巻 頭 言:歴 史 の 国 際 化

世界に通じる普通の国になるために、 金融界は「ビッグバーン」という大波に揺れているが、国際化は日本のあらゆる分野で必要であり、 国際化を避けるべきではない。 歴史の分野でも国際化は必要であり、「先の戦争」における日本軍の不法行為についても、 気の重い仕事ではあるが、 世界に通じる文脈で書き直さなければならないと思う。 しかし、真の歴史の国際化、 認識の共有化が可能であろうか。
わが国では「われかく勇敢に戦えり」の時代は過ぎようとしているが、今度は「ゴメンナサイ」の歴史が始まった。しかし、隣の国ではチベット民族を軍隊が弾圧したことが世界的に定説となっているのに、
「チベットは中華人民共和国の神聖な領土の一部である」。 進駐した人民解放軍は「真剣に『三大規律八項注意』を実行し、
広汎なチベット族人民の支持と熱情あふれる歓迎を受けた」。 が、 しかし、 「チベット上層部反動集団が反革命武装反乱を起こしたので鎮圧した」と記し、
一九七九年のベトナム領内への侵攻作戦は「ベトナムの地域覇権主義に対して自衛反撃作戦を行った」ものであり、
この戦争によって「ベトナム侵略者を処罰する目的を達し、 中国人民解放軍の歴史に壮麗な一章を加えた」と自画自賛している。
このような人民解放軍史観を持ち、 歴史観を国家統合のナショナリズムに利用し、
対日外交戦略の道具としている国と、 共通の歴史を共有することが可能であろうか。
歴史の国際化に当たっては、国際化ができる国と、できない国があることを明確に区別し、国際化という言葉に陶酔し、
総ての分野で総ての国と歴史の国際化ができると妄想してはいないであろうか。