空母機動部隊とは何か−その誕生から今日まで
●2.空母部隊の発展

 日本海軍の航空運用思想の発展に大きく寄与したのが、1932年から始まった上海事変、 1937年から拡大した日中戦争であった。日本海軍は中国との戦いで制空権獲得のための航空基地攻撃、 上陸支援作戦、空地支援作戦、 主要鉄道や道路、物資集積所などを攻撃する戦略爆撃など、現代にも通じる本格的海上航空兵力の陸上への投入を行ない、練度を高め戦術を開発していった。 そして、1937年8月には第1航空戦隊(竜驤と鳳翔)と第2航空戦隊の加賀(赤城は改装工事中)の3隻を上海沖に展開し、 本格的航空作戦を開始したが、 9月には陸上に展開した航空隊部隊と、 空母部隊の総計115機による南京への戦略爆撃を行うなど、 日本海軍は上海事変やシナ事変で、太平洋戦争中に実施したあらゆる態様の戦闘を体験し、 その実戦経験から運用法・戦術・装備・練度・後方支援能力などを急速に向上させていった。しかし、艦隊決戦は戦艦の主砲で決するとの伝統的思想や、 空母を手放すことに不安を抱く戦艦部隊や前衛部隊指揮官などの反対があり、 1935年ころは戦艦中心の第1艦隊に第1航空戦隊、 巡洋艦主体の前衛部隊の第2艦隊に第2航空戦隊が配属されていた。その後、航空機の性能の向上にともない、1937年には「主力決戦前に敵空母、 主力艦を先制攻撃し、戦場の制空権を獲得するとともに、 敵兵力の漸減を図る」。 「主力の決戦に策応して敵艦隊主力を攻撃する」と、航空機が艦船に対する有力な攻撃兵器と認められ、訓練も艦艇に対する雷撃や爆撃などが主要な項目となっていった。 さらに、時代が進むと航空機を統一して指揮すべきであるとの意見が高まり、1941年4月10日には独立した部隊として第1航空艦隊が誕生した。

 一方、第2次大戦開戦当時のアメリカ海軍の空母に対する用兵思想は日本と同様で、演習などでは空母部隊を戦艦部隊から分離し、ハワイを奇襲した指揮官もあったが、通常は主隊前方200から500マイルに前衛艦隊(Scouting Force)、 戦艦を中心とする主隊の回りに巡洋艦・駆逐艦を配備し、 それぞれの部隊に空母を配備するという編成がとられていた。しかし、なぜ、アメリカ海軍は開戦時に戦艦は日本の10隻に対して17隻を保有していたが、空母は日本の10隻(1隻は特設空春日丸)に対して、8隻(制式空母7隻と商船改造のロングアイランド)しか保有していなかったのであろうか。それは、アメリカ海軍が次のように考えていたからであった。すなわち、アメリカ海軍は当時戦艦15隻を保有し、戦艦は16インチ砲(2100ポンド爆弾相当)を9門搭載しており、 1分間に一斉射できれば1時間間40分に900発が発射可能で、全戦艦から発射される弾薬は1万3500発となる。 一方、爆撃機を使用して同量の火力を相手に与えるには、 航空機1機で1発の2000ポンド爆弾を搭載できるので、 戦艦1隻分の火力を得るためには900機、 戦艦15隻分の火力を航空機で運ぶとすれば1万3500機が必要である。 また、 爆撃機の就役年数を6年、 戦艦を26年とすれば、 この間に必要な航空機は5万8500機、これを経費的に比較すると、戦艦1隻が5000万ドルとすれば15隻で7億5000万ドル、 航空機は1機25万ドルで5万8500機ならば総額145億2500万ドルが必要となる。 爆撃機の命中精度を艦砲の4倍としても3375機が必要で、 その費用は35億ドル、 さらに航空機は空母に搭載して戦場に運ばなければならず、 空母1隻で75機を搭載するとしても45隻の空母が必要であり、その建造費を1隻3000万ドルとすれば13億5000万ドルとなる。 すなわち戦艦ならば15隻で7億5000万ドルで済むが、 航空機で戦艦と同量の火力を発揮しようとすれば、 45隻の空母と3375機の航空機が必要で、 その費用は48億5000万ドルとなり、 戦艦の方が経済的である。
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1.空母の誕生と発展
2.空母部隊の発展
3.第二次大戦中の空母機動部隊
4.第2次大戦後の空母機動部隊
5.空母機動部隊の特質と意義