原剛著『明治期国土防衛史』
明治期に関する軍事史研究には多数の優れた研究書があるが、それらの研究書は軍部を主体とした国内政治や組織制度、あるいは日清・日露戦争の戦略や戦闘に関する研究が主で、国土防衛のためにどのような計画が策定され、どのような施設が建造されたかなどにする研究は少ない。本書はこの歴史の空白を埋めるもので、『幕末海防史の研究』(1988年、名著出版会)に続く、明治初期から日露戦争にいたるまでの国土防衛の軌跡を明らかにしたところに特徴がある。著者は一貫して沿岸砲台や要塞などの研究を続けてきたが、これら要塞は戦前には秘密のべ-ルに包まれ、戦後は軍事アレルギーから見捨てられ放置されてきた。しかし、これらの施設は明治の土木技術の足跡を示す建築学上からも貴重な近代化遺産である。また、掲載されている図面は著者の長年にわたる実地調査により完成したもので、何センチ砲が、どの方向に向けられ何砲あったかなどの記録は、埋め立てなどが進み地形が変更されてしまった現在では、地方史研究に不可欠な資料であり、本書はこの観点からも貴重である。本書の構成は次の通りである。
序論
第1章 国内治安重視期の国土防衛
第2章 国内治安重視から国土防衛重視への転換
第3章 日清戦争時の国上防衛
第4章 対露軍備充実期の国土防衛
第5章 日露戦争時の国土防衛
終章 守勢作戦から攻勢作戦へ
第1章は徳川幕府を倒した明治新政府が、対外防衛よりも政権を安定させるため、政府直属の軍隊を編成していった経緯が主要なテーマであるが、海岸砲台などの建設経過が計画段階から述べられている。また、新政府内部には新国軍の建設に当たって、藩兵によって編成しようとする藩兵主義と徴兵により編成すべきであるとの反藩兵主義の対立があつたが、最終的には折衷策として諸藩兵を逐次、御親兵・鎮台兵へと組み入れ、それを基盤に新しい徴兵制軍隊を編成した。一方、海軍については、諸藩からの献納軍艦と外国からの購入軍艦によって直属海軍を編成したが、西洋諸国が次々とアジア諸国を支配下に治めているときでもあり、政府内には海軍を優先整備すべきであるとの主張もあったが、海軍を優先的に整備すれば陸軍の改編が遅れ封建的諸藩兵が温存され、新政府の基盤が弱化することから対立があったが、最終的には陸軍を優先的に整備した過程が詳しく述べられている。
第2章では徴兵制の軍隊が西南戦争で健闘し国内的な危機を乗り切ると、新政府は対外防衛にも力を入れることになったが、この動きに拍車をかけたのが朝鮮をめぐる清国との対立であった。国際情勢の影響を受けて陸軍は海岸防禦取調委員を設け、全国的に防禦地点の研究を行ない、明治13年には東京湾口の砲台建設に着手し、明治20年には対馬・下関海峡、同22年には紀淡海峡の砲台建設を開始し、各地に要塞砲兵部隊を編成した。また、これと平行して鎮台制を野戦で独立した戦闘ができる師団制に改め、日清戦争までに近衛師団を含め7個師団体制を確立した。また、明治18年にはドイツから招聘したメッケル少佐の指導を受け、敵の上陸地点に部隊を集中して上陸部隊を撃破する対上陸作戦の研究を開始し、明治25年には全国緊要地点と配備すべき兵力、監視すべき海岸、敵が上陸した地点に対する部隊の移動集中要領などを示した最初の対上陸作戦計画を作成した。
一方、海軍は明治16年から軍艦の計画的建造を開始したが、軍事当局者の間には甲鉄艦を中心とした外洋艦隊を整備すべきとする軍事部と、海防艦や水雷艇などの沿岸防備用の艦艇を主に整備すべきとする主船局の意見とが対立した。しかし、最終的には折衷案で整備された。また、要港等の防備のため機雷、魚雷の購入や開発も進められ、横須賀鎮守府に続いて呉や佐世保鎮守府が設置され、これら鎮守府が全国の沿海を区分担当し防備した。また、艦艇の増加にともない防御海面に固定されない機動的な常備艦隊(のちの連合艦隊)を編成した。また、明治16年から機雷や水雷艇による沿岸防御にも本格的に取り組み、横須賀・呉・佐世保に水雷隊を設置していった。また、本章で注目すべき点は国土防衛基盤の整備の一環として、鉄道、道路、通信、地図や海図などを整備していった状況が述べられ、軍隊が日本の近代化に大きくかかわっていたことを明らかにしていることであろう。
第3章では日清戦争時の本土防衛の概要と東京湾、大阪湾、呉軍港・広島湾、下関海峡、
佐世保軍港・長崎港、対馬などの要地防備の実態が明らかにされており、当時の陸海軍が
朝鮮半島・遼東半島などの大陸での外征作戦だけでなく、本土防衛にも力を入れざるを得なかった当時の日本軍の実情が理解できるであろう。
第4章は日清戦争後から日露戦争までの戦間期に、国土防衛態勢がいかに整備充実されたかについて述べられているが、日清戦争後に露独仏の三国干渉を受けた日本が、強国ロシアの恐怖を感じて陸海軍備を拡張していった経緯については多くの研究がある。しかし、本書はこれらの研究から欠落している国土防衛態勢、特に要塞の建設、海岸監視哨の建設などの防備体制の確立や守勢作戦計画などを明らかにしているところに特徴がある。すなわち陸軍は函館・舞鶴・鳴門・芸予・呉・佐世保・長崎などに要塞を建造し、要塞砲兵部隊を設置し、既存の東京湾要塞・由良要塞・下関要塞・対馬要塞には砲台を増設した。一方、海軍は66艦隊の建造をすすめ明治35年には66艦隊を完成したほか、沿岸防備兵力として水雷艇など6〇余隻を建造し各軍港・要港などに配備した。
第5章では日露戦争中の本土の防衛態勢、すなわち全国沿岸の主要地点に陸軍は海岸監視哨を、海軍は海軍望楼を設置し沿岸の警戒監視にあたっていた沿岸監視態勢と要地の防備態勢について述べられている。特に本書の価値を高めていることは、著者が実地に東京湾、函館.小樽港、紀淡海峡・鳴門海峡、芸予海峡、呉軍港・広島湾、下関海峡、佐世保軍港・長崎港、対馬などを調査し文献に当たり実地と文献から陸海軍の本土防備体制を分析していることである。
終章では、日露戦争に勝利すると「1億の国費と10万の生霊」によって得た大陸の利権を守り、さらに発展させるべきであるという国論が起こり、陸軍からは守勢作戦を捨て大陸で戦う攻勢作戦が主張された。一方、海軍からは米国のマハン大佐の『海洋権力試論』の影響を受け、大陸への進出を取りやめ海洋国家として商船隊や海軍を充実増強すべきであると南進論が唱えられ陸海軍が対立したが、この部分に関する記述が少ないのは残念である。また、史料に忠実なため本文中に原典が多く、専門家以外には「読みにくい」という問題がある。本文中の原典の引用を必要最小限に留め、付録あるいは註に廻したならば読みやすくなったのではないか。一般読者向けに新書版で著者の卓見を披露して頂けるならば幸いである。
(A5版、594頁付図44頁、9500円、錦正社)