書評 広島国際大学教授 千田武志
閉校記念誌編集委員会『夢翔 100年の歩み』
本書は、明治42年の開校から閉校にいたる100年間の横須賀共済病院看護専門学校の歴史をまとめたものである。本書の内容は、およそ次のようになっている。
100年の歩み回顧
第1章 看護婦養成所の創設前史
第2章 共済会病院看護婦養成所の教育
第3章 看護婦養成所の卒業式
第4章 戦争中の共済病院と看護婦養成所
第5章 敗戦後の看護制度の改革と看護婦教育
付録 規則と学則
同窓生の思い出の期
「命」の現場に生きる 患者さんに寄り添い支えて
資料編
目次を見てもわかるように本書は、通史に加え、同窓生の回想記、座談会や在校生へのインタビュー、さらに重要な資料や写真を掲載するなど、歴史書として充実しているだけでなく、親しみやすく臨場感にとんだ内容になっている。なかでも通史は医療史、看護史研究のうえで必読の書と思われるので、以下、この点に焦点を絞り論評する。
本書の通史の第一の特徴は、多くの看護学校史が看護教育や生活などの記述に終始しているなかで、自らの存在する基盤を与えた外的関係にも目が行き届いていることである。特に第1章は、まず本校開校の前提として、日本の近代医学の祖ともいえるポンペの役割、彼の弟子たちによる日本におけるドイツ医学導入の決定、東京大学と陸軍によるドイツ医学の採用と海軍によるイギリス医学の導入と相克、海軍軍医高木兼寛のイギリスのセントトーマス病院医学校への留学、帰国した高木による海軍医務制度の改革、脚気病治療の確立、成医会講習所、有志東京共立病院、日本で最初のナイチンゲールの思想を具体化した看護婦養成所の設立、日本赤十字社などへの近代的看護教育の普及が明らかにされ、そして明治42(1909)年4月6日、横須賀職工共済会医院看護婦養成所が開所したことが述べられる。
もちろん、所在地である横須賀および海軍の影響も取り上げられている。こうした方法は少し冗長と考える向きもあるかもしれないが、この種の研究が少ないことや、養成所が開所から4年間は日赤看護婦委託教育を実施していたことなどの特殊性を理解するためにも必要といえよう。
このような外的関係重視の方針は、第4章、第5章においても貫かれている。このうち第4章の第一節においては、戦時下の横須賀海軍共済組合病院と看護教育の状況が、「横須賀海軍共済組合病院戦時計画書」などの資料を使用して跡付けられている。また第2節では、ラバウルに派遣された看護婦たちの献身的な活動と苦悩の様子が貴重な資料と写真(オーストラリア戦争記念館提供)により描かれている。また第5章では、戦後の混乱や占領軍(特にアメリカ海軍)との密接な関係による復興の過程の記述がみられる。
本書は自らを取り巻く外的関係を重視したことに特徴を持つが、決して看護教育や看護婦の生活を無視しているわけではない。それどころか2章で、看護生徒の入学資格と出自、教育内容、生活、第3章において卒業式の様子を具体的に取り上げるなど、戦前の看護教育の状況を描く努力がなされている。さらに五章においても、戦後の看護教育、入学試験と月謝、戴帽式、卒業式の様子が記述されている。
このように本書は、横須賀共済病院看護専門学校の一世紀にわたる歴史を日本近代史、時には世界史のなかに位置づけた、日本近代医療史、看護史の貴重な研究といえよう。こうした成果は、「全国の看護学校史に誇れる『横須賀共済病院附属看護学校100年史』を書こう」という平間洋一会員の、海軍、横須賀、看護学校によせる愛情と熱意、オーストラリア国立大学太平洋アジア研究所の田村恵子さんの協力、学校関係者の支援が相まってもたらされたものといえよう。最後にこれを機会に、海軍と日赤の看護教育の関係、各海軍共済病院および看護教育の類似点や相違点など、軍事医療、看護史の研究がさらにすすむことを期待する。
(横須賀共済病院看護専門学校、2009年、237頁)(千田武志)