメリア軍がギルバートに上陸、 9隻の潜水艦が投入されたが従来と変わらぬ作戦指導であったため戦果を上げることなく6隻を失しなってしまった。
このことに「驚きかつ怒り意見を発表しようと決心た」。 そこで井内中佐は甲種潜水艦学生となっていた元教官の川島立男大尉(兵64期)の所見を得て一部修正し、順序を経て校長の山崎重暉中将に提出、同所見は潜水学校の所見として、
さらに上級司令部などに提出された。 著者が特に主張したかったことは従来の艦隊決戦など生起することはないので、
潜水艦の特性を生かし通商破壊作戦に投入すべきであり、 また、 潜水艦の特性を生かすためには極力艦長の独断専行を認めるべきであるという点にあったように思われる。
井内中佐は艦隊決戦が生起しないことについては「航空機の威力は絶大」であり、
また「人的並びに物的生産の極めて厖大なる米国の如き敵に対し、 海上兵力の決戦的撃滅を企図するは殆ど言うべくして不可能」である。
「艦隊決戦は今や海戦に於て夫自体に依り海上作戦の目的を達成し得る本質的存在に非ざること」を認識すべきであると明確に主張している。そかし、
その用法については緊迫した戦局への配慮からか、 要地の防備・敵前進要地の直接後方遮断(増援阻止)は「現有潜水艦を如何に機動的に或は全然機雷的に使用するも、
之を以て敵の進攻企図を撃摧し得るものにあらず。 反って実撃果小にして被害大なるは屡次の戦例の示す所なり」と述べてはいるが、
「戦局極めて逼迫し敵の苛烈なる反攻により我戦略対勢逐次崩壊しつつある今日、
航空機の増勢を以て前線要地に於ける戦力の均衡を得る迄の間、 潜水艦を以て之を援助するは作戦上の強き要望」を考えれば現戦局では次を重視するとしている。
(1)成るべく多数の潜水艦を以て南東方面潜水艦輸送を実施す。
(2)一部潜水艦を以て、要するとき太平洋方面敵後方要地の偵察を実施す。
(3)太平洋方面敵の補給遮断及兵力の分散を目的として、 一部の潜水艦を以て太平洋
敵後方水域の海 上交通破壊戦を実施す。
(4)将来に於ける潜水艦使用方針」 「我航空増勢し南東方面戦勢緩和し潜水艦輸送の必要減少せば」、
「大部分(大・中・小)を以て太平洋及印度洋方面海上交通破壊戦を実施す」。

このように、潜水艦輸送を第1に上げ、 最も主張したかった通商破壊作戦については、 第4番目の「(4)将来に於ける潜水艦使用方針」の項目で、 「我航空増勢し南東方面戦勢緩和し潜水艦輸送の必要減少せば」、 「大部分(大・中・小)を以て太平洋及印度洋方面海上交通破壊戦を実施す」と遠慮がちに述べているに過ぎない。また、 建艦政策についても「既に中央当局に於いて着々実行に移されつつあるを以て、 之が記述は簡単に止む」と配慮していた。 しかし、これほど配慮したにもかかわらず上級司令部からは「統帥を乱すけしからん書類である」との非難があり、 山崎校長は上級司令部である第6艦隊(潜水艦部隊)司令官に事情を説明した。 また、 部隊から返却された文書の中には「国賊」と朱書したものがあったいう。
2. 意見書が提示した問題点
(1)艦隊決戦思想と過度の統制
ワシント・ロンドン軍縮会議で劣勢な比率を強いられると、 潜水艦を事前に敵艦隊の動静を入手し全力を所要海面に集中して部分的優位を確保するための偵察兵力として、
また敵艦隊を監視追跡し決戦前にできる限り敵勢力を漸減し艦隊決戦を有利に導く兵力として期待し、
散開線の構築など艦隊決戦の補助兵力と考えられていた。 このため潜水艦部隊は常に作戦用務令に規定される「潜水戦隊ハ適切ナル散開配備ニ依リ敵主力ヲ奇襲スルヲ以テ本旨トス」と散開線を張り、
敵主力を撃滅することが潜水艦の第一の任務と考えられていたが、 アメリカ海軍もほぼこれに近い用法で太平洋戦争を迎えた。
しかし、 艦隊決戦が生起せず、 また散開線を展開しても効果が上がらないことが分かると、
アメリカ海軍はミッドウェー海戦を契機に海上交通破壊作戦に転換し大きな成果を上げた。

一方、 日本海軍は「海戦要務令の示す所の戦艦を中心とする艦隊決戦思想」が「我海軍兵術思想の根幹として大東亜戦争後も暫時堅持せられたるも、
今日に於いては斯る思想は陳腐に属することは既に衆人の認める所なりと信ずるも、
尚一部未だ依然たる旧思想保持者無きにしも非ず」という状態で、 艦隊を第一の目標として散開線を引くことが多く、
過度の命令や指示、 統制が加えられ艦長の独断専行の余地は殆どなかった。 このような状況に著者は「海上作戦の様相は開戦前の予想に反し大変化」したので、
「艦隊決戦主義に胚胎する潜水艦戦法も亦大転換を要するものと認む。 従来の散開線移動に関する各級指揮官の権限に関する思想は海上作戦の現様相に於ける潜水艦戦法としては適当なるものとは認め難し。
従来の考は艦隊遭遇決戦の思想より出でたるものにして、 此の場合は艦隊指揮官、
潜水艦隊指揮官は潜水艦散開位置を詳知しをるを必要とせしも、 現状の如く敵の機動部隊又は輸送船(隊)を目標とする作戦に於ては、
潜水艦の戦闘は他の友隊の行動に殆んど無関係なるを以て、 現地指揮官に相当の指揮権限を附与して其の活動を自由にするを寧ろ有効とす。
上級指揮統制による無用の制肘及之に依り生ずる潜水艦の企図所在曝露を防止すること肝要なり」との意見を具申したのであった。
(2)極地戦域への投入

1943年1月には海軍教育局から「交通破壊戦ノ戦果ハ克ク敵国ノ死命ヲ制ス。 交通破壊戦ノ主力タル潜水部隊ハ独力ヲ以テ敵国ヲ屈服スル意気込ヲ以テ勇往驀進スルヲ要ス」と通商破壊戦を規定した『潜水艦通商破壊戦参考』が部隊に配布された。 しかし、 伝統的艦隊決戦思想や非武装の商船を攻撃することを潔しとせぬ日本人の思想、 さらに戦局の不利からインド洋では2年間に38隻を投入し4隻を失っただけで商船118隻、 60万57トンを撃沈し15隻(9万5754トン)を撃破するなど好成績を挙げていたが、 太平洋戦域ではシュノーケルも装備されない潜水艦を限定された狭い海域に反撃阻止兵力として投入しため、 次に示す通り多くの潜水艦を狭い限定された海域で失なった。
方面別損失潜水艦隻数
|
ガダルカナル・ソロモン方面 |
19隻 |
|
マーシャル・カロリン方面 |
5隻 |
|
キスカ・アッツ方面 |
5隻 |
|
ギルバート攻防戦 |
8隻 |
|
サイパン方面(マリアナ沖海戦前後) |
18隻 |
|
レイテ沖・ルソン島沖海戦 |
10隻 |
|
黄島戦 |
3隻 |
|
沖縄戦 |
9隻 |
|
ハワイ・ニューギニア・豪州西岸・ベンガル湾
などの局地戦で各1隻 |
6隻 |
|
回天作戦(ウルシー・パラオ泊地 |
|
(3)雑用への投入(戦争前期)
艦隊決戦が生起しなかったため日本海軍は潜水艦の特性を活用し戦局が有利な戦争前期には、
艦隊の目として耳としての偵察や作戦海面の気象報告、 また、 実効性の少ないゲリラ的陸上砲撃、
特殊潜航艇によるハワイやシドニーなど潜水艦の隠密性のみを活用した雑用に投入され、
それが潜水艦の戦果拡大を妨げた。 そして、 それが「警戒厳重なる水域に於ける偵察監視攻撃は共に実効を期し難く、
特に現有潜水艦にては亦荷重の任務なりと認む。 追躡接触反覆攻撃は飛行警戒厳重且機動力に富む敵部隊に対しては、
現有潜水艦にては亦過重の任務なり。 之を実施し得るは其の行動を推知し得る警戒薄き船団の如きものに対する場合にして、
潜水艦搭載飛行機を以てする要地偵察は極めて重要にして之が要望は戦局に鑑み更に増大するものと思考するも、
現有飛行機の性能を以てしては敵の不意に出て且同一要地に対し反覆実施せざる場合のみ成功するものと認む(著者傍線)」との意見を提出させたのであろうか。
任務行動の種類
|
|
飛行偵察 |
潜航偵察 |
砲撃 |
|
東太平洋 |
7回 |
17回 |
19回 |
|
南太平洋 |
33回 |
41回 |
10回 |
|
北太平洋 |
60回 |
17回 |
0 |
|
インド洋。南西方面 |
10回 |
15回 |
1回 |
|
合計 |
59回 |
90回 |
30回 |
(4)潜水艦輸送(戦争末期)
戦局が不利となり征空権や制海権が失われると、 潜水艦は隠密性を利用して孤島への輸送任務や孤島からのパイロットの救出に投入された。
この任務は戦局の悪化とともに増大し、 日本本土とソロモン海域をつなぐ補給路が完全にアメリカ潜水艦によって遮断され、
毎月100万トンにも及ぶ物資が海底に葬られつつあったその間にも、 日本の潜水艦はアメリカ本土とソロモン諸島をつなぐ補給路を遮断することはなく、
ガダルカナルをはじめ孤立した孤島への輸送任務やドイツからの兵器や人員の輸送に投入し、
昭和19年8月には輸送を専門とする第七潜水戦隊(司令部 横須賀)さえ編成した。
このように日本海軍は潜水艦の特性中の隠密性のみを利用し各種雑用に投入、 潜水艦部隊は東奔西走の末に壊滅してしまったのであった。
輸送任務
|
作戦海面 |
成功 |
不成功 |
合計 |
損失 |
|
南東方面 |
200 |
14 |
214 |
8 |
|
北東方面 |
42 |
4 |
46 |
3 |
|
中部太平洋・日本近海 |
38 |
7 |
45 |
8 |
|
南西方面 |
|
|
|
|
|
合計 |
288 |
25 |
312 |
200 |
(3)建艦政策の過誤

潜水艦の建造に「関しては既に中央当局に於て着々実行に移されつつあるを以て、
之が記述は簡単に止む」と本意見書には触れられていないが、 日本海軍の潜水艦戦備の無定見も重大であった。日本海軍は戦時中120隻の潜水艦を建造したが、
艦種は次に示すとおり8種、 艦型は15種類に及んだ。 一方、 ドイツ海軍は単一・大量生産主義をとり1153隻を就役させ、
艦艇149隻を撃沈、 48隻を撃破し、 商船2882隻(1440万トン)を撃沈、264隻(198万9703トン)撃破するという成果を上げたが、日本海軍は全く別の逆の方向へ突き進んでしまった。頗繁な艦種の転換が各方面に影響を及ぼし、
資材の無駄、 竣工の遅れをもたらし技術者を翻弄させ、 潜水艦部隊が本質的に要望する微妙な性能の向上などに精力を傾倒する余裕など全くない状況に追い込んでしまったのであった。
巡洋潜水艦 大型(伊9型)
巡洋潜水艦 小型(伊52型・伊15型・伊54型)
艦隊付属潜水艦(伊176型)
中型潜水艦(呂35型、 呂100型)
水中高速潜水艦(伊201型・波201型)
水中空母型(伊400型・伊13型)
燃料補給潜水艦(伊351型)
輸送潜水艦(伊361型・伊371型・波101型)
おわりに
ニミッツ元帥は「米国潜水艦部隊の抜群の功績は、 単に優秀な指揮官や乗員の練度、
技量からだけ生まれたものではない。 常に適切に指導されるが、 さらに実戦の体験や戦争の変貌しつつある性格に照らして随時改善を加えて行くという充分柔軟性を持った健全な戦法の採用があつたからであった。
一方、日本海軍は勇敢で、 よく訓練されていたが一つの偏向した方針及び近視眼的な最高統帥部によって徹底的に無益に消耗され、
また実力発揮を妨げられたように見受けられる」と述べているが、 本意見書にも「之を要するに潜水艦戦果の所望の如く挙らざりし原因は、
海上作戦様相の大変化に対し当事者が適時適切なる頭の転換を行い得ざりしこと、
換言せば所謂後手となりしこと、 又潜水艦戦に対する兵術思想に於て一致せざりしところあり」と随時柔軟に対応できない固定化した兵術思想、
それにともなう硬直した過度の統制、 それが「乗員の疲労の最大の因をなすものは労力的のものにあらず又生理的のものにあらず。
精神的疲労なることを認識すること。 従って『統帥』の如何は至大の関係を有す」との所見となり、
また、 この所見が回覧中にこの意見書を読んだ上級司令部の幕僚(あるいは指揮官)に「国賊」と赤字で書かせたのであろうか。
出典:「史料紹介および解説 潜水艦戦果向上に対する意見書」(防衛研究所蔵)
参考資料:潜水艦戦に関する統計
日本海軍
|
|
太平洋方面 |
インド洋方面 |
艦艇 |
撃沈 |
正規空母2隻・護衛空母1隻
重巡洋艦1隻、軽巡洋艦1隻
駆逐艦3隻、護衛駆逐艦2隻
潜水艦2隻 |
潜水艦1隻 |
艦艇 |
撃破 |
正規空母2隻、戦艦1隻
重巡洋艦1隻、軽巡洋艦1隻
駆逐艦1隻、護衛駆逐艦1隻 |
戦艦1隻 |
船舶 |
撃沈
撃破 |
59隻(293,924トン)
33隻(205,953トン) |
120隻(608、228トン)
16隻(95,947トン) |
イ 潜水艦の被害状況
|
事故(触雷・座礁・訓練中) |
10隻 |
|
潜水艦により撃沈されたもの |
21隻 |
|
水上艦艇により撃沈されたもの |
64隻 |
|
航空機により撃沈されたもの |
7隻 |
|
原因不明 |
26隻 |
|
合計 |
128隻 |
ドイツ海軍
1 艦艇(撃沈149隻、 撃破48隻)
|
艦種 |
撃沈 |
撃破 |
艦種 |
撃沈 |
撃破 |
艦種 |
撃沈 |
撃破 |
|
正規空母 |
3 |
0 |
機雷敷設艦 |
1 |
1 |
|
|
|
|
護衛空母 |
3 |
2 |
フィリーゲート |
2 |
4 |
スループ |
13 |
4 |
|
戦艦 |
2 |
3 |
掃海艇 |
10 |
ー |
潜水艦 |
9 |
ー |
|
軽巡洋艦 |
5 |
6 |
駆潜艇 |
3 |
ー |
砲艦 |
1 |
ー |
|
コルベット |
26 |
3 |
高速艇 |
3 |
ー |
上陸用舟艇 |
13 |
ー |
|
補給艦 |
2 |
1 |
水上機母艦 |
1 |
|
|
|
|
2.商船(撃沈 2882隻 1440万822トン)
(撃破 264隻 198万9703トン)
3 ドイツの潜水艦の状況
|
就役した潜水艦 |
1153 |
|
海上戦闘による損失 |
659 |
|
基地における爆撃 |
63 |
|
不慮の事故 |
58 |
|
敵の手に落ちた潜水艦 |
154 |
|
敗戦後に自爆・自沈した潜水艦 |
219 |
アメリカ海軍
|
開戦時の保有数 |
111(日本は64隻) |
|
就役した潜水艦 |
116隻(損害は総計52隻) |
|
撃沈した艦艇 |
180隻 |
|
劇はした船舶 |
4816隻(全船舶の60,1%) |
参考:日本船舶の撃沈、 航空機2722隻(33.1パーセント)、 機雷515隻(7.3パーセント)