「昭和への道」〜日露戦争から15年戦争へ

講演要旨]
[日露戦争と民族独立運動]

今年は日露戦争の戦勝百周年の年ですので、日露戦争から15年戦争までの日本がかかわった戦争を軸にお話し致したいと思います。日露戦争当時の西欧諸国の国々の人種観や国家観は、ダーウィンの「弱肉強食」の進化論が国家や民族にも適用されていたスペンサーの「社会進化論」の時代で、有色人種は殺戮されるか、労働者として酷使されるか以外に選択肢がなかった時代でした。日露戦争はアジア、アフリカが完全に欧米諸国の植民地に飲み込まれ、欧米の植民地化の波が中国大陸、朝鮮半島に迫りつつあった時に、日本が立ち上がり白色人種の植民地支配に歯止めをかけ、さらに反撃に転じた戦争でした。

 また、日露戦争を文明史的に見れば、黄色人種の仏教徒、非キリスト教国の日本が、白色人種のキリスト教国を破った戦争で、この日本の勝利が有色人種や非キリスト教の人々に大きな自信を与え、アジアやアラブに民族独立の夢を与えた戦争でもありました。この民族独立運動は中国、ベトナム、インド、ビルマに起こり、エジプト、レバノン、イラン、トルコなどのアラブ諸国では日本を回教国に改宗させ、明治天皇をカリフ(回教の盟主)とし、日本とともにキリスト教国に対抗しようとのパン・イスラム運動が高まりました。また、ヨーロッパではロシアの支配下にあったポーランド、フィンランドの独立にも寄与しましたが、米国の黒人を人種平等運動に走らせ、さらにアフリカにも波及しました。

[第一次世界大戦と人種平等法案]

 しかし、良いことばかりではありませんでした。白色人種からの黄禍論の反撃を受けたのです。この黄禍論はロシアの侵略をアジアに向けようと、ドイツのウイルヘルム皇帝が扇動し、それが日露戦争につらなったのですが、ロシア代表はポーツマス講和会議が始まると米国の世論を親露反日に変え、講和条約を有利にしようと黄禍論を宣伝しました。このため戦争が終わり多額の外債を借りたため不景気となった日本から多数の移民が押し寄せたこともあり、米国には激しい排日運動が起こりました。一方、欧米諸国はベトナム、インド、ビルマ、マレー、フィリピンなどの植民地で独立運動が起こり、日本への期待が高まると対日警戒心を高め、植民地当局は反日宣伝や反日教育を強化し、日本のイメージの悪化に努め、このため欧米だけでなくアジアの人々にも反日感情や対日警戒心が生まれました。

 このような人種的差別を受けた日本は、第一次世界大戦後に創設された国際連盟の理事国となると、国際連盟に「人種平等法案」を提出しました。この法案に有色人種や西欧諸国の植民地とされている人々は勇気づけられましたが、この法案の提出が日本をさらに世界の国々(当時は白色人種の国々しかありませんでした)に警戒心を起こさせ、米国やカナダへの移民を禁止され、さらに欧米諸国からブロック経済で輸出を制限されたため、日本は活路を中国特に日露戦争で日本の支配下に入った満州に求めざるを得なくなりました。

 現在の価値観で考えれば反省すべき点も多々あり、現在の価値観で歴史を書くならば、日本が中国を侵略しアジアの人々の期待を裏切ったのです。しかし、当時は「社会進化論」の世界であり、日本が軍閥が割拠し四分五裂の中国や、国家意識も低い未開のアジアの人々と共に立ち上がることが可能であったでしようか。西欧諸国が最も怖れたのは日本が中国やインドと連携し、白色人種に対抗することでした。有色人種から日本への期待が高まれば高まるほど、日本が有色人種の側に立てば立つほど、黄禍論が勢いを増し対日警戒心が高まる時代だったのです。特に中国は軍閥間の内戦が止まず治安が悪く、日本が満州国を建国すると多数の中国人が戦乱を逃れて満州に移住し、建国時には3〇〇〇万の人口が僅か13年後には42〇〇万に増加しました。また、日本は満州に巨額の資金を投入し、新しく64〇〇キロの鉄道を敷設し、1943年には満州が機械製品で中国全体の95%、鉄鋼で91%、電力で67%、セメントで66%を生産する近代国家に成長させていたのです。

[コミンテルンとモンロー主義]
 日露戦争でロシアに共産主義革命を起こしてしまった日本が、その後に悩まされたのがロシアが自国の安全を確保するために、世界に「働く者の国家」、世界共産主義国家を建設しようと創設した国際共産主義組織(コミンテルン)の攻撃目標となったことでした。廬溝橋の1発にしても、世界を制覇すると昭和天皇に田中義一総理が上奏した「田中上奏文」にしても、コミンテルンの関わりが指摘され謎も多いのですが(スターリンに追放された当時の政権のナンバーツウーのトロッキーによれば、KGBから米国共産党に渡し配布させたという)、真実はロシアや中国が未だ関係文書を公開していないので事実は闇の中で、これはプーチン大統領の愛国・大国史観が消え、中国が普通の国になるまでは明らかにならないでしょう。しかし、はっきり言えることはロシアが東方の国境の安全を守るために、中国に資金や武器を提供し、日本の圧力を減らそうと中国を戦わたのです。

 一方、アメリカは「西へ」「西へ」の門戸開放主義と、モンロー主義を旗印にアジアに覇権を確立しようと西に進み、中国と太平洋で日本と対峙し、それが太平洋戦争へと連なって行きました。
日本が国際連合の5理事国となると、多くの日本人に一等国民との自負と傲慢さが生まれ、中国人や朝鮮人などへの蔑視が高まり、天照大神(天皇)を家長とする日本中華思想の「八紘一宇」の大家族主義が生まれました。さらにコミンテルンの陰謀で中国との戦争に巻き込まれ戦争が長期化すると、中国を援助しているコミンテルン(ソ連)に対抗するため、ヒトラーと日独防共協定を結び、この協定が日独伊三国同盟へと進み世界を相手に戦い自滅してしまったことは皆様ご承知のとおりです。
 
[大東亜戦争とアジアの独立]
私は日本が戦った「先の戦争」が総て悪であった。日本だけが悪かったとの一方的な史観には同意できません。それはイギリスの歴史学者アーノルド・トインビーが、「日本人が歴史に残した功績の意義は、西洋人以外の人種の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去2百年間いわれてきたような不敗の神ではないことを明らかにしたことであった」と述べているからです。東南アジアの民衆は昨日まで不敗と信じていた白色人種が、日本軍のたったの一撃で、もろくも崩れ去ったのを目前に見てしまったのです。 この戦争初期の日本軍の快勝は日露戦争の時と異なり、知識人だけでなく一般民衆にも独立への自信を与えました。また日本の唱えた「アジア人のアジア」のスローガンが独立への夢を膨らませたが、日本は3年8カ月後に敗退してしまいました。

 しかし、かつての植民地に西欧帝国主義諸国が再び復帰することはできませんでした。日本軍が育成した義勇軍が、日本軍が教育した南方特別留学生や興亜訓練所などの青年が、民族意識に目覚めた各地の住民が、一斉に民族独立の戦いに立ち上がったのです。西欧の史書はフランス革命が民族国家を成立させたとしていますが、民族国家独立への夢をアジアやアラブ、アフリカの国々に与えたのが日露戦争であり、その夢を実現させるために立ち上がる衝撃を与え、人種平等や民族国家の独立を実現させたのが、マッカーサーによって使用を禁止され、太平洋戦争などと言い換えている「大東亜戦争」ではなかったかと私は思うのですが。
 
[だれに、どのように日本の歴史は変えられたか

            
 日本が太平洋戦争に敗北すると、占領軍は日本が2度と米国や世界の脅威とならないようにと、「戦争贖罪計画(GHQ一般命令第4号)」により武器だけでなく、精神的な武装解除を強行しました。占領軍は日本人に贖罪意識を植え込むために、GHQ(占領軍総司令部)の民政局が作成した日本を総て悪者とする『太平洋戦争史』の主要新聞への掲載や、「真相はこうだ」などのラジオ放送を強制し、検閲や公職追放令で反論を封じ、5年間の占領時代に日本の戦争は悪かったのだと刷り込んでいったのです。その総仕上げが戦勝国の米ソが主導した東京裁判でした。中立条約を破って参戦したソ連、広島や長崎に原爆を投下し、無防な東京を焼き払い、多数の非戦闘員を虐殺した米国が、この悪行を正義とするには日本はナチスのような軍国主義国家であり、東条英機はヒトラーやフィセィンのような狂信者でなければならなかったのです。そこで米ソ両国は偽作された「田中上奏文」のシナリオに沿って東京裁判を行い、日本の近代史を変えたのです。これがいわゆる東京裁判史観であり、15年戦争史観なのです。

 日本にとって不幸なことは、ルーズベルト大統領が共産主義を民主主義の一変形と誤解し、政権にニューディール派と呼ばれる多数の共産主義者やシンパを入れており、ルーズベルトの死でトルーマンが大統領となると、ニューディラーたちは職場を失い、マッカーサー司令部の民政局員などに採用されたことでした。そして、これらニューディール派が民主化という美名のもとにホイットニー民政局長、ケーディス次長やエマーソン政治顧問などが共産党を庇護支援し、教育基本法、労働法、財閥解体、皇室典範などを改訂し、日本の左傾化や国家解体を強行したのです。

 私の歴史観に異議をもたれる人もいるかもしれません。しかし、歴史は当時の時代風潮や価値観で、また時には1世紀という時間単位で見ることも必要ではないでしょうか。地球儀的視点で1世紀という歴史の大河の主流をたどり、支流の小さな歴史のしだを切り取れば、20世紀の日本の歴史は人種平等と民族国家の独立に寄与した美しく優しい歴史ではなかったでしょうか。反省するのも必要です。しかし、歴史はそれぞれの民族のものであり、他国の指導を受けて他国と共通の歴史を書く国はありません。なぜならば、歴史は国家の骨髄なので世界には国の数だけ歴史があるからです。最後に「千と千尋の神隠し」の作家・宮崎駿の「歴史を失った民族は砂のように消えてしまう」との言葉を借りて「むすび」といたします。