自衛隊創設50周年に寄せて

海上自衛隊、防衛大学校と43年間も防衛庁とともに歩んだ私には、自衛隊50年の歴史は私の人生に重なる。それだけに自衛隊や安全保障をめぐる論文などを読むと、「あれをなぜ書いてくれないのか」「これは違うよ」などとの不満も少なくない。なぜ、このような不満が生まれるのだろうか。それは自衛隊が野党やジャーナリズムなどから、政争や自衛隊非難に利用されたため、不要となった文書を極力焼却し、また、保管している史料も国家の安全を口実に公開しないため、研究者が史料を入手出来ないことにもある。また、それは自衛隊に史料を保存する専門の部署がなく、全ての文書を保管期限が過ぎると焼却してしまうからでもある。旧陸海軍時代には歴史を編纂する常続的な部署があり、平時でも各種の報告書や電報、会議資料、さらには大臣を訪れた人との会談のメモまで残していた。
私は「海軍省副官綴」にあった鉛筆書きのメモを利用し、「エリス少佐の変死事件―英雄は創られる」(『日本歴史(第587号)』を書き、対日戦争計画立案者のエリス少佐が、上陸作戦適地を調査中に日本海軍が毒殺したとの汚名をそそぎ、その死はアルコール中毒であったと反論することができたのである。
自衛隊には国家の安全の基軸であるだけに、日米関係から掃海隊のペルシャ湾派遣、各種PKOなど後世に残すべき多くの歴史がある。しかし、これらの貴重な史料が不要文書処理の美名のもとに焼却されてはいないであろうか。歴史を粗末にする組織から未来は見えない、歴史を学ばずして戦略は生まれない。創立50年を機に歴史を残す努力、歴史を活用できる人材育成の努力をお願いして筆を置く。