空母機動部隊とは何か−その誕生から今日まで
●3.第二次大戦中の空母機動部隊

 開戦壁頭、日本海軍は山本司令長官の強い意向で、 空母6隻によるハワイ奇襲作戦を計画し、 機動部隊という名称の部隊を世界海戦史上に初めて登場させた。 そして、 これら部隊から第1次攻撃隊の183機、第2次攻撃隊の167機、 合計350機が飛び立ち、 停泊中ではあったが戦艦4隻、 標的艦、敷設艦各1隻を撃沈し、 戦艦1隻、 軽巡洋艦2隻、 駆逐艦3隻を大破し、戦艦3隻、 軽巡洋艦1隻、水上機母艦1隻を中破した。 年が明けた1942年2月19日には、空母4隻から飛び立った188機がオーストラリアのダーウィン港を空襲し、 駆逐艦など艦艇3隻と輸送船4隻を撃沈し、 港湾施設や補給施設に大打撃を与えた。さらに、 4月5日には空母5隻の128機がセイロン島のコロンボ港の港湾施設や在泊船舶を爆撃し、 駆逐艦テネドス(Tenedos)や武装商船ヘクター(Hector)を撃沈したほか、 潜水母艦、 商船数隻を撃破し航空機25機を撃墜した。 さらに同じ日の午後には、 航行中の重巡洋艦ドーセットシャー(Dorsetshre)とコーンウォール(Cornwall)を撃沈した。 続いて4月9日には121機がドリンコマリー港(セイロン島北部)を強襲し、 軍事施設や停泊船舶に多大の被害を与えたが、 さらに同日午後には91機が空母ハーミス(Hermes)、 駆逐艦1隻を襲撃し撃沈した。ハワイに次ぐ大規模な戦略的航空機動作戦であった。

 第1次世界大戦中、 水上機母艦が小規模な奇襲攻撃を行った先例があり、 第2次大戦でも1940年4月11日のイギリス空母フューリアスによるノルウエー峡湾のドイツ駆逐艦1隻の撃沈(擱座)、9月16日のイラストリアス(llustorious)のベンガジン夜襲(艦船6隻の撃沈・撃破)、 そして11月11日夜の同じくイラストリアスによるタラント軍港への夜襲などがあった。 特にタラント軍港の夜襲では、新型戦艦リットリオ(Littorio), 旧型戦艦カイオ・デュイリオ(Caio Duilio)とコンテ・ディ・カブール(Conte di Cavour)を擱座させ、 さらに重巡洋艦トレント(Trento)の艦橋にも爆弾1発を命中させ世界の注目を集めた。 しかし、 このタラント攻撃は空母1隻から飛び立った復葉の雷撃機ソードフィッシュ21機による夜間の奇襲攻撃であり、 空母をゲリラ的に使用したものであった。 空母6隻を集団的に使用し350機を投入するという大規模なハワイ攻撃と、 それに続く南雲部隊の太平洋からインド洋へと地球の3分の1を駆け抜けた空母機動部隊の絶大な破壊力と機動力が世界の海軍作戦に一大改革をもたらした。しかし、 世界を驚嘆させた日本海軍の機動部隊の発展は、 艦隊決戦、 戦艦重視動の旧来の思想に妨げられ、 その後の発展はアメリカ海軍に比べ鈍かった。 1942年4月10日に戦時編成の改定が行われたが、それは第1航空艦隊に護衛用兵力として軽巡洋艦長良を旗艦とする駆逐隊3隊(駆逐艦11隻)を加えたに過ぎなかった。航空関係者からは世界最初の空母対空母の珊瑚海海戦の戦訓などから、 空母は攻撃力は大きいが防御力が極めて弱い点が問題となり、 空母護衛のために戦艦や巡洋艦を護衛部隊として配属すべきであるとの意見が出された。 しかし、 大艦巨砲主義への根強い執着から、ミッドウェー海戦に敗北するまで実現しなかった。そして、1944年3月1日に至り初めて戦艦大和や武蔵を加えた本来の機動部隊が誕生した。 とはいえ、戦艦や巡洋艦が空母を直接護衛するアメリカに対し、 小沢艦隊の陣形は空母の後方100海里に戦艦を配し、 空母部隊の一撃後に戦艦部隊が突撃し「止めを刺す」、という大艦巨砲主義の夢を脱したものではなかった。

 一方、アメリカ海軍はハワイ奇襲時に難を免れたヨークタウン(Yorktown)、 大西洋から回航したエンタープライズ(Enterprise)に、 巡洋艦や駆逐艦を護衛とした空母任務部隊(Carrier Task Force)を編成した。そして、ハワイを奇襲された翌年2月にはギルバート諸島やマーシャル諸島を、 3月には南鳥島やラエ、サラモアを、 さらに4月18日にはホーネット(Hornet)、エンタープライズ搭載のB-25爆撃機が日本本土を空襲するなど、機動力・打撃力に優れた空母部隊によるヒット・エンド・ラン攻撃を開始した。さらに、1943年中期以降は第2次、第2次ビンソン計画、両洋艦隊計画などで完成した空母や高速戦艦が戦列に加わり戦艦に護衛された空母部隊がどくどくと誕生し、ウェーキ島、南鳥島、マキン、タラワなどの攻撃には3隻程度であった空母が、同年秋のラバウルやマーシャル群島の攻撃では5−6隻、44年2月のトラック島、3月末のパラオ島攻撃には10隻、6月中旬のサイパン攻撃には正規空母7隻、護衛空母8隻、10月のレイテ上陸作戦には17隻に増加し、 沖縄作戦には大型空母15隻、護衛空母14隻が結集した。なお、太平洋戦争中に建造あるいは改造した空母の隻数は日本海軍が17隻、アメリカ海軍が正規空母26隻、護衛空母76隻、イギリスはアメリカからの供与を含め62隻を保有した。しかし、正規空母は13隻に過ぎず、残りは護衛空母で、大西洋における空母作戦はタラント奇襲のような散発的ゲリラ的な作戦で、大西洋では太平洋のような大規模な空母作戦はなかった。
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1.空母の誕生と発展
2.空母部隊の発展
3.第二次大戦中の空母機動部隊
4.第2次大戦後の空母機動部隊
5.空母機動部隊の特質と意義