波多野勝著
『近代東アジアの政治変動と日本の外交』
はじめに
20世紀の日中関係は、 日本の近代の対外関係の中でも、 最も激動に満ちた時代であった。
本書は、 この激動の日中関係を中心に、 政治・外交・軍事的視点からとらえようとしたものである。
日中は地理的、 民族的、 宗教的、 言語的にみても極めて近いが、 近代化の推移があまりにも対照的な違いを見せている。
この対照的に異なる中国に日本はどのような外交を展開したのであろうか。 本書は日清戦争に勝利し、
中国問題にかかわって行く日本の外交政策を、 内閣の交替にともなう政策の変化を、
政策決定に影響を与えた人物を軸に、 明治の伊藤内閣から大正の寺内内閣までを分析したもので、
次に示す第1部「東アジアの政治変動と日本」、 第2部「中国革命と日本」との2部からなっている。
第1部 東アジアの政治変動と日本
第1章 フィリピン独立運動と日本
第2章 南進から北進への転換
第1節 北清事変と日本の対応
第2節 北清事変と恵州事件
第3章 日韓併合運動
第2部 中国革命と日本
第1章 辛姓革命と西園寺内閣
第2章 中国第2革命と山本内閣
第3章 対独開戦と大隈内閣
第4章 中国第3革命と大隈内閣
第5章 段祺瑞政権の登場と寺内内閣
日本は中国に対してどのような外交を点火したのであろうか、 まず最初に本書の概要を紹介しよう。
1 第1部「東アジアの政治変動と日本」
第1部では南進論、 北進論を軸として展開しているが、 第1章の「フィリピン独立運動と日本」では、
日清戦争による台湾獲得という南進を、 米西戦争・フィリピン独立闘争との接点からとらえている。
この章のキーパーソンは中村弥六という憲政本党の代議士(武器の購入と輸送など国内における支援を実施)と原禎という陸軍砲兵大尉(現地に渡り軍事顧問として独立軍に参加)である。
孫文の革命資金から援助を受け、 フィリピンへ武器を輸送する布引丸は独立運動を裏面から支援する日本の独立は支援のシンボルであった。
ここでは原禎の意外な経歴が明らかにされ、 また日本の非公式支援が複雑にからんで結局は挫折するプロセスがクロスパズルを解くように紹介されている。
第2章の「南進から北進への転換」は、 台湾獲得後の日本が対岸の厦門に対し武力発動により進出する動きが取り上げられているが、 本章では後藤新平民政長官の積極的なリーダーシップと、 それが謀略であるとは知らなかった海軍側首脳の対比が描かれ、 著者はこの事件の挫折が海軍を北進論に密接に結び付かせたと主張している。 すなわち、 その端緒になったのが義和団事件で、 この観点から明治33年8月の北進論者の近衛篤麿と南進論者の後藤新平の会見は、 当時の政府部内の北進と南進の論点を明確にするためにも貴重な史料を提供した対談であるとえよう。 そして、 著者は本章で厦門事件による南進の挫折が、 恵州事件に結び付けたと分析している。
第3章の「日韓併合運動」では、 北進論の政治的帰着として論じられているが、 本章では対外運動家の内田良平、 武田範之といった国家主義者を登場させ、 併合運動を韓国人の組織である一進会を利用しようとする内田良平という人物の動向を中心に、 政府や朝鮮総督府の当時の動向を明らかにしている。 そして、 朝鮮問題同志会という従来あまり知られていなかった政治団体に焦点を合わせることにより、 日本政府、 総督府、 一進会支援グループを比較検討し、 日韓併合は、 はたして国際環境によるものなのか、 あるいは日本の国内事情によるものなのか、 吟味する議題は多いものの、 少なくとも内田や右翼グループなどが水面下で、 かなり下工作を行っていた事実があったことを明確に論証している。
2 第2部「中国革命と日本」
第2部の「中国革命と日本」では、 1911年の革命以後の中国の混乱と日本政府の対応について、
ケース・スタディー的に論証しているが、 この章の重点は西園寺⇔政友会と薩摩派閥⇔海軍との連携と海軍、
特に海軍長老の山本権兵衛の政治的指導力の分析が主軸を占めているのが特徴である。
第1章の「辛亥革命と西園寺内閣」では、 この革命に日本政府内が最初はかなり混乱し、
武力干渉論、 静観論が錯綜したが、 本章では現在まで余り触れられなかった海軍の対応を、
新史料の「竹下勇史料」と『財部日記』などを使用し、 ある程度明らかにしている。
ここで注目すべきことは、 海軍長老の山本権兵衛の指導力で、 山本の政治的指導力は同時期に断行された官制改正の1件が大きくクローズアップされるが、
対中外交指導においても国際協調を旨とし、 中国非干渉の方針を固く維持していた。
本章ではこの山本の指導力を軸に牧野外相の外交指導や、 陸海軍を含む政軍関係の動向にも言及し、
当時の日本外交の展開を明らかにしている。
また、 山本の指導力については、 第2章の「中国第2革命と山本内閣」が、 さらに、
いくつかの回答を用意している。 山本の率いる海軍は、 出先機関の中支派遣隊や軍令部の福建方面への利権獲得工作などは散発していたが、
静観を持し外務省と協力し慎重論を保持していた。 しかし、 その後に外務省の阿部守太郎政務局長の暗殺事件、
さらには憲政擁護運動以来高まりを見せた世論、 民衆の激昂に迎合する党利党略もからみ、
外交問題が国内問題と変質し山本の協調路線に不満だった出先の軍が、 いくつかの事件を機に政府の方針に反して中国側に譲歩を要求していたことを示し、
著者はここに山本内閣の限界があったとしている。
第3章の「対独開戦と大隈内閣」では、 対独参戦をめぐる参謀本部と軍令部の対応を比較しつつ、
大隈内閣の外相加藤高明の外交指導を主対象に分析している。 シーメンス事件で中国に対する静観政策の刷新を求める大隈内閣が出現したが、
本章は参戦及び青島攻略や南洋群島の占領にともなう対米関係の悪化が懸念される中で、
外交の一元化をはかる加藤外相のリーダーシップが検討され、 参戦初期には参謀本部の関東部督、
台湾確保の独断出兵問題、 榴家屯事件の2つの出兵を阻止したが、 山東鉄道占領では陸軍の容易周到な計画により追従せざるを得なかった加藤外相のリーダーシップの限界が論証されている。
第4章の「中国第3革命と大隈内閣」では、 加藤外相のリーダーシップにより開戦初期には上述のとおり、
政府首脳が軍の独走を一応は押さえ、 外交における指導力を掌握していたが、 この指導力が加藤外相の辞任を境にかげりが生じたことを論証している。
著者は中国第3革命に対する外務、 陸海軍の幹部による外務省秘密会議での田中義一参謀次長のリーダーシップを「竹下勇日記」「奈良武次日記」「八角三郎メモ」などを利用して、
反袁政策のプロセスを明らかにしている。 そして、 第3革命に対して静観から干渉に急速に傾斜させたのが、
この外務省秘密会議参加の事務担当者であり、 この会議を通じて外交のリーダーシップが政府首脳から、
これらシニアーリーダーに移り、 閣議で袁世凱打倒を決定させるなど、 加藤外相の辞任を境に政府内上層部の権力構造に大きな変化があったことを論証している。
第5章の「段祺瑞政権の登場と寺内内閣」では、 このような対中強硬政策の振り子が揺れ戻り安定して行く方向へと進み、
第3革命干渉への反省から臨時外交調査会を設置したが、この章では第1に本野一郎外相が対中問題をいかなる枠でとらえ、
どのような政策を展開したかを第2次大隈内閣と比較検討している。 第2は反袁政策に陸海軍がいかなる対応をしたかを、
田中参謀次長を軸に分析している。 そして、 外交の一元化という政府の意図が臨時外交調査会での対中問題の議論を通じて、
どのように展開されたかを寺内内閣の対中外交の基本方針である「不偏不党」政策に対する陸・海軍および原敬などの動きを中心に分析し、
辛亥革命依頼の日本の課題であった北方支援か南方支援か、 あるいは南北妥協への努力かで揺れたが、
アメリカの発言力の増大とドイツの敗色濃厚の中で、 中国の対独参戦を日本に有利にするために援段政策に傾かざるを得なかった。
すなわち、 寺内内閣には日中関係の枠内でなく、 日米関係をより意識しなければならず、
ここに寺内内閣の対中国政策の限界があったとしている。
おわりに
以上で各章の内容の説明を終わるが、 著者は当時の日本の対中政策は北京が親日政権である場合は大きな問題はないものの、
反日的政権であればあるほど政府への国内の圧力が高まり、 政府も譲歩して強硬な対中政策を展開してたと当時の対中政策を分析している。
また南進・北進の分岐点となった中国革命への日本の対応は支離滅裂、 混乱そのものであり、
それは自主外交か欧米協調かのジレンマを地で行くもので、 決して理念や国家戦略に裏付けられたものでなく、
対処外交という「日本外交そのもの」であったと総括している。 次に本書の価値であるが、
その第1は現在まであまり触れられなかった海軍と中国との関係、 海軍の中国政策をめぐる政府部内の動向や役割、
さらには海軍の政治力を深く分析し明らかにしたことである。 第2の価値は憲政史料室所蔵の「樺山資紀関係文書」「斎藤実関係文書」などの既存史料に加え、
新しく「財部尭文書」「竹下勇文書」などを発掘し利用しかなり新しい事実を明らかにしていることである。
第3の価値は膨大な個人的史料を駆使した結果、 従来政策決定の水面下にあった人事や人脈など人の動きを克明に描き出し、
政党・派閥や陸海軍および民間の対外強硬派などの個人が政府の対外政策決定に及ぼした影響を分析したことである。
次に多少の問題点を述べると、 紙面の関係から割愛されたのであろうが、 外交とは相手があって動くものであり、
交渉過程は作用と反作用の軌跡であろともいえる。 この観点から本書で検討された各時代、
各事象に対する諸外国の動向が欠けていることは淋しく、 これらを研究するならば、
日本のフィリピン独立運動支援が、 その後の日米関係、 日・フィリピン関係に与えた影響が明らかになり、
さらに新しい視点も開けたのではないであろうか。 例えば、 布引丸をめぐる日本の武器援助や義勇軍参加者たちの動向は全てアメリカ側に察知されており、
この日本の非公式な独立派への援助が日本のフィリピンへの野望ととられ、 アメリカは単に対日猜疑心や警戒心を高めただけでなく、
アメリカ陸軍はこの対日猜疑心や警戒心を兵力増強に利用しようとたのであった。
一方、 このささやかな、 とるに足りない日本の非公式援助が、 フィリピン独立運動家の士気を鼓舞し、
フィリピン国民に空想的な対日援助を期待させ、 さらに日本賛美を生んだ。
そして、 アメリカはフィリピン国民のこの対日期待を過大に評価し、 フィリピンでの反日宣伝や反日教育を強化するなど、この布引丸に代表される日本の非公式援助が、
その後の日米関係や日本・フィリピン関係に大きな影響を与えたのであった。 このほかに朝鮮併合運動における朝鮮人の一進会の動き、
厦門出兵に対する列国、 特に同盟国イギリスの対応、 辛亥革命時に中国政府と革命側の仲介を演じていたイギリスが日本に通知することなく独断専行してしまった理由など、
諸外国の動向なども欠如している。 本書の他の部分、 日本国内の動向の記述が厚みがあるだけに、
日本の対応に対する諸外国の動きや、 諸外国からの視点の欠如がやや物足りない感じを読者には与えるのではないであろうか。
しかし、 これらの問題は本書の問題というよりは、 むしろ今後の研究課題であるとも言えよう。
論者は著者が今後はアメリカ、イギリス、 フィリピン、 それに韓国などの史料を利用し、
諸外国の国益や世論による対応の変化などを、 著者独特の精彩なる分析を加え、
従来、 日本国内のみの分析に偏しがちな日本外交史研究に新風を吹き込むことを期待したい。
また、 当時の経済的、 文化的背景や政党と外交などについても紙面の関係からかあまり言及されていないが、
これらの問題がもう少し親切に各所に加えられたならば、 読むものに時代背景や政治の全体像が理解で、
よりバランスのとれた、 それでいて深層的な書になったのではないであろうか。