護衛艦隊の歴史と21世紀の護衛艦隊
1.創設期の護衛艦隊
 護衛艦隊は水上の機動的部隊であり、日本周辺海域からインド洋までBlue Water Navyの即応部隊として展開され、海上自衛隊の戦力の中核をなしてきた。その護衛艦隊はどのような歴史を経て今日を迎えたのであろうか。1950(昭和25)年の朝鮮戦争勃発により、52年4月1日には海上自衛隊の前身である海上警備隊が海上保安庁の外局として誕生した。しかし、3ヶ月後の8月1日には保安庁法が施行され、国内の激しい再軍備反対の声を背に陸上の治安維持を目的に保安隊が、また海上の治安維持を任務とする警備隊が発足した。1953年1月には日米船舶借貸協定が調印され、PF(Patrol Frigate:1450トン)18隻と上陸用舟艇(LSSL:300トン)50隻の引き渡しが始まり、4月1日にはPF7隻で第1船隊群(司令船「うめ」および第1船隊、第2船隊)が編成された。しかし、当時は平和憲法の発布直後で再軍備反対の声も高く、野党は保安隊や警備隊は憲法違反であると激しく追求し、吉田茂総理が「他国の脅威とならないので戦力ではない」、「戦力に至らざる軍備である」などとの「戦力」をめぐって珍答弁を繰り返している時代であり、階級呼称も1等海佐が1等警備正、1等海尉が1等警備士と呼ばれ、「戦」や「艦」という字が使えず「警備船」と呼称され、艦尾には櫻と7本の横線が入った警備隊旗を掲げていた。

 第1船隊群が編成され5月に日本一周航海を行い各地で一般公開を行ったが、地方の新聞は戦力論の影響からか「果たして軍艦か、フリゲート 見学者の意見もまちまち」との見出しで、「高性能の3吋砲もあり立派な軍艦だ」、「装備が貧弱で軍艦ではない」、「軍艦と船の合いの子でしょう」などと来艦者の感想を報じていた。1953年8月16日に第2船隊群(司令船「もみ」および第3船隊、第4船隊)が編成され、54年7月1日には防衛庁・自衛隊が発足し、「わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つことを目的とする」国防を任務とする海上自衛隊が誕生し、同日付で「けやき」を旗艦に第1・第2護衛隊群(PF隊)と第1警戒隊群(LSSL隊)からなる自衛艦隊が誕生し、船隊群は「護衛隊群」、船隊は「護衛隊」、1等警備士は1等海尉と呼称も変わった。同年10月には「リヴァモア」級駆逐艦2隻(「あさかぜ」「はたかぜ」)が供与され、翌55年2月に第5護衛隊、6月には「キャンノン」級の「あさひ」「はつひ」で第6護衛隊が編成された。56年には戦後初の甲型警備艦の「はるかぜ」「ゆきかぜ」1700トン級、乙型警備艦「あけぼの」「いかづち」「いなづま」1000トン級が就役した。

 著者の海上自衛隊のスタートはPFの機関士から始まるが、大戦中に米国が日本上陸時にソ連にも北から攻撃させ挟撃しようと、終戦直前にアラスカのコールド・ベイで供与した艦艇を、冷戦が始まると急遽取り返し海上自衛隊に供与したので、艦内には所々にロシア語の表示があり、時としてロシア製の部品なども見かけられた。艦隊訓練が終わり洋上で解散が令せいられると、最大速力15ノットしか出ない「たらい」のようなPFの横を、「お先に失礼」などとの信号を残し、国産の警備艦や米国供与の駆逐艦が母港へ急ぐのを恨めしく見送ったことを思い出す。以後、第1次防衛力整備計画で旧海軍の船体と、米海軍から供与あるいは貸与された武器を搭載した長船首楼、斜め甲板の「月クラス」、「波クラス」「雨クラス」の建造とともに第8、第9、第10護衛隊などの新編が続き、護衛艦隊が形成されていった。1961年9月には自衛艦隊が大幅に改訂され、水上艦隊は「護衛艦隊」となり、地方隊に所属していた航空部隊は「航空集団」となり自衛艦隊の指揮下に入った。この当時の護衛艦隊の旗艦は「てるづき」で、第1護衛隊群(DD5隻、DE3隻)、第2護衛隊群(DD11隻)、第3護衛隊群(DE2隻、PF6隻)であった。1965年には対空ミサイル・ターター搭載のDDG「あまつかぜ」3000トンが誕生したが、当時は海上自衛隊最大の護衛艦であり最初の全艦冷房艦であった。

 「あまつかぜ」は次々と米海軍から改修通達を受けて改装し、最後には水上目標も攻撃できるスタンダードミサイルSM-1MRに換装され汎用ミサイル艦に変身した。著者は船務長であったが、改造、改造で臨時修理費を使い、修理費を削られる周りの艦からは「金食い虫」と非難され、非冷房艦の級友からは羨ましがられ、SPS-52レーダーが3.5度傾斜しているため「おい、船務長、レーダーが傾いているぞ。ぎ装ミスでないか」などの質問に明確に説明できず、「地磁気を補正するためです。それ以上は防衛機密で言えません」などとの回答を繰り返していたエレキ音痴の自分を恥ずかしく思い出す。70年2月には第4護衛隊群がDEやPFなどで新編され、ここに念願の4ケ護衛隊群体制が確立した。

発展期の護衛艦隊
 第1次防衛力整備計画で国産艦が建造され、米軍から供与あるいは借与された艦艇は逐次返還されていたが、67年の海上自衛隊の保有艦艇総トン数の40%が未だ米海軍から供与あるいは貸与された艦艇であった。62年から66年の第2次防では66年にバウソナー、アスロック搭載のDD「やまぐも」級が誕生し、この汎用タイプのDDは第3次防では「たかつき」級、56中期防衛力整備計画では「あさぎり」級となり、08中期防では4600トンの「たかなみ」級へと発展して行った。一方、ヘリコプター搭載のDDHは第3次防で1973年に「はるな」級を、56期中期防で「しらね」級、さらに平成12年中期防では全通飛行甲板を有する空母型船型の13500トン級の16DDHとなり、現在長崎の三菱造船所で建造中である。しかし、「ひえい」の後継艦である2番艦は05年度予算では認められなかった。

 一方、ミサイル艦は「あまつかぜ」の「金食い虫」に音を上げたためか、その後10年ほどミサイル艦の建造はなかったが、1973年には第3次防でスタンダード・ミサイル搭載の第2世代のDDG「たちかぜ」級、88年には艦隊防空機能を向上させるため、各護衛隊群にイージス艦1隻を配備する計画の下に、93年には1番艦「こんごう」、95年には「きりしま」、96年には「みょうこう」、98年には「ちょうかい」を戦列に加え艦隊防空能力は一段と向上した。さらに、「平成14〜16年度の防衛力整備計画」では7800トン級のイージス艦「あたご」と「あしがら」を計画し、07年3月には1番艦「あたご」が就役し舞鶴の第4護衛隊群に、08年には2番艦「あしがら」が横須賀の第1護衛隊群への配属が予定されている。特にDDG「あたご」級は弾道ミサイル防衛構想における海上配備ミサイル防御 (NTWD:Navy Theater Wide Defense)を構成する中心兵力として、北朝鮮のミサイル発射などもあり期待が高まっている。

 艦艇の発展にともない護衛隊群の編成も変わり、冷戦期にはDDH(対潜中枢艦)1隻、DDG(防空中枢艦)2隻、DD(汎用護衛艦)5隻の計8隻と、哨戒機(対潜ヘリコプター)8機からなる「8艦8機体制」の「88艦隊」とも呼ばれる体制へと脱皮し、各種の洋上戦闘(水上戦、対潜戦、防空戦など)を効率的、継続的に実施可能なバランスある編成となった。80年には初めてリンパック演習に参加し、82年には日米首脳会談でシーレーン1000海里の防衛などの任務分担が合意され、護衛艦隊の対象海域は小笠原列島の南方まで拡大された。また、01年にはテロ対策特別措置法が成立しインド洋に給油艦と護衛艦を派遣し、この活躍は現在も継続中で、06年9月20日現在、米国(330回)、パキスタン(99回)、フランス(77回)、カナダ(41回)、イタリア(38回)、イギリス(26回)、ドイツ(21回)、ニュージーランド(15回)、オランダ(11回)、ギリシャ(10回)、スペイン(10回)など11カ国の艦艇に678回、艦艇搭載ヘリコプターに49回の給油、77回の給水を行っている。

海上防衛上の脅威の態様と護衛艦隊の作戦
 冷戦構造の崩壊を受け、1994年12月には有識者による「防衛問題懇話会」の「日本の安全保障と防衛力のあり方―21世紀に向けての展望」が提出され、政府は95年12月に「新防衛大綱」を決定し、海上自衛隊には主任務の「わが国の防衛」に加えて、「大規模災害等各種の事態への対応」と、「より安定した安全保障環境構築への貢献」の任務が付与され、対潜戦を主としシーレーンの防衛などに限られていた護衛艦隊の任務が、信頼性の醸成や国際協力などの政治的外交的な任務も担うようになった。また、96年には日米安保共同宣言のもと日米協力のガイドラインの見直しが行われ、日本周辺に緊急事態が生じた場合の日米の役割分担や日本の協力事項などが定められた。一方、国連の平和維持活動がモザンビークやカンボジアなどで成功し、ヨーロッパで冷戦体制が崩壊すると、国連や諸外国との話し合いで平和が維持できるとの錯覚と財政難から、護衛艦隊は「合理化、効率化、コンパクト化」が求められ、訓練用経費や使用燃料の削減、さらには公務員一律定員削減を強いられ、隊員に肉体的精神的なプレシャーを与えている。
 
 99年3月には日本海で不審船事案が発生し、初めて「海上に於ける警備行動」が発令され武器を使用し、98年8月と06年7月の北朝鮮のミサイル発射では、ミサイル探知警戒の実任務が発令されたが、今後は核・細菌・ガス搭載ミサイルの攻撃や原子力発電所などへのゲリラ/コマンド攻撃なども予想しなければならないであろう。一方、目を東シナ海から太平洋に向けると、17年間連続2桁の軍事費を増加している中国海軍が存在し、度重なる抗議にも東シナ海の海底ガス油田の既成事項化を進め、尖閣列島の領有を一方的に宣言して艦艇を遊弋させ、原子力潜水艦に宮古島沖の領海を侵犯させるなど緊張を高め、護衛艦隊の監視警戒出動も増加中である。さらに中国は沖の島を岩と主張し付近の海洋調査を増加させるなど、護衛艦隊は日本近海の対戦戦だけでなく、遠洋に於ける長期の海軍作戦を実施する長期行動性、自己完結性、即応機動性や、さらには陸海空三自衛隊間の統合運用、米海軍との相互運用の円滑化なども要求されるなど任務は日々加重されつつある。しかし、「格段と厳しさを増す財政事情を勘案し…..防衛力の一層の効率化、合理化を図り経費を抑制する」との05年中期防衛計画の下に、護衛艦隊に対する予算や人員の削減圧力は衰えを見せていない。07年度末には地方隊隷下の6ヶ護衛隊を護衛艦隊指揮下へ移すとともに、護衛隊群隷下の12ヶ護衛隊をDDH中心グループ4隊と、DDG中心グループ4隊の計8ヶ隊に集約されるが、合理化や効率化の美辞の下に削減されスリム化を続けているが、何時までどこまで削減されるのであろうか。

21世紀の護衛艦隊
 活動海域の拡大や任務の増加や多様化にともない、今後、護衛艦隊は航空自衛隊のエアーカバーが届かない海域での独立的行動が増加することを考えると、対空戦,対水上戦,電子戦,対潜戦,早期警戒管制、哨戒などの機能だけでなく、敵の海上プラットフォームを撃破し、制海権、制空権を確保する戦術空母を保有する必要があるのではないか。本年8月には北朝鮮のミサイルが発射され、イージス艦が注目を集めイージス艦への期待が高まっているが、イージスとはギリシャ神話の最高神ゼウスが娘のデイアをあらゆる邪悪から守るために与えた「胸当て(アオギス)」であり剣ではない。この神話が示すとおりイージス艦にはミサイルを探知する能力はあるが、それを打ち落とす武器はない。弾道ミサイル防衛の最も有効な対策はミサイル発射基地の事前攻撃であり、弾道ミサイル防衛の一手段として、ミサイル発射基地を破壊するトマホーク・ミサイルなどの装備も考慮すべきではないかとの主張もある。

 本年8月末には米海軍の最新のイージス艦シャイローが日本を防衛するために横須賀に展開された。しかし、集団的自衛権を認めていないためシャイローにミサイル情報を通知することも、シャイローが攻撃されても自艦が攻撃されない限り集団的自衛権の問題から、シャローを攻撃中の敵を攻撃することも、シャローが沈没し海上に漂う乗組員を助けることも出来ない。また、ミサイルを探知してから目標に命中するまで8分以下の時間しかないが、この短い時間内に情報が正確に総理に達し、総理は迎撃ミサイルの発射を令することはできるのであろうか。「21世紀の護衛艦隊」に真の実力を発揮させ日本の守護神とするか否かは、「武器使用比例の原則」などと警察と同一基準で運用している護衛艦隊を、国民が「普通の国」の基準で運用させるのか否かで決まる。護衛艦隊が「宝の持ち腐れ」とならないことを祈って筆を置く。