日本の潜水艦の歴史(第二次世界大戦後)
(日本語版・フランス語版とはかなり異なっております)

はじめに
 
 帝国海軍時代(1890年から1945年)には、242隻の潜水艦を建造し、第二次世界大戦中には航空機3機を登載した伊400型潜水空母(水上排水量3530トン、水中排水量6560トン)さえ運用していた。しかし、1945年の敗戦とともに残った58隻の潜水艦が連合国に接収され、解体あるいは太平洋に沈められてしまった。 その後、1950年の朝鮮戦争によって、1952年に海上警備隊が海上保安庁から分離独立し、1954年には海上自衛隊が誕生したが、東西冷戦の世界情勢を受け、海上自衛隊は西側陣営の一海軍として米国海軍と共同し、西太平洋の制海権を確保するため、米海軍が北東アジア地域で不足している対潜戦と対機雷戦を分担することした。しかし、潜水艦の保有については敗戦後に占領軍に押しつけられた ― 国際紛争を解決する手段としての軍備は保有しないとの“平和憲法”に違反するとの左翼の反対、潜水艦は攻撃的武器であるとの反対があり、駆逐艦や護衛艦などの水上艦艇の建造に比べ潜水艦の建造は遅れ、このため、対潜訓練に必要な目標潜水艦については米海軍の協力を得なければならなかった。


その後、1955年8月に締結された日米艦艇貸与協定に基づき、米国のフリート・タイプ潜水艦Mingoが貸与されくろしおと命名され、ここに日本の潜水艦部隊は敗戦10年を経てセールに軍艦旗を掲げた。以後、この1525トンのくろしおは国産潜水艦が就役するまでの約5年間、海上自衛隊の唯一の潜水艦として、要員養成、対潜水艦訓練の水中目標艦としての任務を遂行した。
1番艦を建造するときに強い当時の反軍感情から潜水艦という名称が使えず、水中標的艦と呼称したことが示すとおり、潜水艦部隊は誕生の時から宿命的な制約を科せられて今日に至っている。すなわち、原子力については「核兵器を作らない、持たない、持ち込ませない」という「非核3原則」を国是とし、平和憲法の下、専守防衛に徹し他国に脅威を与える軍事大国にならないとの基本理念に従い、節度ある防衛力を整備するとして3年から5年にわたる期間毎に、4回の防衛力整備計画を立てて兵力を整備してきた。そして、1976年には「自らが力の空白となって、わが国周辺における不安定余蘊とならないように、独立国としての必要最小限の防衛力を整備するという「基盤的防衛力構想」の定める兵力として潜水艦は16隻が示された。その後20年が経過し、冷戦も終焉したことから1996年には国防方針の見直しが行われ、大規模な災害事態への対応、国際平和活動などが従来の国防任務に追加された。そして、これにより合理化、効率化、コンパクト化を推進するとして1割以上の兵力を削減したが、潜水艦の16隻体制は維持された。

創設期の国産潜水艦の建造

 1954年初め頃からくろしおの代艦の建造構想が芽生え、250トン型、500トン型、1,000トン型の3案が検討された。しかし、小型艦では要求された20ノットの速力を確保し、各種機器を搭載することが困難であったため、最終的には1000トン案が採用され1957年12月に神戸の川崎重工業神戸造船所で起工され、1960年6月に就役しおやしお(S511)と命名された。設計上の基本は旧海軍方式を採用し、停止時に一定の深度を自動的に維持する自動懸吊装置や、選考中に自動的に一定自動深度保持装置などの旧海軍の技術も利用されたが、10年間も潜水艦を建造しなかった技術的空白は大きく、スノーケル装置など旧海軍にはなかった機材については米国から導入し、また、また、米国に視察団を送り米国の潜水艦技術や運用について学んだ。このように米国に学び、さらに潜水艦乗員がおやしおを通じて、米海軍の機器やシステム、操縦などに馴染んでいたため、日米の間に大きな優劣がなければ、米海軍方式が採用された。最終的には工事中に130トンほど排水量が増加し1130トンとなり、推進機関はディーゼル電気推進で主機械は川崎MAN型V8V22/30MATL、2基、主電動機は2基、出力はディーゼル2700馬力、主電動機5900馬力の2軸推進で水上13ノット、水中は20ノットには達せず19ノットであった。

 また、潜水艦の基礎教育を行う襲撃訓練装置さえ整備ない状況であったため、おやしおの就役を機に、パールハーバー基地で各種訓練装置を使用して潜水艦乗員の再教育、特に脱出訓練を行うため潜水艦をハワイに派遣し、米海軍の訓練施設で訓練させるべきであるとの要求が潜水艦関係者から高まり、潜水艦ハワイ派遣訓練が1963年から継続的に実施され、このハワイ派遣訓練により長期外洋行動能力の向上や、日米海軍の連携強化、最新の潜水艦の運用などについて学ぶことが出来た。

 1962年6月には対潜水艦作戦を重視した対潜水艦SSKの1番艦はやしお(S521)が就役した。はやしおは訓練目標艦としてスタートしたおやしおとは異なり、平時には対潜訓練の目標艦、有事には局地防備用として運用されることを前提に計画された潜水艦で、しゅとして通峡阻止を任務とし設計された。計画は700トン型で進められたが、最終的には750トンとなり、1962年に2隻、1963年にさらに2隻の4隻が建造された。速力は900馬力で水上11ノット、2300馬力で水中14ノットに低下した。なお、小型のため魚雷発射管は3門であった。しかし、日本近海の海象条件では水上航走時、特にシュノーケル航走時に困難な場合が多く、さらに居住性が劣悪なため長期行動に制約があることなどから、その後は小型潜水艦の建造は2度と顧みることはなかった。

 このように1958年から1962の第1次防衛力整備計画、1962年から1967年の第2次防衛力整備計画により、3タイプ10隻の潜水艦が建造されたが、おやしお型は戦後の長い空白期間を置いて建造された潜水艦であったため故障が多く、はやしお型は小型のため外洋行動が制約され、人員の収容力に乏しく、要員養成の面からは余り期待できなかった。
 
 これらの敬遠からくろしお型の代艦は大型航洋型潜水艦が建造されることになり、用法も上陸する敵の水上部隊を攻撃する攻撃潜水艦を任務とし、1965年3月には1600トンのおおしお型1隻が建造され、次いで1966年10月には、おおしおの改良型の1650トンのあさしお型4隻が建造された。大型化により魚雷発射管は全部に六本、さらに後部にも短い対潜水艦反撃用のホーミング魚雷発射管2門を装備することが出来た。おおしお型はおやしおの初期故障の教訓から技術面での新しい考え方は一切採用せず、また、折からの景気上昇にあおられて建造価格が急騰し、予算不足が見込まれたことなどから、徹底した経費の節減が図られた。また、対潜の訓練目標艦としての数多くの役務を数少ない潜水艦で消化しなければならなかったので、迅速な水上での移動が必要であり、この観点から水上速力が重視され、水上速力は14ノット(2900馬力)、水中は6300馬力で18ノットであり、潜水艦本来の水中性能を重視する考え方は涙滴型の潜水艦が出現するまで見合わされることとなった。

 一方、潜水艦の充実に応じて1960年2月には潜水艦部隊を支援する潜水艦基地隊が西日本の呉に新編され、潜水艦の教育関係の施設は呉潜水艦基地隊の潜水艦教育部に移動された。1961年には潜水艦救難艦ちはや(1340トン)が就役し、1962年8月には潜水艦と救難艦の管理、運用および教育訓練を一元的に行うために第1潜水隊が新編され、さらに1965年2月にはタイプ・コマンドの第1潜水隊群が新編された。

うずしお型―涙滴型の出現


 1967年から始まった5カ年計画の第3次防衛力整備計画(1967年から1972年)では、対潜攻撃を主目的とし、対上陸作戦時の要撃兵力にも転用可能な1850トンのうずしお型潜水艦の整備が決定された。このうずしお型潜水艦は初めて、水上能力より水中能力の発揮を重視した海上自衛隊の潜水艦の運用思想を転換した歴史的潜水艦であった。水中性能を発揮した船体を設計するため、10種類の船型模型が作られ水槽実験を行って基本的データを収集して設計され、艦型は涙滴型で推進器も1軸方式となった。また、潜航深度を増加するのに必要な新しい鋼材の開発も始められた。うずしお型の1番艦は1971年1月に竣工し、同型艦は3次防衛計画(1967-1972)、4次防衛計画(1972-1977)にわたり7隻が建造された。涙滴型1軸方式等の採用によってうずしお型の水中性能は従来艦に比べて大きく飛躍した。機関はディーゼル電気推進で主機のディーゼルは川崎MAN V8V24/30AMTL 2基で主電動機は1基、出力はディーゼル3400馬力、主電動機は7200馬力で速力は水上12ノット、水中20ノットである。

 一方、船穀には従来のNS43と合わせて、新しい高張力鋼NS63が使用され安全潜航深度の増加が図られいそしをより深度が増加した。また、大型になることにより甲板が3層となり、単に居住性能が向上しただけでなく、予備搭載魚雷の増加、急速浮上用の非常ブロウー装置(メイン・バラスト・タンク)、再生可能な炭酸ガス吸収剤による空気清浄装置が装備された。また、操舵装置は3次元自動操舵装置となり、自動深度調整装置、自動針路保持装置に加え、旋回やトリムを自動的に行う装置等も装備された。また、うづしお型では艦首の球形部に大型ソナーを装備し、雑音低減の見地から従来艦首部にあった魚雷発射管と潜航舵を中央部に移動し、これに伴い潜舵はバウプレーン型からセールプレーン型となり、涙滴型潜水艦の外形を特徴付けることとなった。しかし、完成した当時は艦形がアメリカの原潜と似ていたため、国会ではエンジンを原子力に変えれば、直ぐに原子力潜水艦になると、「非核三原則」の原子力の平和利用に反する国会で質問した野党議員もいた。

ゆうしお型―涙滴型2代目
 
 ゆうしお型の計画が本格的に開始されたのは1973年度初めからで、ゆうしお型は1975年度計画までに10隻が建造され、1976年度から同じ手法による性能改善型の2,400トン型となった。ゆうしお型はうずしお型に比べ、潜航深度、航続力、装備、居佳牲などの改善が図られたため大型化した。この型は10隻を建造している間に順次改良が加えられもを(S574)からはマスカーを搭載、おきしお(S576)からはTASSも装備され、なだしお(S577)からは水中発射の対艦ミサイルのハプーン発射可能なUSM兼用の発射管か装備され、あきしお(S579)以降には慣性航行装置が搭載されている。

 この型は一軸椎進方式、複殼式で船体の材料には高張力鋼NS80が採用された。主機はスノーケル状況で1950馬力、水上航走時は2100馬力の川崎V8V24/30型で、操縦装置は自動深度保持装置、自動針路保持装置、遠隔自動運転装置、深度、姿勢角、方位などの監視装置、異常事態時の警報装置などが組み込まれた3次元の自動操舵装置などが発令所に集約されている。なお、1984年に就役したなだしおと以降の潜水艦には総て水上艦艇攻撃用のハプーンミサイルが搭載され、魚雷と共通の発射管となった。また、このハプーン装置を搭載したため排水量が50トン増加した。

 ゆうしお型では排水量は水上2200トン、水中2450トンと大型化した。海上自衛隊の潜水艦が大型化するのは、保有隻数を制限されているため1隻の潜水艦に多様な任務を要求し、多数の装備や武器を搭載するためである。また、潜水艦の輸出を禁止しているため大量生産や研究開発ができず、機器類の小型化が進展せず、水上艦艇の機器を流用しているためである。また、少量生産のため建造価格も列国より高く、それが防衛費を圧迫するという列国海軍にはない制約がある。

 なお、おきしお(S576)は1987年に、あきしお(S579)は1991年には水中曳航ソナーZQC-5Bを搭載するために特別改造工事を行い、このため基準排水量が100トン増加した。はましお(S578)以降の艦首ソナーはZQQ―2の改良型ZQC―4型となった。あきしお型は、建造10隻中6隻か現役である。うち4番艦のおきしお(S576)は練習潜水艦に艦別変更され現役を去った。

●基準排水量:2250[2350]t 水中排水量12450t●主要寸法1全長76m×幅9-9m×深さ
10.2m×喫水74m●主機:デーゼル(川崎V8V24/30AMTL)2基、メインモーター1基、出カ3400PS.水中出力17200PS●速力約12kt.約20k(水中)完全複穀式●乗員約75名●水中発射管6本

ゆうしお型は1975年から1985年に10隻が建造されたが、この間に順次改良が加えられ、1980年度艦のなだしおからはUSW水中発射対艦ミサイルのハプーン発射可能な∪SM兼用発射管か装備された。また、1981年のもちしをからはマスカーが装備され、1983年に建造されたおきしおからはTASSが装備され、1985年に建造されたはましお以降には艦首ソナーが改良型ZQC-4となった。1986年建造のあきしお以降には慣性航行装置が、また、1991年にはあきしおに水中曳航ソナーZQC-5Bが搭載された。現在ゆうしお型は建造10隻中6隻が現役に残り、4番艦のおきしおは練習潜水艦に艦別変更されている。

 このような潜水艦の兵力の増強に伴い、1981年には第1・第2潜水隊群と潜水艦訓練隊で潜水艦隊が自衛艦隊の隷下に新編された。潜水艦隊司令官は全潜水艦の行動を把握し、作戦行動にあたる潜水艦を統一指揮するとともに、潜水艦救難活動も任務としている。

 潜水艦隊司令部は横須賀にあり、2個の潜水隊群、潜水教育訓練隊および第1練習潜水隊から構成されている。各潜水隊群は司令部と3個の潜水隊と潜水艦基地からなり、各潜水隊には2から3隻の潜水艦が配属されている。なお、潜水隊群は所属潜水艦の後方支援部隊であり、訓練段階にある潜水艦や新しく就役した潜水艦に熟訓練を行う。潜水隊群の指揮下には後方支援(補給、修理、厚生)を行う潜水艦基地隊と潜水隊が置かれ、潜水隊司令はタイプコマンダーで潜水艦教育訓練隊の協力を得て直接、艦の練度向上を指導監督するとともに人事管理を行っている。

 なお、潜水艦教育訓練隊は潜水艦に乗艦して指導する訓練支援部を運用するほか、潜航訓練装置、潜水艦戦術訓練装置(A/T:Attack Teacher)、航海訓練装置などを備え、潜水艦部隊の陸上における訓練を支援している。また、横須賀戦術運用隊には潜水艦戦術訓練装置(STT)と深海救難艇訓練装置(DSRVT:Deep Submergence Rescue Vehicle Trainer、「DSRVT」)があり、呉潜水艦基地の対岸第一術科学校(Etajima)には防水防火訓練装と潜水艦沈没時の乗員の脱出訓練装置がある。

はるしお型―涙滴型潜水艦

 次いで建造されたはるしお型は、ゆうしお型の改良型として建造された海上自衛隊の第三世代に当たる涙滴型潜水艦で、運用要求に対応し、水中行動能力の強化、潜航深度の増大、索敵・攻撃能力の強化、雑音低減対策、居住性の向上などを重視し、基本計画は1986年11月に承認された。このタイプからは建造時からUSMハープーンの発射可能な魚雷/USM兼用発射管、TASSを装備するほか、艦首ソナー・逆探用ソナー・TASSが一体になったZQQ-5Bを採用している。VLF(超長波)受信装置の導入により、潜航のままでも衛星通信の受信も可能となった。船体は複殻式で高張力鋼NS110が採用されている。安全潜航深度は約500mと推定されている。艦内の配置は、涙滴型の標準形式で艦首内殻外にバウソナー、内殻は発射管と科員室、中央区画、機械室、電動機があり、中央区画は3層で上段は発令所、通信室、士官室、中段は発射管室、科員室、下段は電池室である。

 艦型の長さはゆうしお型より1.2mながくなり、排水量も2,490トンで、190トン増加した。機関はディーゼル電気推進で、主機には従来長らく使用されてきた川崎のMAN V8V系列に代わり、新しく潜水艦用に開発された高出力の川崎12V25/25S機関を採用した。出力はディーゼル3,100馬力、主蓄電池は240基2群でより高エネルギー密度の新型となった。また、水中雑音低減及び省電力化のため、艦内電源の400ヘルツ系と60ヘルツ系の変換に静止型電力変換器(CVCF)が、補機用にはインバーターが採用された。主電動機はゆうしお型より更に低回転とし、低雑音化が図られた。艦内の配置は基本的にゆうしお型を踏襲したが、スノーケル雑音の低減のため、主機と主発を二重防振とし主機台に制振材を貼付した。補機類は低雑音型の採用や防振支持の改善、推進装置は主軸の低回転化、主電動機の磁気音対策、軸系の継手、軸受けの改善、その他船体流体雑音の低減、管系の防振支持の改善等、徹底した低減化対策が講じられた。攻撃能力の向上策としてはホーミング性能等が向上したGRX2を1989年に装備され、聴音機は追尾能力等の性能が向上し、えい航式ソーナーが新装備となった。さらにIR探知装置が装備され、ESMも向上が図られ衛星通信装置も装備されている。

なお、基本的性能要目は次の通りである。
基準排水蚤12450t 水中排水量:2750t主要寸法全長77m×幅10.0m×深さ10.5m×喫水7.7m.主機ディーセル(川崎12V25/25S)2基メインモーター1基1軸出力=7200PS速力、約12kt/(水中)約20kt 涙滴型 乗員約75名主要装備 魚雷発射管×6
同型艦
SS583はるしお 1990年11月30日 
SS584なつしお 1991年3月20日 
SS585はやしお 1992年3月25日 
SS586あらしお 1993年3月17日 
SS587わかしお 1994年3月1日 
SS588ふゆしお 1995年3月7日  
SS589あさしお 1997年3月12日 

 水中性能を重視した涙滴型潜水艦は、1971年1月のうずしおの就役以降、うずしお型7隻、1980年からのゆうしお型10隻、1990年からのはるしお型7隻の計24隻が建造された。その間、水中速力、水中持続力、安全潜航深度等の主要性能はほとんど変わらなかったが、ソーナー・指揮管制装置等の装備武器の能力向上や静粛化のために、様々な対策が実施されてきた。特にはるしお型ではスノーケル航走雑音の低減や艦内補機類の低雑音化が図られ、うずしお型やゆうしお型に比べ、はるかに静かな潜水艦となった。

おやしお型―葉巻型

 おやしおU型はゆうしお型の代替え艦で、海上自衛隊として、はしめて葉巻型の艦型を採用した潜水艦で、はるしおの基本計画・基本設計が実施されている時期とほぼ同じ時期に、次期潜水艦に対する2つの研究開発が開始された。一つは潜水艦隠密性向上対策でアクティブ・ソーナーに対する反射波の低減を目的とした水中吸音材の研究で、この研究は1985年から1992年にかけて実施された。もう一つは側面ソナーの研究で、この研究は1987年から1988年にかけて実施され、この研究開発による試作品の実用試験は特務艦ATSSいそしお(S568)に装備され、1990年から1991年度にかけて行い、その成果がおやしお型の基本計画と基本設計に反映された。これと並行して、省力化を目的としたスノーケル、トリム注排水移水、発射管注排水の自動化や操舵操縦のワンマンコントロールについての研究も実施された。さらに、潜水艦全体を一つの戦闘システムとして統合するための研究も1991年から1992年にかけ、海幕技術部、装備部、防衛部、潜艦隊、技本などから委員が示され次期潜水艦技術検討委員会において行われた。

 おやしおU型が従来と異なる点は、船殻構造を従来の複殻式から部分単殻式に変更したことである。また、攻撃能力の向上を目指し水中発射管を艦首尾線に沿って平行に装備したため、艦首形状が鯨の頭部のようになったこと、及び音響ステルス化のため、艦橋外板を傾斜させたことなどから、従来の「うずしお」以降続いたいわゆる涙滴型とはまったく異なった船型となった。

 武器等についても水中捜索能力の向上のため、新型ソナーが装備された。従来の涙滴型は艦首に巨大なソナーを装備していたため、亀雷発射管は左右に開いて射界を確保していたが、艦首の魚雷発射管は艦首に本型の六本の魚雷発射管は正面に向けて揃えて配置されている。また研究開発された側面アレイが装備され、艦首ソナー、曳航式TASSの3つの探知システムを一体として処理するZQQ-6を採用している。特に側面アレイの能力を最大限に発揮させるため、バックグラウンドノイズ対策を考慮した艦内配置となっている。この新型ソナーの装備と潜水艦情報処理装置の採用により、遠距離・中距離・近距離での探知・識別が可能となり、水中捜索能力が大幅に増加した。攻撃兵器としては従来の魚雷、ハプーンに加えて機雷を自動的に発射し敷設する機雷自動発射装置を始めて装備した。また、以前は左右舷に3門つづ装備していた魚雷(ハプーン)発射管を艦首先端上部に6門集中して配備している。

 第1号艦のおやしおUは1994年1月に起工し、1998年3月に就役した。その後、固体アミン式炭酸ガス吸収装置は2000年竣工のうずしお(S592)から、主電動機への電機子チョッパーの採用は2001年竣工のまきしお(S593)から、昇降式アンテナはいそしお(S594)からそれぞれ採用されるなど、更に装備品も充実し、機能強化が進められている。
基準排水量=2750t、水中排水量3600t主要寸法全長82m、幅8.9×深さ10.3、喫水7.4m
主機ティーセル2基ディーゼル3,400馬力、メインモーター出力1基1軸、出力=7700phs速力=約12kt(水中)約20kt船型・複殻式葉巻型 乗員約70名、主要装備=魚雷発射管×6
同型艦
SS590おやしお 1998年3月16日 
SS591rみちしお 1999年3月10日 
SS592うすしお 2000年3月9日  
SS593まきしお 2001年3月29日 
SS594いそしお 2002年3月14日 
SS595なるしお 2003年3月   竣工
SS596号艦   建造中(2004年3月竣工予定)
SS597号艦   建造中(2005年3月竣工予定)

 主機ディーゼルは“はるしお"型と同じ川崎12V25!苧5S,主電動機の出力は550馬力増加している。推進器はハイスキュー付きの7翼である。攻撃兵器としては89式魚雷とハープーン対艦ミサイル兼用発射管6門に加え、機雷を自動的に発射し敷設する機雷自動発射装置を始めて装備した。原子力を軍事目的に利用したいという「非核3原則」の制約から、通常動力潜水艦の次世代の動力装置として、非大気依存(AIP:Air Dependent Propulsion)システムの実用化のブロジェクトに着手し、2000年には練習潜水艦あさしおにスウェーテンのコクムス社製のスター・リンク機関を搭載し、2001年12月から試験を開始している。

 潜水艦救難する艦艇は1985年に深海救難艦深海救難艘(DSRV=Deep Submergence Rescue Vehicle)を登載した潜水艦救難母艦ちよだ(3650t)が建造され、さらにDSRVを搭載した排水量5430トンのちはや(2代目)がふしみの代替えとして2000年に就役し、元掃海母艦AS∪はやせが潜水艦母艦として配属されている。なお、海上自衛隊の潜水艦の艦名は海象から「潮」に関する名称が付けられ、「親潮」「満潮」「渦潮」「巻潮」などの名称となっている。また、潜水艦は総て神戸にある三菱重工神戸造船所と川崎重工神戸造船所で毎年1隻を相互に建造している。

参考事項
潜水艦救難母艦ちよだ
● 基準排水童=3650t満載排水量4450t●主要寸法:全長113mX幅17,6m×深さ8.5m×喫水4.6m●主機ディーセル2基2軸:出力11500PS 速力約17kt●乗員約120名
主要装備:深海潜水装置一式、深海救難艇1隻
深海救難艇の要目:●全長12,4mX幅3.2mX深さ4,3m●重量40t●推進器出力30hp4kt
●操縦員2名、救助可能人員12名
ASRちはや型 
排水量も5400トンで救難能力や医療能力が格段と向上した。医務室のほかに手術室、レントゲン室の設置や潜航深度の増大に応じた装置を搭載した最新の替水艦救難艦ちよだに準じた艦である。しかし、潜水艦母艦的な機能は縮小されている。
基準排水量:5430t一満載排水量6200t●主要寸法:全長128m×幅20.0m×深さ6.7m×喫水5,1m●主機:ディーゼル2基1軸、出力19500PS●速力約約21kt●乗員:約125名
●主要装備:レスキューチェンバー:深海潜水装置一式