日本海海戦百周年が残したもの
    
 日本海海戦百周年を迎えた二年前、水交会など海軍関係団体、東郷神社、海上自衛隊などにより盛大な記念行事や論文の募集、全国各地に名士を派遣しての記念講演などが行われた。また、新聞社、雑誌社、さらには学会、大学なども競ってシンポジュームなどを開催したが、これらの中で何が残ったのであろうか。どのような日露戦争史観、日本海海戦史観が残ったのだろうか。その昔は殆ど無視された小さな史実を掘り起こし、現在の価値観で仰山に騒ぎ立て、「あれを契機として日本は満州を戦場とし、朝鮮を植民地とし、これらの民族に耐え難い苦痛を与えた。これを無視して正しい歴史認識は生まれない」との視点が強調され、「識者」は日露戦争の研究は深化したと総括した。

 この日本人の日露戦争や日本海海戦の捉え方の変化を都立図書館の蔵書を基に分析すると、日露戦争に関する蔵書は302册、日本海海戦関係は28册、日露戦争百周年に向けた平成15年末ころから現在までに購入された日露戦争関係の本が六七册、日本海関係は四册であった。近年購入の日本海海戦関係四册のうち、『最高支配層だけが知っている日本の真実』、『日本海海戦とメディア 秋山真之神話批判』など3册までが、タイトルを見ても否定的である。日本海海戦関係27册のうち最も古いものは、昭和23年の『世界を驚かした10の出来事』で、「奇蹟の勝利 日本海海戦」と、当時は占領軍の検閲が続いていたにも拘らず輝かしい勝利を称えていた。映画では、独立を達成した昭和32年、日本民の愛国心と一致団結が国を救ったとの視点の『明治天皇と日露大戦争』が大ヒット、33年には『天皇・皇后と日清戦争』、さらに34年には『明治大帝と乃木将軍』、39年には『明治大帝御一代記』が作成されている。

 百年前、アルゼンチンの観戦武官マルチン・ガルシア大佐(のち大将・海軍大臣)は「トラファルガー海戦はヨーロッパをナポレオ
ンの支配から救い、日本海海戦はアジアをロシアの支配から救った」と評価している。当時はこれが世界の日露戦争に対する一般的な史観であった。アジアやアラブの有色人種だけでなく、米英諸国や社会主義者までもが、ロシアが満州、朝鮮を侵略したから日本が立ち上がったのであり、日本にとっては「正義の戦争」であると日本を支持し、そして、日本の勝利がアジア民族の人種平等思想を覚醒させ民族独立に立ち上がらせた、としていた。それから半世紀が過ぎ、日教組などの自虐的史観に中国や韓国の学者などが声を大にして同調し、国内だけでなく世界にも発信したため日露戦争は否定的な評価に変えられてしまった。日本海海戦の舞台であった、The Sea of Japan(英)、La Mer deJapon(仏)、Il Mare di Giappone(伊)、Das Japanische Meer(独)、Yapohchoe More(露)など世界が認めていた「日本海」の名称も、韓国の横槍で、The East Seaに変わろうとしている。また、國神社は否定され、国家・民族のために命を捧げた方々の英霊が行き場所を失おうとしている。

 しかし、自虐史観に苛まれ国家観や民族意識を失った日本人に危機感はないように見える。次代を背負う若者は精神的骨格が溶解し、志を失い、国家が内側から溶解の危機を迎えている。 こうして見ると、あの名士による全国講演会などよりも、日露戦争により独立を果たした国々の研究者などによる『日露戦争が世界史に与えた影響』などといった本(日本語版だけでなく英語版も)を発行すべきではなかったか。書かなければ残らない、歴史とならない。しかも英語で書かなければ世界史にはならないことを銘記し、歴史を正しく残したいものである。歴史は民族の骨幹を形成するものであり、国家のあり方、国家観を決するのだから。日本海海戦百周年を顧みると「強者どもの夢の跡」の感がしなくもない。