昭和史発掘:山本権兵衛宛
五・一五事件被告への減刑嘆願書


 この手紙(嘆願書)は昭和八年七月二八日、 五・一五事件の判決一ケ月前に、 海軍の大御所であり、 総理大臣を二回勤めた山本権兵衛宛に出された東北の農村(宮城県)の一庶民からの便箋三二枚にわたる長文の減刑嘆願書である。 手紙などを余り残さなかった山本権兵衛が、 なぜ、 この手紙を残したかは不明であるが、 この手紙が示す通りこの事件に対しては、 全国的な同情の嵐が起こり、一一七万人が減刑嘆願書に署名したという。 本誌の昭和史の史料発掘は、 政治家、軍人や外交官などの国家の指導的立場の人々の埋もれた史料を発掘し、多くの歴史的真実を明らかにしてきたが、 それは常に有名人物であった。 今回紹介するのは、 全く無名の一庶民の手紙であるが、相当のインテリである。また、この手紙から当時の社会思想であった大家族国家論で減刑を訴え、 政治腐敗には思想や政党を超越した憂国の国民を統合し、 強力に政党を指導する「大日本憂国協会」を結成せよと、 その後に大政翼賛会が結成されるに至った国民の願望など、 国民の目から見た昭和史の底流が伺われるなど貴重な昭和史の一面を示す史料ではないであろうか。本論は某雑誌に「昭和史発掘」というシリーズで掲載することで依頼されたが、ライバシー保護の問題から掲載を中止したものである。プライバシーを保護するために住所氏名は省略した。

1 手紙の解説

 手紙の著者は「地位もなく学もなく才もない」「賎しい身分」とは書いてはいるが、 世界情勢を論じ、 「一体に独乙には愛国者が多く、 而かも彼等は健康で勤勉で鉄血であるが故に、 一時的には思わぬ繁栄を致しますが、 しかし、 彼等の愛国は余りに偏狭で冷血であるが為め、 思わぬ敵を内外にもうけて思わぬ滅亡を招くことがあります」とその歴史的洞察は鋭い。また、 国内の政治的混乱、 経済問題や思想問題を論じてはいるが、 政府・政党・財界も自戒努力をしており、ロンドン軍縮条約も経済的に止む得ないものであったと書き、 さらに、 三上卓被告(海軍中尉・二八才・海兵五四期・巡洋艦高雄乗組)が主張する「十割対十割は空想」であると決め付けている。 これらのことからも、 この手紙の発信者はかなりのインテリであり、 単に感情論からの減刑嘆願ではなく、 当時のファッショ化に危機感を抱き、 それが減刑嘆願にも連なっている。以下、 この手紙が歴史的に価値かあると思われる点について解説したい。

(1)大家族国家論
 
 この手紙の特徴は、 政府系の人物山本権兵衛宛だけあって、 政治や政党に対する批判は控え、 唯々、 被告の減刑を嘆願しているが、 減刑嘆願の根拠は家族国家論であった。 当時日本はロシア革命の成功、 ヨーロッパにおける帝政の崩壊などから、 天皇制への批判を強め自由奔放な風潮ーいわゆる大正デモクラシーが国家体制そのものを揺るがしていた。 これに対して政府や支配階級はロシア帝国を崩壊させ、 ドイツ、オーストリアを共和国化したデモクラシー以上の世界に冠たる日本の国家体制を示し、 国民に確信させなければならなかった。 それが著者が「日本国民の総ては一家族であり兄弟であり、 真に血を分けた肉親である」という「億兆一心万民一体」の大家族論であった。 頻発する小作争議や工場労働者のスト、 有産階級と無産階級の対立・分離を、 著者は慈悲と報恩を基本とし、 天皇を心のよりどころとした一家の家長に率いられるような人間的温かさを持った強調する大家族国家論が強調されている。

(2)大政翼賛会的組織論


 著者は思想的左右対立や政治的混乱に「資本家も労働者も、 軍人も官吏も、 農民も地主も、 政治家も政党も、 商人も教育家も、 其の他の一切の日本国民が階級観念や一切の私利私欲を捨てて、 国家公益の為に、「国民一切同胞的精神運動」を起こすことを提案している。 また、 諸政党、 諸結社などの「紛争の沈静協調」や、 「諸政党を厳重に監視し、 その腐敗堕落」を根絶させるために、 いかなる職業、 階級も老若男女も問わない「憂国の士」を構成会員とした、 「全国的全民族的」な一大結社を組織すべきだとしている。 そして、 この「一切を大所高所より抱擁する厳正中立」の、 このような組織があれば現在のような事態に、 「挙国一致内閣強力内閣をして、 之を批判し監視し鞭撻して最大の成績を上げしめることが出来る」と訴えている。

(3)嘆願書が指摘した減刑理由と判決

 事件発生一年後の一九三三年(昭和八年)九月に陸軍が、 一一月に海軍が判決を示したが、判決は嘆願書の著者の書いた筋書通りであった。 すなわち判決では、 海軍側首謀者の三上卓(海軍中尉)、 古賀清志(海軍中尉)、 黒岩勇(予備海軍少尉)の三名が死刑を求刑されたが、 しかし、 判決はこの手紙の主が被告を死刑から救うには、 首謀者を事件三ケ月前に上海上空で戦死していた「故藤井少佐に押し付けてしまうことです」と指摘した通り藤井少佐とした。 そして、 海軍軍法会議は海軍刑法の二十条の反乱罪の「首魁ハ死刑ニ処分ス」を適用せずに、 「謀議ニ参与シ又ハ群衆ヲ指揮シタル者」との謀議と群衆指揮を適用し、 禁固一五年に軽減したのであった。

2 五・一五事件への道

 第一次世界大戦中、日本は異常な好景気に恵まれ、「鉄成り金」「船成り金」などの「成り金」が出現し泡沫利益に浴くした「成り金」景気が起った。 しかし、 大戦が終ると各種の矛盾を内蔵する日本経済は頭打ちとなった。 戦後の財政整理はわが国経済の最大の問題であったが、 政府は経済界の動揺を恐れて不良企業の整理を行わず、 むしろ日本銀行の救済貸出しや特別融資などを行い取り繕って来た。そこえ三年後の一九二三年(大正一二年)九月一日には、 マグニチュド七・九の大地震が関東地方を襲った。総被害は六五億円、 それは大正一一年度一般会計予算額の三倍を越える額であった。このような経済危機から回復しきれない日本に、 さらに「暗黒の木曜日」と呼ばれる世界不況が襲った。 日本はこの「暗黒の木曜日」の約三週間後に金解禁声明を発表し、 翌一九三〇年一月一一日に世界に逆行して、 金解禁を断行するという財政上の失策により巨額の金を国外に流失させてしまった。 株価・物価の暴落、 工業生産の低落、 輸出入の不振、 国際収支の悪化と続き、 一九三一年(昭和六年)には最悪の事態を迎えた。

 底知れぬ不況に倒産があいつぎ、 都市には失業者が溢れ、 農村は疲弊し食にこと欠く窮状にあった。 さらに、 中国では反日運動が高まるなど、 日本は内外の問題に対して改革が必要であった。 しかし、 民政党、 政友会の二大政党は党利党略に明け暮れ、 醜い姿を衆目にさらし、 政財界の汚職事件も絶えなかった。また、 国民大衆も勤労を避け安逸に走り、 時代不安を反映して不安・憂鬱・懐疑・エロ・グロ・ナンセンスなどの流行語がはやり、 モガやモボが流行しカフェーが全盛を極めていた。

 一方、このような風潮に関東大震災が発生すると、 天罰思想が台頭した。 そして、 災害二ケ月後の一一月一〇日には、 「国家興隆ノ本ハ国民精神ノ剛健ニ在リ 之ヲ涵養シ之ヲ振作シテ以テ国本ヲ固クセサルヘカラス」との、 「国民精神作興ニ関スル紹書」が発布された。 さらに一二月二七日に虎の門事件(山本内閣は警備責任をとり引責辞職)が発生すると思想善導のもとに、 「国民道徳」「醇風美俗」「国民精神」「階級調和」「共存共栄」「勤儉貯蓄」などの徳目など強調され、 全国に国民精神作興会が作られた。 さらに、 不利な比率に圧迫されたロンドン条約がこの運動に国家主義的なベクトルを与え、 またこの運動に一つの弾みを付けた。一九二九年(昭和四年)には一七団体しかなかった右翼団体が、 一九三〇年には二六団体、一九三一年には六五団体、 一九三二年には一四四団体に達した。

 一九三〇年一〇月一日には陸軍の橋本欣五郎中佐により「桜会」が結成された。 それは「現今の社会層を見るに、 高級為政者の背徳行為、 政党の腐敗、 大衆に無理解な資本家、 華族、 国家の将来を思はず。 国民思想の頽廃を誘導する言論機関、 農村の荒廃、 失業、 不景気、各種思想団体の進出、 嘛燗文化の躍進的擡頭、 学生の愛国心の欠如、 官公吏の自己保存主義等々邦家の為寔に寒心に耐へざる事象の堆積なり。 然るにこれを正道に導くべき重責を負う政権に、 何ら之を解決すべき政策の見るべきものなく、 また一片の誠意の認めるべきものなし」との危機感から生まれたものであった。

 国民の政党内閣に対する不信は日増しに増大した。 そしてテロの季節が始まった。一九三〇年一一月一四日には、 屈辱的ロンドン条約によって神聖な統帥権を犯したとしてロンドン条約調印の最高責任者、 浜口雄幸が東京駅で右翼の「愛国社」の佐郷屋留雄によって狙撃された。 そして翌年三月および一〇月には、 未然に発見されたが桜会によるクーデターが発覚し、 一九三二年二月九日には民政党総務で、 前蔵相の井上準之助が血盟団員小沼正によって、また翌三月五日には三井合名会社理事長の団琢磨が血盟団員菱沼五郎によって射殺される血盟団事件が、 そして五月一五日に五・一五事件が起こった。

3 五・一五事件

 この事件は海軍中尉三上卓以下六名の海軍士官が中心となり、 これに陸軍士官学校生徒一一名、 民間人八名が加わり五月一五日午後五時二〇分から三〇分にかけ、 首相官邸などを襲撃し犬養毅首相に重傷(同日午後一一時二六分死亡)を負わせ内務大臣官邸、 政友会本部、 日本銀行、 警視庁などを襲撃した。 事件そのものは関係者も少なく、 短時間に全員逮捕されたクーデターとしては幼稚な単なるテロ事件であった。 しかし、 「刻下の祖国日本を直視せよ。 政治、 経済、 外交、 教育、 思想、 軍事、 何処に皇国日本の姿ありや。 党利に盲いたる政党、 之と結託して民衆の膏血を搾る財閥と、 更に之を擁護して制圧日に長ずる官憲と、 軟弱外交と堕落せる教育、 腐敗せる軍部と悪化せる思想と、 塗炭に苦しむ農民労働者階級と、 而して群処する口舌の徒と。 日本は今や斯の如き錯綜せる堕落の淵に死なんとしている。 革新の時期今にして起たずんば、日本は滅亡せんのみ。 国民諸君よ武器をとれ。 今や邦家救済の道は唯一つ「直接行動」以外の何ものもない。 国民よ、 天皇の名において君側の癌を葬れ、 国民の敵たる既成政党を殺せ。 横暴極まる官憲を懲戒せよ(五・一五事件の檄文)」との主張が、 生活苦に喘ぐ国民大衆に共感を与えた。

 マスコミは法廷での被告の陳述を、 検証することもなく、 そのままセンセショナールに報道した。公判が進むに従って世論は次第に同情的となり、 減刑や嘆願運動が激化した。 裁判で首謀者三上中尉など三名の死刑判決が出ると、 同情は一斉に盛り上がり減刑嘆願署名者は一一四万八〇〇〇人にも達した。また、 五・一五事件の衝撃は法廷において被告や弁護人が述べた政治の矛盾や、 国家改造論の要旨が連日新聞に報道され、 国民各層に共感を呼び急進的国家主義運動を台頭させ、 それが「襲撃」以上の効果を発揮したことであった。

 裁判後に海軍大臣岡田啓介大将は全軍に「専心各自ノ本分ニ精励シ上下相信ジ軍規ノ粛正ニ全力ヲ傾クルヲ要ス」と訓示し、海軍兵学校の教官には「今次不祥事件ニ鑑ミ生徒精神教育上留意スベキ点並ニ改善スベキモノアラバ之ガ方策ニ関シ所見ヲ説述セヨ」との課題を課するなど事件の再発防止に努めた。このためか、 海軍ではその後このような事件は起きなかった。 しかし、 この事件が海軍強硬派を力付け、 海軍大臣の権限を縮小する海軍軍令部条例を改定させ、 軍令部に力を与えてしまった。 一方、事件に衝撃を受けた海軍の、 その後の“Silent Navy(政治不干渉)"教育が、 海軍の政治力を低め陸軍の独走を許した一因ともなってしまった。 しかし、 この事件の何より大きな衝撃は、 この五・一五事件が広く多くの国民の同情や共感から一人の死刑者も出なかったこともあり、 青年将校たちに同種の行動に対する関心を深め、 「深く同憂者の決起に刺激せられ、 益々国家革新の決意を固め、 右目的達成の為には非常手段も亦敢へて辞すべきに非ず」と二二六事を引き起こすなど、昭和動乱の導火線として国家改造思想に火を付け、 若い陸海軍の士官や右翼を感奮させ、 連鎖反応的右傾化を日本に生起させ、 昭和日本をファシズムの道へと導いたことであった。

4 手紙の本文


 拝啓
 拙ない筆を以て突然失礼を申上げることをお許し下さい。

私が此の度、 賎しい身分をも省みず失礼を申し上げるのは外の事ではありません。 今公判に付されている彼の昭和七年五月一五日に陸海軍軍人によってなされた五・一五事件に付いて、 お願いがあってでございます。 それは私の考えでは古賀中尉(清志・二五才海兵五六期・霞ケ浦航空隊飛行学生)以下、 どうしても一〜二人は死刑になると思うのです。 併し私の考えではどうしても、 此の純情にして唯、偏狭なる正義と愛国とに全霊の血熱を沸かしている、 飽くまでも実践的な凶暴な愛すべき青年士官を殺すことを欲しないのです。 どうしても、どんなことをしても助けたいのです。 ー そして助けて頂きたいのです。 私の伯爵に対するお願いは実に此處にあります。 かく言えばとて、 私は決して何等の理由なく、唯だ個人的な一個の感情によってお願いするのではないのであります。 感情的に唯だ感情的にのみ言えば、 閣下は彼等青年士官の行為なり、 言動なりをお憎しみになっておいでしょう。 なぜなら彼等は閣下並びに閣下の一党を呪い憎んで居り、 彼等の或者に至っては閣下の愛婿である財部大将(彪・ロンドン軍縮会議海軍代表・妻は山本権兵衛の長女)に対して、「海軍を代表として国防を背負うべき者が、 ロンドン三界までしわくちゃ婆アを引き連れて、 定見なき軟弱外交の醜骸をさらした」などと悪罵を浴びせているからであります。

 静かに目をつぶって我が帝国の現状を考えます。 而して、 その時頭に浮かんで来るものは何でしょう。 外的には帝国の国際連盟脱退であり、 新興満州国の建設であり、 太平洋を隔てて遥か米国に於ける大海軍の現存であり、 その反日的世界外交であり、 隣国支那の国民的反日感情であり、 そして帝国の西部にソビエート・ロシアの野心があります。 又、一方内的には朝鮮問題があり、 政党・財閥の腐敗があり、 人民の貧と飢とに泣くあり、 非国民的共産主義の潜行運動があり、 そして民衆の一部並びに陸海軍の青年将校を中心として、 此の現在の国家的非常時を背景に、 血腥さい殺気を帯びて時刻々に、 年若い愛国的青年の間に拡がり行く火の様に熱い強暴な非合法的ファッショ運動があります。 ー かように考えた時、 我々に前田犬千代の桶峡の戦いに於ける如き、 悲壮な而かも光明に満ちた雄々しい姿を、 帝国の現状に見ると共に、 又、 一方日本の源平時代以来の歴史に見るような、 又支那や独乙に見るような、 同族相喰む的な悲惨な姿を帝国の現状に見ざるを得ません。

 日本の歴史は皇統れんめんとして実に立派なものでありますが、 源平戦以来周期的内乱が絶えず、 戦国時代に至っては実に国内無政府状態を現出するに至りました。 又支那に就いて見れば、 蒋介石が勢力を得れば彼の欠点を拾って彼を攻撃し彼と戦争し、 又馮玉祥が勢力を得れば彼をねたんで彼をいじめ、李宗仁が力を得れば彼を倒すという具合に、 少しも彼等は妥協し譲歩し、 一致し協力して国を建てて行こうとする心がありません。 それで支那の国は何時になっても統一が出来ず、 内乱が絶えず、 国民は常に塗炭の苦を受けています。 又、 更に独乙について見れば、 一体に独乙には愛国者が多く、 而かも彼等は健康で勤勉で鉄血であるが故に、 一時的に思わぬ繁栄を致しますが、 併し彼等の愛国は余りに偏狭で冷血であるが為め、 思わぬ敵を内外にもうけて思わぬ滅亡を招くことがあります。 外にもうける敵も余り誉めた話ではありませんが、 内に敵を設けると言うことは、 私は孫子呉子の兵法は知りませんが、 武人大将の最も恥じとする所でなければならないと思います)。然らば此の多難多事の非常時の日本を救い、 光明に充ちた祖国の前途を建設して行くにはどうすればよいのでしょうか。

 それには先づ日本国民の総ては一家族であり兄弟であり、 真に血を分けた肉親であると言う、 即ち億兆一心万民一体の信念を養い、 老いも若きも、 資本家も労働者も、 軍人も官吏も、 その他一切の国民が一体となって、 新たに興つた満州国を助け飽くまでも満州を切り拓いて、 彼の地に日本の経済的宝庫を造り、 至誠仁愛を以て内外に当たって行くにあると思います。然るに日本の内部的現状を見る時、 どうでしょう。 先にも言った通りややもすると同族相喰的な兆候が見受けられるのであります。 資本家と労働者、 政治家と軍人、 右翼と左翼、元老その他の旧勢力と青年派の新興勢力等、 等........と言った具合に、 ややもすると憂うべき国内的反目闘争が見受けられます。 勿論日本国民と雖も生きた人間であり、 生きた社会を構成している以上、 争いなきを期することは求める方が無理ですが、 その闘争も国家同胞を殺害するに至っては、 実に慨嘆に耐えません。 然かも此の傾向は日本の国内的事情より考える時、 所謂欧州のファッショ運動に刺激せられて益々増大するものと見ざるを得ません。

 而して若し然りとすれば、 之は実に国家百年の大計より見て、 実に憂慮すべきことと思います。而して我等も又日本に生まれ、 祖国を愛することに於いて決して彼等に劣るものでない以上、 どうしても日本をして此のファッショの危機より救わなければなりません。それには、 余りに殺気立って冷血になっている彼等に大きな肉親の愛を実地に示し、彼等の愛国以外に何者もなく、 冷血を温めてやり、 日本国民の一切は総て天照大神の血を受けた同族であり、 同胞でり肉親でり、 一身同体でると言う観念を彼等の上に吹き込まねばならないと思います。

 若し、 日本民族の総てが同胞であり肉親であるならば、 その同胞の一人が罪を犯したからと言って、 之を殺すことはよいことでしょうか。 それは決して我等の祖先の伝統的道徳から言っても、 又如何なる良心から言ってもよいことではないと思います。 たとえ、 彼が如何なる人間であろうとも、 同じ血潮の通っている同じ民族であり、 同じ同胞であある以上、 彼の苦しみは我が苦しみであり、 我が喜びは彼の喜びでり、 ー 従ってまた彼の罪は我が罪であり、 我が涙はまた彼の涙でなければならないと思います。

 話しをもっと具体的に進めるならば、 例えば血盟団の井上日照氏は、若し井上準之助や団氏を彼等が若し真実の兄弟なりとせば、 果して殺害したでしょうか。 又五・一五事件の青年士官諸君にしても、 犬養首相が若し真実の肉親の父親なりせば、 果して殺害したでしょうか。 (然かも犬養、 井上、 団の諸氏は政党人として、 実業家として幾多の欠点はあったにもしろ、 又その反面には国家的には大いに尽くす所があったのだと思います)。 決して殺しはしないと思います。 若し、 之等の人達に正義に反する非愛国的な行為がありとすれば、 之等の罪を我が罪として、 その非を悟し再びかかる行為を繰り返えさないやうに注意を勧告して、 お互いに正義愛国の為に邁進するにあったと思います。 かくいえばとて、 私は決して此の度の暗殺団諸君の取った行為を、 日本国民として何時如何なる場合にも絶対に許されないというのでありません。 併しそれは、 理を尽くし情を尽くして勧告し、 懇願し、 あらゆる合法的な運動を継続して、 而かも入れられずして何等の効果もなく、 かくしなければ国家は死す。 かかる場合にのみ、 かかる血盟的暗殺行為が許されるのだと思います。勿論これ等の事をなされた人達は、 そうゆう風にお考えになっていられるようですが、 果して祖国日本の現状がかかる状態にあったでしょうか。

 1.先づ彼等の間で問題になつているのは統帥権の問題ですが、 之の解釈には二 通りあって、 何れの説
に従うも国家が死すなんて言う事の絶無であることは、 相当の常識のある人であれば誰もが認める所で之は暗殺行為の理由にはな らないと思います。

 2.次にはロンドン条約の問題で、 之は既に過ぎ去ったことです。 ですから若し かくしなければ再びかかる事が繰り返されると言うことであれば、 東郷元帥 を中心に軍事参議官会議を開き、 かかる事の再びない様に決定されている問 題だと記憶しています。 又、この問題は深く考えて見ると、 決して彼等の考えるような亡国的なものでなかつたと思います。 当時の日本の政治的経済的 事情がかくせしめたものでり、 三上中尉の十割対十割など全くの空想で、 人 の悪い米国は自分の思う事は何処までもやってのけるでしょう。 ですから若 し建艦競争を避け、 国民に少しでも経済的余裕を与えるには、 財部大将のあ の解決も止む得なかったのだと思います。(但し、 外交的駆引きに於いて幾分欠点がなきにしもあらずですが、 之は余り正直すぎたので、 あらゆる点に 於いて向上し、 老練になりつつある日本の一過程として、 之もやむを得なかっ たと思います)。 何れにしてもロンドン条約は決して客観的に見て亡国的条約でない事は衆 目の見る所ですし、 金さえあればロンドン会議を決裂せしめたと同様の軍備充実を、 計る事も決して困難では無いでは無いでしょう。

 3.次は政党並びに財閥の腐敗ですが、之も果して亡国的程度にまで進んでいる ものでしょうか。政友会も民政党も暗殺事件以前、 既に満州事変に対しては、其 の支持を惜しまなかったやうに記憶しています。 又財閥とても同様であったよ うに思われます。また、腐敗せる政党の内部からは内部からで、 その純化が叫ばれ て居たし、 またその外部からは司法当局並びに国民の与論は、 極めて遅れたる ものではあるが、 政党をして一歩一歩正しい方向に導きつつあったと思います。 之は財閥についても同様でありました。 また彼等は私利私欲を計って人民を 救うとはしないと言う様な事を言って居ますが、 之も余りに偏した見方で、 そうした方面もありましょうが、 又一方で国利民福を計って居た点もありま した。 何れにしても政党財閥の堕落が、 必ず国家が破壊すなんて言う程度の ものでない事は事実です

 4.次に西園寺公並びに牧野内府を不法に攻撃していますが、 之とて「権勢利殖の みを計る」とか、 「不敬漢」とか「国賊」とかいうのは少し無理ではないでしょう  か。 例えば牧野内府について言うならば、 彼の「北海道の御料地問題」がかっ て新聞に報道せられた通りであるとすれば、 それは悪いですが、ロンドン条約 に於ける行為は道義的に悪を以て呼ばれるべきものでなく、 あの当時の国家 の政治的経済的事情よりして国家の内府たる職にあるものとして、 あゝした 行為はやむを得なかったのだと思います何れにしても園公、 内府の行為が亡国的なものでないことだけは事実です。 一般に私の考へる所によれば、彼が神ならぬ人間である以上如何なる人と雖 も、欠点のない人はないと思います。同時に彼が人間である以上、如何なる ものと雖も長所のない人はないと思います。 そして我々の国家社会は此の欠 点あり長所ある人間同志が、お互いのその欠点は攻撃し批判し相ひ、その長 所は之を引きのばして国家社会に貢献し、 以て国家社会を更によりよき方向 に創造するにあると思います。

  三の所で書き落としたから此処に付け加えます。 それは政党は財閥と結んで 資本家並びに有産階級のみの利益を計つて無産階級の利益を計らないという 点です。 なるほど、 そう言へばそうも言い得るでしょう。 が、 それは絶対的 のものではありません。 又、 そうした傾向の反面には出来るだけ下層階級に も利益を与え、 幸福にしたいという傾向もあると思います。また国民の一般 的与論は無産階級救済に向かって居り、 大局から見て国家の政策もその方向 に進んで居るやうに思われます。何れにしても、 それは決して亡国的悲観的 なものではないと思います。

 一般に革命論者は、 大所高所より天下を達観することをしないで、 世の中 を見るに余り偏した局部的な見 方をする傾向があるのではないでしょうか。 左右革命主義者のあこがれている欧米の諸国について見て も、 伊太利にしたっ て、 乞食が非常に居るということを何かで見たことがあるし、 独乙にしたっ て数千万  の失業者があるらしいし、 ロシアにしたって全体的に見て、 日本な どより遥かに劣って居りますし、 (而か  もロシアは現在の地位を築き上げる に、 数百万の人民を殺害し十数年を要しています。 又ドルの国米国  にしたっ て此の度の不景気では大変困った様に新聞で見受けています)。

 5.次に陸軍の後藤元候補生(映範・二四才陸軍士官候補生・歩兵第四五連隊付)で したか、 よく記憶していませんが政権は本来軍部のもので、 政党はそれを奪っ たとか言って居られた様ですが、 之も余り幼稚な考えであると思います。な る程そう見ればそうも見られるでしょうが、 国家組織においても未だ未完成 であり、 単純であった明治初期の時代ならいざ知らず、 複雑な大組織を持ち、 何事もより専門的になっている近代国家においてはそう簡単には行かないと 思います。 又軍部だの政党だのと、 特別に国民の内部に区別をつけるのも面白くない と思います。なぜなら日本は本来において、 軍民一体の国であり、 国民皆兵 の国だからであります。 例えば戦争をするにしても現役軍人のみによって出 来るものではありません。 真の強力な戦いをするには、 どうしても熱烈な国民全体の支持がなけらばなりません。 又国運を賭するやうな大戦争になれば、 前線が例えば第二第三線と、 国民の最後の一人までも出征しなければなりま せん。
    
 又政党について考えて見るに、 善にも悪にも政党と雖も国民が組織しているものであり、 その中には現役軍人の親もあり兄弟もあり、 友人もあり、 又多 数の予、 後備軍人もあり、 国民兵もあり、 日清・日露の両役に奮戦した先輩も 加わっています。 ですから同じ国家内に於いて、 政党は軍部から政権を奪った などと言はずに、 益々日本帝国のモットーたる国民皆兵・軍民一体の精神に驀 進すべきだと思います。

 私は前に「二」のロンドン条約の所で、三上中尉の十割対十割は空想だと言い ましたが、 それは現実の問題としてで我等日本国民たるものは、明治維新以来 我等の先輩がなしてきたような、今後益々隠忍自重耐えざる努力を続けて、結 局何時かは余り遠からざる将来において、対米軍艦の保有比率を十割対十割に こぎつけなければならないと思います)。

 肝腎な問題については少しも申し上げないで、横道の事ばかり話して参えりましたが、 右の様に考えてきますと、 どうしても此の度の血盟団諸君並びに青年士官諸君の行動は、国家的に見てかなり無理なものであったと思います。また仮令に如何なる理由にもしろ、 天皇の大令によって動いて居る一国の総理大臣を、公然と官邸に侵入して殺害する如きは、実に言語道断な行為であり、 国家の権威の為にも厳罰に処すべき性質のものですが、 それは単なる形式論で、我々には飽くまでも国家百年の大計より大所高所に立って、問題のよって来たり、よって行く所を深く見詰め、飽くまで単なる形式論にとらはれずに、国家国民の幸福の為に解決すべきものだと思います。

 日本帝国の幸福・繁栄は前に私が言った通り、億兆一心万民一体、 即ち日本国民の全体が血を分け、肉を分けた一族一家族となって協力善処するにあります。 然るに日本の現状はどうでしょう。 ややもすると此の反対の兆候が現れようとしています。 その最も恐るべきものは国民のファッショ化です。 で、 我々にはどうしても国民のファッショ化を防止しなければなりません。 而して此ファッショ化を防止するには、先づ国民の全体に万民一体、 国民一切同胞の精神を植え付けることにならなければなりません。 而して之を植え付けるには国民の支配的指導的地位にある人に、元老的地位にある人により実践躬行していただかなければならないと思います。此の意味に於いてです。

 此の度私が閣下にお願い申し上げるのは、 私の見る所によりますれば今天下の元老重臣の中で、 彼の血盟暗殺事件並びに五・一五事件の首謀者を死刑より救って頂き得るのは、閣下をおいては他にその人はないと思います。 彼等を救って下さるようお願いする理由は、 今迄に私が申し上げた事によって大体はご了解下さったここと思いますが、 即ち、 国民一切同胞的精神運動の第一歩としてです。 閣下並びに閣下を中心とする国家の重臣功臣を、彼等ファッショ精神に生きる多数の青年諸君は、むしろ国賊的汚名を着せて非常に敵視しています。 ですから若し此の際閣下が奮起せられて、血同盟暗殺事件及び五・一五事件に活動せられた人達の減刑運動に尽力せられ、更に国民協力の ー 資本家も労働者も、 軍人も官吏も、 農民も地主も、 政治家も政党も、 商人も教育家も、其の他の一切の日本国民が、 階級観念や一切の私益私欲を捨てて、国家公益の為に真に一心同体となって努力する運動に驀進して頂いたら、 国家的に見てその効果は非常なものだと思います。

 先づ、 第一にファッショ化して血も心も冷酷になりつつある青年の心を温め、彼等の宗教的狭量な正義心を、 全国家的全民族的大量な協同的正義心に転向せしめる事が出来ると思います。 次に閣下が飽くまで、 ねばり強く至誠一貫、 世間の毀誉褒貶を外にして、此の運動に尽力驀進して下されば、 今国内の多くの人々の胸奥に残っている、やれ薩摩軍閥だの薩派だの何のかのと言う観念を一掃して、真に万民一体の精神を日本帝国の上に確立することが出来ると思います。 私は今此処で、 国民の協力運動と言いましたが、 それについて一寸話させて頂きたいと思います。 それは漠然たる一時的な広告運動でなく、 例えば彼の平沼男(騏一郎・山本内閣の法相、 後の総理)の国本社の如き、 さらにそれよりも大きな包容的な愛国婦人会の如き、 更にそれよりも大きな、 如何なる職業階級も、 老若男女も問はざる、 あらゆる憂国の士を、 その会員たり構成分子とする全国的全民族的、 協同的一大結社を組織し、 全国民協力一致興国救世の大事業に、 驀進すると言う恒久的一大運動をいうのです。 それは勿論政党ではなく、 階級的結社でもなく、 否むしろ、 それ等の一切を大所高所より抱擁する厳正中立の諸政党、 諸結社団体の中にあって、 その紛争の沈静協調につとめ、 (例え ば今度の京大事件の如きものが起った場合、 昭和五年晩秋の早大事件に中野 正剛氏が立った以上の熱情を以て、 必ず短日月の中に解決します)。
 
二つは国家正義の客観的立場より、 諸政党を厳重に監視し、 その腐敗堕落を必 ず根絶し、 政党をしてて真の立憲政治に驀進せしめる。 三つには朝鮮台湾の諸民族と日本内地本国人との間の融和に勉め、 大日本帝国 の全領土的実質的統一協同に尽力する。四つにはその他、 日満統制経済の促進、 援助に農民や労働者や小市民等の救貧 事業に、 更に国民外交国民国防等々国利民福になる一切の愛国的運動に協力 邁進する ー 全日本的全民族的の一大組織であり、 結社であるのです。

 名前は「大日本憂国協会」か、 まア、 こう言った様な、 何でもよいが、 此の運動にふさわしい名前がいいでしょう。次に組織についてですが、 国内的種々の事情から考えて、 総裁には東郷元帥か閑院宮元帥殿下か、 秩父宮殿下がいいでしょう。 私の考えとしては閣下や財部大将には、 地位や名誉を外にしたその土台石として、 縁の下の力持ちとして活躍して頂きたいのです。

 次にそのメンバーについては、 私利党利を捨てて国利民福の為め尽くす人であれば、 斎藤首相(実・海軍大将)は勿論のこと、 平沼男たると荒木陸相(貞雄・陸軍大将)たると徳富猪一郎氏たると下村海南氏たると、 中野正剛氏たると何人たるを問わず入会せしめればよいと思います。またこうした結社があれば、 現在の如き非常時的挙国一致内閣の場合、 其の最も有力な支持団体となって挙国一致協力内閣をして、 之を批判し、 監視し鞭撻して最大の成績を上げしめることが出来ると思います。 (私は先に資本家も労働者も、 私利私欲を去って国家の為に協力すると言うようなことを書いたように記憶しますが、 勿論お互いに私利私欲を去るには違いないが、 併し単に経済組織からのみ見れば結局日本も将来は社会主義的経済組織にしなければならないと思います。併し、そうするには勿論、 革命や惨酷な階級闘争によらないで、 労資相互の理解によってなすべきだと思います)。 勿論、 之の運動は閣下に無理にお勧めすることは出来ませんが、 私としては閣下の晩年を飾るべくひと働きをやって頂きたいのです。 勿論やるとすれば故後藤伯の政治の倫理運動の如く、 線香花火が消えた如く終わらせないで、 飽くまでやって頂きたいのです。

 話は又、 少し横道に立ち入りましたが、 今度は再び五・一五事件、 血盟暗殺事件の減刑問題に入り、 之を刑事政策的に考察して見たいと思います。 先づ、 彼等を厳罰に処さなければ(その首謀者を死刑にしなければ)、 再び斯くの如きことが繰り返されるであろうと言うことです。 果して、 どうでしょうか。勿論そうした傾向も幾分はあるでしょうが、 此の度の暗殺事件の人達は何れも決死の人達であり、 死刑を以上て威嚇したからと言って、 少しも恐れはしないでしょう。 また日本魂の存在する限り、 之の種の肚の出来た人間は永遠に存続するでしょうし、 此の種の人間が存続する限り五・一五事件的、 血盟事件的事件は永遠に止まないでしょう。 であるとしたら、 彼等の首魁を死刑に処することは、 結局陛下の赤子をそれだけ再び失うことですから、 やめた方がよいと思います。(首相を殺しても死刑にならないからなんて、 首相を狙う人間は恐れるに足りません。 そんな奴は閣下や犬養前総理の如き肚の座った人が「一喝」すれば、 へたわってしまいます。(私の考えでは五・一五事件の時 若し三上と山岸(宏・二五才・海軍中尉・横須賀海兵団勤務)が居なかったら、 肚の出来ている犬養首相は死することなく、 キット、 彼等を説得し得たと思います)。 又、私の考えでは普通、 首相を暗殺より遠ざけるには充分なる警備以外にはないと思います。

 次に死刑廃止論というものがあり、 その理由とする所は人を死刑に処したからといって、 統計的に見て決してその罪悪を犯すものが、 それだけ減るものではない。 であるから、 死刑は無用であるというのだそうです。 そして之の論に基いて欧州の幾多の国々では、 之を実行しているそうです。 此の論には私も大賛成です。特に世界無比なる国体を有し、 億兆一心万民一体である我国に於ては、 本来から言って寧ろ諸外国に率先して実施すべき性質のものです。 此の点から言っても、 五・一五並びに血盟事件の被告の幾人かを死刑に処することは無用だと思います。然し幾らこう理屈を並べて見た所で、 海軍刑法第二〇条の反乱罪の所に「首魁は死刑に処す」とあります。 唯それだけです。 甚だ融通のない法文です。 之によりますと、 どうしても五・一五事件の首魁とみなされる古賀中尉は死刑になります。 之を何とか法文の解釈によって救う道は無いものでしょうか。 私はあると思います。それは首魁を故藤井少佐〔斎・二八才・海兵五三期・昭和七年二月五日上海上空で戦死〕に押し付けてしまうことです。そうすれば当然井上日召氏も首魁になりますが、 之は武人でありませんから刑法の内乱罪になります。 而して内乱罪には「死刑又は無期」で、 生命を取り止める融通があり、 而かも血盟暗殺事件と五・一五事件とは互いに関連があり、 寧ろ一体と見るべきであり日召氏は既に殺人罪で起訴されており居り、 何れにしても海軍刑法の首魁の絶対的「死刑」の法文には該等致しません。

 次に故藤井少佐を五・一五事件の首謀者なり、 首魁なりと見ることが果して正しいでしょうか。私は正しいと思います。なぜなら凡て物を観察するに、 単に平面的に区間的に現在的にのみ見るのは間違つています。 此の方法から考えると、 古賀中尉は首魁になります。 よろしく主体的に時間的に歴史的見るべきです。此の方法から考えますと、 海軍側被告の凡ては藤井少佐の指導を受けて居り、 藤井を中心に時期こそはきまらないが、 既に近き将来に於いて、 暗殺なり反乱なりを決行することは既定の事実でありました。 その事は林中尉〔正義・二六才・海兵五六期・佐世保鎮守府付〕の「藤井は出征するから『あとは頼む』と言うので、 私はヨシと引き受けたが、 更に付け加えて今は上海事変で国民の観聴がそれに集まっているから、 この際軽々に決行することは、 却って国民の反感を買いはせぬかと思うと申した所、 藤井は『では時機をよく考えてやってくれ』と言い、 そのまま出征しました」という陳述によっても、 立派に証明せられています。 此の方法で見ると、 どうしても、 あの事件の首魁は藤井少佐と見ざるを得ません。

 而して、 此の時間的立体的歴史的方法論は、 諸外国は別として日本だけは絶対的に之を肯定しなければなりません。 なぜなら、 之を否定し反対の方法論を取れば、 それは理論的に共和制を肯定し、 君主制を否定するになり、 凡そ日本の国体とは反対の結論に到達するからです。 (その理由を一寸此処に証明します。 ー 今、 若し平面的非歴史的方法論から議論を進めて行くならば、 平面的なるが故に、 天皇も我も同じ人間であり、 同じ人間であるが故に我も天皇も平等であり、 平等であるが故に君主制は不要であると言う結論になり、 又非歴史的なるが故に祖先を尊敬することも、 老人を敬う事も不必要なことになり、 凡そ日本の国体とは反対の結論に到達します)。 (歴史的と言っても、 それが余りにも時間的に経過しているのでは無理ですが、 三年や五年の所は決して切り離す性質のものではありません) ー かう考えて来ますと、 五・一五事件も血盟暗殺事件も、 法文的に必ず被告の何人かを死刑に処さなければならないと言う理論は失われます。それで被告の活殺はもはや裁判官の一手にある訳です。

 而して裁判官は天皇の命令により国家国民に代わって裁判するものであり、 その判決に現れる罪の軽重たるや、 国民の当被告に対する好悪の一般的意向が最も多く作用するものであります。 ですから勿論、 之は絶対的のものでなく相対的にですが、 彼等を殺すか生かすかは国民の意向一つにあります。 国民の意向は大体三つに分けて考える事ができます。 一 味方、 二 中立、 三 敵。 而して閣下は此の中の敵に該当し、 被告に取って閣下は彼等の一大敵国たる反対党たるの統領です。 ですから今若し、 閣下が断固私情を捨てて国家百年の大計の為に奮起せられ、 牧野内府を始め国家の重臣、 功臣の賛成署名を得て減刑運動に尽力して頂けるならば、 彼等被告を活かすべく、 もう既に国民の意向は決定してしまいます。 勿論此の中、 「味方」に該当する人達の中には厳罰を主張する人があるかも知れませんが、 併し、 それは口先だけで心の中は原型したいのですから、 こちらから訳を語って強くさえ出れば賛成に決まっているです。 また閣下が斯くの如き減刑運動をなされる時、 どっちかと言うと、 少し片意地らしい被告等も亦余計なお世話だぐらいに言うかも知れませんが、 それもやはり口だけで、 心の奥底では嬉しいにきまっています。(之は私自身そうした片意地の人間であり、 決まって、そうした鼻っ張りの強い事を言う人間ですが、 心の中はやはり嬉しいものです)。

 天下国家の為めにやるので、 単なる私情のこと為めにやるのではありませんから、 閣下のやうな大人物に取っては世間の毀誉褒貶などは問題でないと思います。唯だ、 そこには愛国の熱情と正義の信念あるのみです。 勿論、 私は幾ら減刑と言ってもあれだけの罪を犯したものを、 特に海軍の反乱罪に問われた将校諸君を無罪などにすることを主張するものではありません。 それでは国の体面が汚れます。厳然たる日本帝国の威厳を示して、 血あり涙あり理あり情けある裁判 ー 即ち 十年以上無期以内の相当なる厳罰に処し、 行刑政策的に十年以内に彼等被告を全部釈放すべきであります。

 今仮に彼等被告が全部十年後に出獄するものとすれば、 当年二十六才の古賀中尉は三六才であり、 二九才の三上中尉は三九才であり、 四十幾才の井上日召は五十幾ら才であり、 二二〜二三才の小沼直は三二〜三三才で、 その他の被告は凡て之と大同小異です。 井上日召は暫く擱くも、その他の被告は十年後にしても三十代であり、 人間にとってその三十代は決して悲観したものではなく、 結婚も出来れば子供を産むことも出来、再び此の人生に花を咲かせることも寧る容易なことです。 また日本国民は彼等被告諸君の如き義人、 烈士に対して決して冷淡ではないでしょう。 また井上日召氏にしても、 昭和七年の日本と今から十年後の日本とを見比べて、感慨に耐えざるものがあるでしょう。 西にソビエート大ロシアがあり、 東に大米国があり、 隣には内に復讐を志する支那があり、 完全に消化し完全に征服し(その小乗的乗取りは意味しません)完全に発展させなければならない満州国があります。

 此の時に当たって善悪に関せず、 一人なりとも身命を賭して祖国の為に尽くすという同胞を失うことは謹みましょう。此の度の被告諸君にも、 一切同胞万民一体の精神に反する狭量な愛国精神を、 一日も早く完全に清算して頂き、 大乗的大愛国精神を以て祖国の為に尽くして頂きましょう。 長にお邪魔を申し上げてすみませんでした。 か様なことでは年老いたる閣下にお願いするまでもなく、 苟しくも日本男子として、 此の世界に生命を受けた以上、 自分自身でやるのが本当ですが、 それには私自身は地位もなく、 名誉もなく、 学もなく才もなく、 徳もなく、 然かも病弱にして、 今尚、 病床にある身なので、 全くその点では無力なものなのです。 それで心、 之を欲するれども身、 之を為すことあたはず。 考え余って己の賎しき身分を顧みるず、 意を決して閣下にお願いした次第であります。 閣下願くば之を涼せよ。

閣下の健康と幸福とを祈りつつ
右お願いまで。 敬具
八月二七日〔昭和八年〕 ○○○○拝
山本権兵衛伯爵閣下

二伸 私は主として五・一五事件について書き、 またお願いしたのですが、 同じ理 由、 同じ主義より、 血盟暗殺団事件諸君は勿論のこと、 浜口前首相暗殺未 遂の佐郷屋留雄をも救って戴きたうございます。