「青年士官心得」
 巡洋艦以上には大尉で科長以上の士官のための士官室と、少尉・中尉の航海士や砲術士、あるいは分隊士、甲板士官が生活する「次室」士官室の二つがあり、遠洋航海を終えた少尉候補生が士官として艦内生活を始める最初の生活空間であり、ここで先輩から手ほどきを受けながら仕事を覚え、半年後に晴れて少尉に任官する。初級士官としていかにあるべきかを記した躾を書いたものが『次室士官心得』で、これは昭和十四年五月に練習艦隊司令部が、歴代の司令官や艦長、指導官などの指導方針を基に、部隊に旅立つ候補生に勤務の参考として作成し配付したものである。内容的には「艦内生活一般心得」(三五項目)、「次室の生活について」(二二項目)、「転勤より着任まで」(一四項目)、「乗艦後ただちになすべき事項」(四項目)、第五「上陸について」(九項目)、第六「部下指導について」(六項目)、「その他一般」(一〇項目)などがあり、「回覧書類には必ず目を通せ」とか、「ケバケバした靴下をはくな」とか、『次室士官心得』は最初の着任時の注意事項から日常勤務に対する心構えなど、微に入り細にわたって書かれている。

 私が最初に着任したのは舞鶴の第三護衛隊のPF「しい」であったが、ある土曜日に副長が「機関士、背広を作れ、俺が見立ててやろう」と洋服屋に連れ出された。給料の三分の一程度の予算で考えていたが、副長が選んだのは給料の一・五倍の仕立ての背広、それに「オーバーも買っておけ、ネクタイも三本は要るぞ」と、代金は三ヶ月分の給料になってしまった。「副長、そんなにお金ないですよ」というと、「月賦にしておけ、俺が保証人になってやる」と、一〇ヶ月払いにして貰ったが、今の海上自衛隊ではこのようなことはないであろう。

 一方、私は借財の多い部下の給料を全額差し押さえて保管し、上陸の都度、五〇〇円から一〇〇〇円を渡し、一年半かけて借金の清算をしたが、このようなことは現在では人権無視などと訴えられるであろう。このように考えてみると昔の海上自衛隊は、艦を一家とする温情溢れる素晴らしい社会であったと懐かしく思い出されてならない。
次ぎは警察大学校の教官をしていた陸軍の一等兵しか軍歴がない忽那寛しが、警察官の教材として現代風に書き直し、『中堅幹部の心構えー旧海軍士官に対する教えを中心として』(東京法令出版社)から出版された「次室士官心得」のなかから、これから社会に巣立つ人、あるいは社会で中堅リーダーとして活躍している人々に参考となればと、抜粋したものである。本稿を書くために「次室士官心得」を読み返してみたが、私が海上自衛隊で躾られたマナーや、仕事に対する取り組み方、リーダーシップなどの原点は、ほぼこの「次室士官心得」に書かれていた通りであったことに驚かされた。それほどこの小冊子は、私の海上自衛隊の三二年間の勤務と、防衛大学校教授一〇年の勤務に、自己を磨き部下を指導し、学生を教え導くのに役立ち、私を育ててくれたのであった。

「次室士官心得」抜粋

◎熱と意気を持ち純真であれ
 初級士官は一艦の軍規風紀・元気の根源であることを自覚し、青年らしい純真さと若々しさの中に、「元気と熱、純真さを忘れずに」勤務に精励せよ。

◎つねに修養に努めよ
 常に自啓自発に努め、士官としての品位を保ち、清廉潔白の風を養い、厳正な態度動作を心掛け、公正無私を念とし、功利打算を脱却することに努めよ。

◎広量大度で常に快活であれ
 狭量は艦(隊)の統制を乱し、陰欝は士気を沮喪(そそう)させる。忙しい艦(隊)の中にも伸びのびした気分を漂わす様注意せよ。日常は細心でなければならないが、こせこせすることは禁物なり。
 厳格な敬礼は、規律の第一歩であり、正しい秩序は礼儀によって保たれる。初級士官は常に謙虚な心構えで上司及び同僚に対し、親しい中にも礼儀を失わず、上下一致の源泉となる様努力せよ。
1.上の人の顔を立てよ、良かれ悪しかれケップガンを立てよ。
2.上級者との対談中は親密な態度になっても、その前後には厳正なる敬礼、特に左手の「ポケットハンド」は禁物。
3.上官に提出する書類は必ず自分で直接差出せ。質問又は訂正あるやも知れず。

◎旺盛な責任観念を持て
 これは士官としての最大要素の一つである。命令を下し、若くは之を伝達する場合は必ずその遂行を見届け、初めてその責任を果したるものと心得よ。号令の掛け放しは禁物なり。

◎進んで難事に当り、常に縁の下の力持ちとなれ
 艦(隊)内各部の配置及び諸作業は、実に千差万別である。各自がその配置において、それぞれ全能力を発揮することによって、全艦の全能力を発揮できるのである。これが為には私慾にとらわれることなく、素直に物を考え、正しく物を見て、どんなに苦しい立場におかれても、すすんで難事に当る覚悟と縁の下の力持ちになるという犠牲的精神を持たねばならない。

◎日常座臥、研鎖に努めよ
1.日常の艦(隊)務そのものが勉強であることを銘記し、忙しい時程自分の修養ができることを考え、常に寸暇を利  用して、自己研鏡の資とすべし。
2.日常研鑽の資料、成果は常に整理して記録し、後日の参考にするがよい。
3.何事によらず一事に通暁徹底し、第一人者となる心構えで努力すれば、ついには万般に通ずることができる。
4.失敗の多くは、得意慢心の時に生ずる。艦務にもなれて、自己の力量に自信を持つ頃になると、ともすれば先輩  の思慮がかえって愚かしく見える時がある。これこそ慢心の危機に臨んだ証拠であり、最も慎むべき時である。   かかる時は、よく先輩の意図の理解に努めると共に進んでその教えを乞う謙虚にして熱心な態度が必要である。  決して人を侮ったり、軽卒に批判すべきではない。
5.一日に30分でよいから読書する習性をつけ、判断力の涵養に努めなければならない。研究会や講話にはできる  だけ出席せよ。教養を高めるためには、単に専門分野をのぞいているだけでは不可である。
6.平素研究テーマを持ち、その研究をまとめ、後に気づいた点は追加訂正しておく習慣をつけておけば、物事に対   する思考力の涵養に役立つばかりでなく時に思わぬ貴重な資料となる。

◎信ずるところを断行せよ
 事象の千変万化する海上生活においては、熟慮断行の余裕のない事が多い。日常研鑽によって得た信念にもとづいて、迅速果敢に決断をせよ、また如何なる場合にも、士官たる者は率先垂範が必要であり、躊躇逡巡はますます、消極的気分を助長させる。信ずる処を断行して経験を深めよ。

◎報告はマメに行なえ
 上級者は常に下級者のすべてをみているわけではないが、それらの行為に関して全責任を負っている。従って上級者は下級者の些細な行動まで充分に把握しておく必要がある。
何か起ったら必ず上官に報告せよ、また作業が順調に進んでいる時でも「異常なし」と云うことを報告せねばならない。
◎骨を惜しむな
 赴任当時はさほどでもないが、少し馴れてくると、とかく骨惜しみをする様になる。一度、骨惜しみや不精をすると、それが習性となり容易に抜けきらないものである。身体の汚れるのを忌避する様ではおしまいである。
◎自身で問題を解決せよ
 ある問題に遭遇したならば、その事が上官の裁決を必要とする場合でも、できるだけの情報を集めて、自身で考えた最良の手段を示す必要がある。何か事が起きた場合、みずから考える事をせずして「どうしたらよいでしょうか」等と伺いをたてる者があるが、その様な士官は、将来重い職責を課せられた時、適切な判断を下すことが出来ない。
◎命令は忠実に、その実施は拙速確実に
1. 上司から調査又は立案等を命ぜられた場合はすぐ実施せよ。明日にてなさんは禁物なり。
2. 上司の希望であっても、命令と考えて実行せねばならぬものがある。よく上司の意のあるところを察知する努力を  欠いてはならない。
3.上司には誠実な尊敬をもって接すべきである。意見の相異があれば卒直に述べて教えを請うべきである。部下の 前で上司の悪口を云う様な事は、天に向って唾をするにひとしい。

◎船乗りらしくあれ
 シーマンライクとは、船乗りとして特に持たねはならぬ心構えとわきまえて、日常これを実践することである。昔から「スマートで目先がきいて凡帳面、負けじ魂これぞ船乗り」といわれているが、これをそのまま実行すれば良いので、船乗りとして欠くことのできない能力の養成と共に、絶えず心掛けねばならないことである。

◎回覧書類は必ず熟読玩味せよ
回覧類は必ず目を通して、必要な処はメモして置け、これをよくみていないが為に、当直勤務に間違いを生じたり、大切な書類の提出期日をあやまり、将来勤務上必要な時の用に立たないことがある。

◎小言をいわれるうちが花である。
  初級士官時代は新しい経験の連続である。失敗をおそれ、また上司に叱られる事や部下や同僚に笑われる事な どを恥かしく思う様な女々しい態度では、遂には消極の淵にはまり込んで任務が全うできなくなってしまう。何事も  意気と熱で積極的に体当りせよ。これによって得た教訓は将来の勤務を全うさせる力となる。青年将校が積極性を 失うに至れば、青年将校たるの真価を失ったと云うべきである。

◎良き当直士官たれ
 当直に立つときは、その責任の重大性を自覚し、万事手際よくさばき、ミスなく処理に当れ。当直中、何事があっても沈着果断に処する為には、あらゆる状況を想定した腹案を持っている事が肝要である。

◎デアル、ラシカレ主義で行け
 少尉は少尉である。中尉は中尉である。何事につけても分相応、らしくあれ。

◎常に整理整頓を心がけよ

すべてあるべき物をあるべき時に、あるべき所に、あるべき状感でスタンバイ(用意)しておくこと。これが戦闘即応の大切な要素である。

◎五分前の精神を堅持せよ
日本の社会では集合時刻などに遅れる事を何とも思わぬ風習が根強く残っている。日常の諸作業についてだけでなく、公務以外の集合についても五分前を厳守するとともに、引きあげもあっさりしているのがよい。人は艦を待つも、艦は人を待たず。

◎公私の別を明らかにせよ
部下に私用を頼む場合は、その程度を充分考えて、部下に無理を強いたり、部下の貴重な時間を奪ったりすることが、かりそめにもあってはならない。

◎他者の依頼には快く応ぜよ
依頼とは、相手の好意に依存するものである。上級者と雖も強要することはできない。しかし、下級者は上級者のみならず、同僚等の依頼に対しては職務上支障ない限り誠意を以て応じるのが礼である。人にしてやったことは片っ端から忘れ、ひとからして貰った事はいつ迄も覚えている。

◎物事にけじめをつけよ
 当直と非番の区別を判然とさせ、非番の時は努めて緊張をほぐし、当直の場合は全責任をもって、当面の任務の遂行に当る等、時間的にも空間的にもけじめをつけることが大切である。当直の場合は出来るだけ非番の人間の仕事も処理してやる様努めるべきである。

◎部下指導の基礎は至誠なり
  至誠を根本とし、熱と意気とを以て国家保護の大任を担当する干城を築造する事に心懸けよ。

◎部下指導の日凛は「戦斗の要求に適当させしる」に在り。
◎功は部下に譲り、部下の過ちは自ら負う。

  「先憂後楽」とは味わうべき言であり、部下統御の機微なる心理もかかる処に在る。

◎常に部下とともにあれ
  いかなる仕事を命じても、必ずその終始を監督し、いわゆる放任主義に陥ってはならない。特に苦しい作業等の   場合は、必ず最後まで現場にとどまり、仕事の状況によっては、
  風呂や夜食の用意をすることを考えてやれ。

◎部下の指導には寛厳よろしきを得よ
  部下を指導するに、あまりに厳格に過ぎてはならない。さればとて、寛に過ぎ放任に陥ってはならない。艦を其直  ぐに「宜侯」に持って行く為には、舵の取り放しは不可。「あて舵」「もどし舵」の呼吸が大切である。部下に悪い処  があれば、その場で遠慮なく注意せよ。温情主義は絶対禁物、然し叱責する時は場所と相手とをみてなせ。正直  小心な若い兵員を厳酷な言葉で叱りつけるとか、又は下士官を兵員の前で叱責する等は、百害あって一利無し。

◎ショートサーキットを慎め
  非常の場合をのぞいて、必ず順序を経てやらないと、艦内の秩序が破れ統制の乱れるもととなる。

◎率先垂範の実を示せ
  物事をなすにも常に衆に先んじ、難事と見れば真先に之に当り、決して人後に遅れざる覚悟あるべし。又自分で   出来ないからと云って部下に遠慮気兼ねをしたり、部下の機嫌をとる様な事は禁物である。

◎感情に訴える様な部下指導は避けよ

  所謂、親分子分的な関係をつくったり、自分の好みに合った部下をつくったりすることは好ましくない。将来誰の下  についても、真面目に勤務する良い部下をつくる様心掛けよ。

◎ワングランスで評価するな
  誰にも長所あり短所あり、長所さえみて居ればどんな人でも悪く見えない。雅量を持って、先づ短所を探すより先  に長所を見出すに努める事が肝要、賞を先にし罰を後にするは古来の名訓なり。

◎名前を覚えよ
  「オイ」とかいうのは下士官兵の人格を無視した呼び方である。記憶法は色々あるが、着任後早い時機に数名宛呼び、一人一人につき、家庭、特技等一般身上につき聴くことも一法である。

◎部下の能力を確認せよ
  一等水兵に下士官の仕事を命じ、その結果が不満足だとして叱るのは無理である。自分の考え或は才能を以て部下を同程度に見ることは禁物、その能力相当の仕事を命ぜよ。但し、事ある時の為の訓練にやや上級の仕事を与え之を訓練することは大いに必要なことである。

◎テーブルマナーは一通り心得ておけ
  海外に出ることの多い海軍士官は、一人一人が外交官〃としての自覚と矜持を持たねばならない。外国語の習得はもとより、食卓の作法、話題についても、水準以上のものを身につけていなければならない。

◎上陸して飲食や宿泊する時は、一流の店を選べ
  海軍士官は品位を重んずる種族〃である。あまり下品な所に出入して、酒色の上などで士官たるの品位を失し  、体面を汚す様な事があれば、海軍士官全体の体面にかかわる重大事である。