「徳欠国家」日本ー日本がPKOに参加できない理由

はじめに

 ペルシャ湾に派遣された掃海部隊は34個の機雷を処分し、 クエート東方100キロ沖のMDM(Most Danger Area)ー7, 次いでMDAー〇の掃海、 さらにクェート・サウジアラビア沿岸航路の拡張及び確認掃海にあたり、 88日の作業を終えて昨年10月に無事帰国した。 派遣が遅れ処分の簡単な係維式機雷の掃海がほぼ完了し、 残されたのが掃海が困難な沈底機雷であったため、処分機雷が34個という成果は、 イラクが敷設した機雷が1200個といわれる中では決して多くはない。しかし、 掃海部隊の練度・士気・規律などが各国海軍から高く評価されただけでなく、 イギリス、フランス、イタリアなどの部隊が帰国後も残り協力したことは、 今次ブッシュ大統領の主催する晩餐会に落合司令官が招待されたことでも、 いかに掃海部隊が日米関係に好影響を与えかが理解できるであろう。 湾岸戦争で日本は2〇億ドル(ドル3〇円とすれば兆56〇〇億円)を出しながら、 ワシント・ポスト紙にクウェート政府と国民がクウェート解放に貢献した国々への感謝広告を掲載したが日本の旗はなかった。 しかし、 13億円しか使わなかった掃海部隊の活躍により、 最近発行されたクウェートの記念切手には、 図のように日本の旗が示されているのである。 いかに人を送り汗を流すことが有効であるかが理解できるであろう。

 特に最近は米ソ対立の解消から国連の平和維持活動も本格化し、昨年年間だけでもイラク・クウェート監視団を皮切りに、 5つのPKOが派遣されている。 さらに、 本年月には国連の平和活動(PKO)の実施機関である国連カンボジャ暫定行政機構(UNTAC)の事務総長特別代表、 すなわちPKO活動の総括責任者に日本人明石康氏が任命された。 このUNTACの任務は、 停戦監視や地雷の除去、 各勢力の武装解除、 治安維持、 来年前半を目標とする総選挙の準備と実施、 新政府誕生までの行政の監督など、 その活動は極めて幅広い。各国から派遣されるPKO要員も地雷除去に従事する軍事要員だけで〇〇〇名、 全体で万人以上は必要であろうといわれている。このようにカンボジャに於けるPKOへの派遣兵力は現在までに派出された、4ー5名から最大でも2〇〇〇名程度の監視軍や平和維持軍などのケースと異なり、 大兵力の投入が必要とされている。まさにカンボガPKO活動は国連の今後を左右する極めて大きな試金石である。 UNTACの事務総長特別代表に日本人が任命されたことは、アジアの国であるカンボジャにおける平和の確立への日本の参加を国連が期待していることを表徴しているといえよう。 しかし、 昨年末に派遣されたカンボジャ先遣調査団に、 日本からは外務省職員人を派遣したに過ぎなかったし、昨年の国会では期待された国連平和維持活動協力法案が継続審議となってしまった。 選挙を控えこのままでは、次期通常国会での成立もおぼつかないという。 しかし、 日本ではなぜ世界の常識であるPKO法案に対する国民の理解が得られないのであろうか。以下この問題を考えてみたい。

国民の軍事音痴

 PKO問題の第一の問題は戦争(紛争)や軍事に関する理解がないことで、第二次世界大戦後における軍事力の位置ずけが正確に認識されていないことである。かって戦争は総力戦といわれ、 軍事は国家生存の大前提として、 政治も経済も外交も軍事に奉仕し、 軍事を支援する道具であった。 しかし、 第二次大戦後の冷戦時代には軍事力が過去最大の任務であった「戦闘に於ける勝利の追及」から、外交や経済を支援する道具へと大きく役割が変わった。しかし、 さらに東西冷戦構造が崩壊し、 民族、 宗教などの対立による紛争が世界に新たな不安定要因をもたらすと、 不安定な地域や国家の安定を維持するための平和維持軍の派遣とか、 政治的不安定を抑止する災害派遣とか、かって第二次的と考えられていた軍隊の任務がより重要となったのである。しかし、日本人にはこの軍隊の任務の変化が理解できないのである。

 湾岸危機をめぐる対応で日本がうろたえ、たじろいでPKO法案を流すという大醜態を演じてしまったのは、日本人がこの戦争の責任を軍人のみに押し付け戦争の悲惨さのみを強調し、軍事を理解しようとせずに「軍事力そのものが悪いのだ。 諸悪の根源が軍隊にある」という短絡した発想を生んだ。 そして、それが情緒的な国民性とあいまって、 政治的にも大きな影響力をもつ国家となってしまった。 そのために「軍事力」イコール「侵略戦争」、 あるいは「平和憲法違反」といった政治的スローガンやイメージが横行し、 防衛問題が常に党利党略の材料とされ、「いかに運用するのか」「どこに問題がるのか」などの軍事力を維持すべき目的や、 戦争(紛争)の本質が曖昧なままに放置され、ただアメリカの外圧に応じて整備してきたという主体性に欠けた防衛力の整備に遠因があるように思われる。

東京裁判の残滓

 第2は東京裁判の影響である。 占領軍は占領政策を円滑にする目的から、国民大衆と政治指導者や軍人を分離し、この戦争は日本の一部指導者や軍部が引き起こした無謀な戦争で、その責任は総て軍人にあり、 国民も被害者で犠牲者であったと総てを軍人の責任とした。 そして、この東京裁判史観が「国家や」「国の歴史」への敬意も、 「国を愛すること」も、 さらに「公徳心」「勇気」「犠牲心」などの徳目や、民族の気骨までも日本人から奪ってしまった。昨年12月8日前後には日米開戦50周年、 あるいは真珠湾攻撃50周年として、 多くの議論が報道された。アメリカでは「真珠湾50周年は日米双方の、 いやすべての国の人々に、 歴史の教訓を学び、 世界史におけるこの最も困難な時期の一つを理解する機会を提供している」と受け止められた。このため、ブッシュ大統領のハワイ演説は予想以上に日本との和解のアピールを貫いたもので、 これからの日本との協調関係を説き、 それは戦争に起因する敵意や憎悪と完全に決別した内容であった。
 
  しかし、 日本ではローズベルトの陰謀説や戦争の罪悪、 悲惨さのみで、 ブッシュ大統領のような未来を見詰めた格調の高い議論はなかった。 なぜ、 日米の真珠湾をめぐる姿勢にはこのような大きな隔たりが生じたのであろうか。 それは日米の第二次大戦に対する東京裁判史観から生まれた歴史観の相異にあるように思われる。それが第二次世界大戦後、日米を戦後は対称的な道を歩ませたのであった。ヒットラーとの妥協や孤立主義が戦争を招いたと反省したアメリカは、 国際扮紛争に積極的に干渉する世界の警察官の役目をかって出た。そして、 フィセインのクウェート侵略をヒトラー以後、最大の侵略行為と断じて兵を送りクウェートを解放した。 一方、世界から非難され自信を失った日本は自戒から、 いかなる国際紛争へのかかわりも極力避け「一国平和主義」の殻に閉じこもってしまったのであった。

外圧ー中国の反対

 日本人には他国の評価を過度に気にする「島国根性」と、 多神教徒に根差す世論の不統一という弱点があるが、 この弱点が常に「孫子の兵法」を生んだ陰謀に優れた中国に利用されてきた。 この月10日に北京を訪問した社会党の田辺委員長に、江沢民総書記は「私は今日まで、 会談した総ての人に対し(自衛隊の海外派遣には)慎重に対応すべきだと発言してきた」と、 また、 李鵬首相も「自衛隊の海外派遣に対する中国の態度はご承知と思う」と注意を換気し、 「これ(海外派遣を断念すること)は日本の利益にもなる」とダメを押した。 なぜ、 中国はこのように日本のPKOに懸念を示すのであろうか。一昨年の10月に北京で開かれた「第3回『孫子の兵法』国際シンポジューム」に参加したが、 李鵬首相はわれわれ外国人代表を人民会議堂に招き、 その会談で「イランのクウェート侵攻は国際正義上に許されるものではない。 中国はイラクの野望を排除し、クウェートから撤退させなければならないと考えている。 しかし、 その方法は孫子の教える武力によらない知的(Ideal)な力、 すなわち「戦わず敵を屈する(不戦而屈人之兵)」によるべきだ」と語った。 「孫子の兵法」の外交への適用である。 さすがは孫子を生んだ国の指導者だと感心した。 しかし、 よく考えて見ると中国は今回のPKO問題だけでなく、 過去中国の対日政策は常に野党や左翼陣営への声援による日本世論の分断、 自衛隊の中東派遣への憂慮表明や日米安保強化に対する牽制など、 「兵は詭道なり、 故に.....利して誘い、 乱して之を取り」や、 「上兵は謀(計画)を伐つ。 その次は交(同盟)を伐つ」という、国家戦略や同盟関係の分断など、「孫子の兵法」の日本外交への適用ではなかったであろうか。

  クウェート事件を対岸の火事(人民解放軍の大佐の内輪の発言)と考える中国が、 自衛隊の湾岸派遣に反対を表明するのは、 第一に日米関係の緊密化の阻止という日米離反にあるのではないであろうか。 この点からアメリカの世論調査で、湾岸戦争に対する日本の対応にアメリカ人の30パーセントを日本に「敬意を失った」と回答させ、アメリカ人に「日本は戦友でない」「日米安保は紙上の条約と化した」といわせたことは中国の戦略が成功したといえよう。一方、中国が日本のPKO派遣に憂慮を示すのは、中国にはアメリカ軍撤退後にアジアの軍事的空白を埋める余力も実力もない。 その中国が最も恐れているシナリオは、 この間隙を縫って日本が「徳」を積み東南アジアの信頼を得て政治大国にのし上がることである。 経済的にいかに大国となっても、国連の平和維持活動(PKO)に人員を派出しない国家が、国際社会で尊敬も得て政治大国となることは不可能である。 この観点から日本の政治大国化阻止は、 東南アジアでの中国の影響力を維持する上から極めて緊要である。前回の湾岸戦争や今次のPKO法案で自衛隊の海外派遣が問題となって日本が揺れると、 常に中国が「過去の不幸な時期の記憶は今もなお鮮明である」として、 日本に「慎重」な対応を求めるなど内政干渉ともとれる発言をしったのではなかったであろうか。中国に「憂慮表明」にはこのような日本の政治大国化の阻止や、 また日米連携強化への牽制がなかったであろうか。

おわりに

 過去、PKOの対象地域はキプロスや中東地域など日本から比較的遠方であったが、 カンボジャは日本と同じアジアの国の問題である。 このような情勢の中で、経済大国となってしまった日本が、 これまでのように世界の平和に傍観者のままであり続けることができるであろうか。日本は「ある程度の犠牲を払っても責任と役割を果す」決意と行動が、 「ノーブレス・オブリージュ(地位あるものが果すべき責任)」が求められているのである。 困難に直面したときにその人の真価が問われるように、国家もその真価が問われるのである。しかし、 JR日光線の混雑下の車中で老婆が酒に酔った男から、10分間も脅迫され3000円を強奪されたが、70人もいた乗客は助けを求める視線を「そのたびにサッとそらした」という。 所詮、このような日本人に国際的な貢献を求めるのがあるいは間違っているのかも知れない。