海洋国家連携論:デモクラシーと自由貿易のために
  
はじめに
 サミュエル・ハンチントン(Samuel P. Huntington)教授は『文明の衝突(1)』において、21世紀には文明の衝突が起こり、中国、インド、日本が同盟してアングロサクソン諸国との戦争に発展すると書いている。しかし、科学技術などの進歩による異文化間の交流の増加や、マスメディアなどの影響により、 ヨーロッパ連合が出現し、ヨーロッパ連合中の11カ国が共通の通貨を保有したことが示すとおり、民族や国家の相違による社会体制などの差違は徐々に減少し、 世界の価値観(民主主義と自由貿易システムの政治社会体制を意味し、本論ではこれらの価値観を文明という意味を含めて使用する)は、アングロサクソン民族に代表される海洋的価値観(文明)と、ロシアや中国に代表される大陸的価値観、それに不毛の砂漠に生まれた極めて厳しい砂漠的なアラブの価値観と、3つの価値観に収斂するのではないであろうか。 現在のアジア・太平洋地域の冷戦後の安全保障環境は、ヨーロッパに比べて極めて不安定であり、 その複雑性と流動性が問題であるが、このアジア・太平洋地域の安定と平和に不可欠な日米中の関係を、大陸国家と海洋国家の価値観、地政学(Geopolitik)と歴史的尺度という3つの視点から考えてみたい。

1.アジアにおける安全保障体制の現状

 現在のアジア・太平洋地域の現状維持を揺るがす要素の多くが、自己中心的な世界観と清帝国時代の朝貢国までもが、中国古来の領土であると主張する独特の歴史認識を持つ中国の領土欲に起因している。中国をめぐる現在の世界情勢は、中国市場に対する過大期待に伴う西欧列強の利権獲得競争、中国市場の西欧諸国と異なる商業的規定の曖昧さなど、明確に定義された国際秩序が存在せず、また、中国が西欧的な安定した政治システムを持っていないことに問題がある。権力闘争は今も昔も個人であり派閥であり、1930-40年代の軍閥時代と同じように、法律による「法治社会」でなく、権力を握った人による「人治社会」である。このため、人権は無視され軍事力を押さえた者が権力を握り、民主主義は存在していない。特に、懸念されるのが領土の現状維持という国際秩序の基本が、中国のナショナリズムによって揺れていることである。1920から30年代の中国にも情熱的なナショナリズムが沸き起こり、それがアジア・太平洋の現状維持というワシントン体制を崩壊させたが、今日の中国も冷戦構造の崩壊後は共産主義イデオリギーは後退したが、代わってナショナリズムが高まり、それが台湾解放宣言、西沙・東沙群島の武力占領、南沙群島をめぐるフィリピンとの摩擦となり、尖閣列島の領有権の主張となるなど、中国の領土膨張願望がアジアの脆弱な安定を覆す可能性を高めている。

 この不安定なアジア・太平洋地域の安全保障の枠組みをみると、アジア・太平洋地域の諸国は歴史的、政治的、文化的な差異が大きく、相互に民族問題や領土問題などを抱え、さらに軍事的条約や機構などを創設することにヨーロッパにはNATOおよび全欧安全保障協力機構(OSCE)、アメリカ大陸には米州機構(OAS)、アフリカにはアフリカ統一機構(OAU)などの国連憲章に規定された平和及び安全の維持に関する地域的取り決め(Regional Arrangement)があるが、アジアにはこのような国連の平和維持機構さえ見られない。これら弱体なアジアの安全保障体制の中で比較的に機能しているのが、マレーシアとシンガポールの防衛をイギリス、オーストラリア及びニュージーランドがコミットした「5ケ国防衛取り決め」であった。しかし、最近ではマレーシアが共同訓練を取りやめるなど不調和音も聞こえている。このほかに東南アジア連合(ASEAN)の加盟6カ国に加えて、日本、アメリカ、欧州連合などのほかにロシア、パプアニューギニアなど18カ国が参加するアジア地域フォーラム(ARF)や、アジア・太平洋経済協力会議(APEC)などがあが、最も成功していると言われるARFでも、経済、文化、教育の協調は高らかに唱っているが、軍事的な枠組みや制度の構築を回避しており、安全保障体制としては低い次元にとどまっているのが現状である。
 一方、アジアにおける安全保障の枠組みは、示すような日米安保条約、米韓相互防衛条約、米比相互防衛条約、台湾関係法(米華相互防衛条約)などのアメリカを軸とした2国間相互防衛条約による安全保障体制と、アンザス(太平洋安全保障条約 Pacific Security Pact:通称ANZAC条約)や、5カ国防衛取り決め(Five Power Defencw Agreement)などの多国間安全保障体制とが並立している。

 2国間安全保障体制
  @日米安保条約
  A日韓相互防衛条約
  B米比相互防衛条約
  C台湾関係法(米華相互防衛条約)

 多国間安全保障体制
  @アンザス(太平洋安全保障Pacific Security Pact)
  A東南アジア条約(東南アジア集団防衛SEATO)
  B東南アジア諸国連合(ASEAN)と拡大東南アジア連合(Asean Regional Forum)
  C5カ国防衛取り決め(Five Power Defence Agreement)

 これらアジアの安全保障体制の有効性をみると、2国間相互安全保障体制の米比相互防衛条約は、ソ連崩壊によるアジアの緊張緩和とフィリピンの民族主義の興隆により、スーピック海軍基地及びクラーク空軍基地の貸与協定の延長がフィリピン上院において承認されなかったため、アメリカ軍は撤退し米比相互防衛条約は存続しているものの実効性に問題がある。米韓相互防衛条約は米軍の駐留も認められ、在韓米軍も国境付近に展開されており、韓国の防衛には自動介入に近い状況にあり、日米安全保障条約よりも強力である。これに比べて日米安保条約には各種の制約があるが、日本、特に沖縄の戦略的価値のため極東の安全保障には不可欠な条約となっている。台湾との米華相互防衛条約は米中国交正常化により失効したが、アメリカが国内法で台湾の防衛を規定し、武器輸出などを含め実質的に台湾の安全を保証し、台湾も米軍に対する基地の供与を規定しており、中国の重なる抗議にもかかわらず現在も機能している。そして、アメリカはこれらの条約などに基づき、アジア・太平洋地域に10万人体制を維持することと明言し、日本に3万6900人、韓国に3万5920名をはじめ、次表に示す各地に兵力を配備している。
 在アジア・太平洋地域展開兵力(Military Ballance:1998/99) 
日本 韓国 オーストラリア シンガポール グアム
陸軍 1800 27460  
海軍 6750    35   100 4600
海兵隊 16600
空軍 14030 8660    40 1980
合計 39180 36120     35   10 6580

2.地政学と歴史からの考察
(1)大陸型民族と海洋型民族の価値観の比較

 アジア・太平洋地域の平和と安定をどのように構築すべきであろうか。アジアの安定と繁栄を海洋国家と大陸国家という視点、地政学、それに歴史的遺訓をもとに考えてみたい。
 ある一定の気象や地形などの、特定な自然環境に囲まれて育つと、生活様式、風俗習慣、価値観などがその土地特有なものとなるものであり、人が育った環境の影響を受け個性や個癖ができるように、国家もその長い歴史の中で試練を受け、国家としての性格を造り、その行動様式には一定のパターンが生まれ育つものである。これを大陸国家と海洋国家という視点で比較してみると、大陸国家はフランスやドイツ、ロシアの例を挙げるまでもなく、常に自らを世界の中心と考える傾向がある。特に中国はこの傾向が強く、自国文化への優越感から周囲の民族を「東夷」、 「西戒」、 「南蛮」、 「北狄」と位置付け、周囲の国々と対等の国際関係を維持したことはなかった。中国は周囲の国々を「臣下の礼」をとる半独立国として、 「華夷秩序」に基づく自国を中心とするピラミッド型の従属的関係しか認めなかった。このような世界観から中国の平和観はBalance of Powerの平和ではなく、中国の覇権下の「王道文化」に浴する「華夷体制」の平和観であり、貿易は朝貢貿易体制であったが、このような傾向は大陸民族特有のもので、旧ソ連邦時代のロシア人も共産主義を世界随一の政治体制と自負し、世界各地に共産主義国家を建設しようと進出していた。また、中国人は自国文化に対する優越感から、優れた中国の文化を遅れた異民族に浸透させ、文化的に同化し、中国的生活圏を拡大せることが中国人の使命であり、 周辺の文化的に劣る異民族もこれを歓迎するはずと考えていたため、近世に至るまで国境の概念がなく、 中国が最初に国境を認めたのは1689年に締結されたネルチンクス条約であった(2)。
 
 さらに、大陸国家にとって国土の広さや資源の有無などは、国土防衛上のみならず、国家の生存発展のためにも不可欠であり、第2次大戦前のドイツやソ連は自給自足を求めようと、他国を侵略したが、中国もこの大陸国家特有の領土欲から東トルキスタン人民共和国(新彊)、蒙古人民共和国(内蒙古)やチベットなど、歴史的に中国領土ではなかった地域を併合し、西沙や東沙諸島を武力で占領しただけでなく、現在も台湾の解放や尖閣列島の領有を主張している。

 さらに、科学技術の発展により海洋資源の開発の可能性が高まると、かってヒトラー(Adolf Hitler)がポーランド併合の根拠とした「国家は生きた組織体であり、 必要なエネルギーを与え続けなければ死滅する。 国家が生存発展に必要な資源を支配下に入れるのは成長する国家の正当な権利である(3)」というハウスフォハー(Karl Haus-hofer)の「生存圏(レーベンスラウムーLebensraum)」思想に極めて類似したう理論を海洋に適用し、アジアの海洋の現状維持に不安定要因を加えている。すなわち、 1987年4月3日の『解放軍報』に徐光裕(Xu Gung-Yu)の「合理的な3次元的戦略国境の追求(4)」という論文が掲載されているが、その論文は「戦略国境は国家と民族の生存空間である。戦略国境を追求することは国家の安全と発展を保証する上で極めて重要である。 総合的国力の変化にともない戦略的国境線の範囲は変動するものであり、 ................陸地、 海洋、 宇宙空間から深海に至るこれら三次元的空間は安全空間、 生存空間、科学技術空間、 経済活動空間として中国の安全と順調な発展を保証する戦略的国境の広がりを示すもので、 国益はその拡張された勢力圏の前線まで拡大されており、 戦略的には国境線の拡大を意味する」と、海洋正面及び宇宙空間、 海底の三正面の「戦略国境」を拡大すべきであると主張している。

 また、見落とせないのが大陸国家特有の自己正義観と清帝国の領域を中国領とする「帝国」的独特の領土に対する歴史認識で、中国軍事科学院が編纂した『第二次世界大戦後 戦争全史』には、「チベットは中華人民共和国の神聖な領土の山部である」。進駐した人民解放軍は「真剣に『三大規律八項注意』を実行し、広汎なチベット族人民の支持と熱情あふれる歓迎を受けた」。が、しかし、「チベット上層部反動集団が反革命武装反乱を起こしたので鎮圧した」と、チベット併合軍事作戦を「反乱平定作戦」と記している。また、1975年のベトナム領内への進攻作戦は、「祖国の国境を守るためにベトナムの地域的覇権主義に対して自衛反撃作戦を行った」。この戦争によって「ベトナム侵略者を処罰する目的を達し、それは中国人民解放軍の歴史上に壮麗な一章を加えた」と「自衛反撃作戦」と命名している(5)。

 次に海洋民族と大陸民族の相違を比較すると、海洋民族の社会体制や政治姿勢は海洋が天然の城壁の役割を果たし、他国の侵略を受けることも少なく、さらに第3国の領土を経由することなく比較的自由に外国と交易し、必要な物資や文化を導入してきたためか、国家としての社会システムや思想は開放的で、 自由主義的となる傾向が強く、兵制は船を操るには特別の知識と体験を必要とするところから志願兵制度を取り、海軍を重視する国が多い。また、海洋国は海上交通路を維持し制海権を握っていれば貿易によって国家の発展生存に必要な資源を取得することができるため、国際関係は相互に立場を認め平等視する水平的な関係である場合が多い。また、海洋国の利点の一つが安価大量の輸送力であり、 海洋の存在する所はどこえでも自由に安価に多量の物資を運びえることから有無相通じる国際貿易や国際分業化を促進し、海洋国家間を相互依存の関係としている。このため、海洋国家は世界的な協調体制や同盟関係を構築する傾向が強く、 古来「海洋国は同盟国とともに戦う」と言われてきた。これに対して大陸国家は常に国境を挟んで隣国と臨戦態勢を維持し、 侵略を受ければ多量の兵員を動員しなければならなかったため、 徴兵制度を取る国が多く陸軍が重視されている。このためか国家の性格は概して専制的であり閉鎖的で、 その制度は一般に中央集権的で軍国主義的にならざるを得なかった。そして、近隣諸国への不信感から勝手のワルシャワ体制のように隣国を影響下に隷属させる垂直的な国際関係となりがちである。なお、大陸国家と海洋国家の政治・経済・軍事上の相違点を比較すると次表の通りとる(6)。
  海洋国家と大陸国家との価値観・政治体制などの比較
  海洋国家    大陸国家
 代表的国家   米英NATO  ソ連・中国(仏・独)
 政治体制 開放的で民主主義  閉鎖的で専制主義
 国防体制 海軍重視(専門化・志願兵) 陸軍重視(大量動員・徴兵)
  世界観   共存共栄   華夷体制
国際関係観  平等な国際関孫   裁属的国際関係
貿易・資源観   自由競争   国家管理・計画経済

   
(2)シーパワーとランドパワーの優劣比較

 海洋国家と大陸国家とどちらが国家発展上に有利であろうか。鉄道が物資輸送の主役であった時代には、大陸国家に内線の利点があった。しかし、科学技術の発展による港湾の整備や船舶の大型化にともない、徐々に輸送効率や国際的分業体制などの有利な経済システムから海洋国家の優位が確定していった。海洋戦略家マハン(Alfred Thayer Mahan 1840-1914)は1890年に『海上権力史論』で、商船隊や漁船隊、 それを擁護する海軍とその活動を支える港や造船所などをシーパワー(海上権力)と規定し、 シーパワーが国家に繁栄と富をもたらし、世界の歴史をコントロールすると論じた(7)。

 これに対してイギリスの地理学者マッキンダー(Halford Mackinder 1861-1947)は1904年に「歴史の地理的な展開軸(The Geographic Pivot of History)」という題名の講演で、 マハンの海上権力論では陸地に関する要素が不充分である。地球は大陸と海洋から成り立ち、 その大陸の3分の2を占め、 人口の8分の7が住んでいるユラシア大陸を「世界島(World Island)」、 世界島の中央部でシーパワーの力が及ばないユーラシア北部を「ハートランド(Heartland)」と名ずけ、 ハートランドの外側に2組の三日月型地帯(Crescent)を設定し、 ハートランドの外側にあり海上権力の及ぶ大陸周辺の地域、 すなわち西ヨーロッパ、 インド、 中国などを内側三日月型地帯(Inner Marginal Crescent)、 その外方に海を隔てて点在するイギリス、 日本、 インドネシア、 フィリピンなどを外側三日月型地帯(Outer or Insular Crescent)と名付けた。 そして、 近代工業が発達すれば鉄道などによる交通網が発展し、ハートランドに蓄積されたランドパワーがシーパワーを駆逐し、 やがてはシーパワーを圧倒するであろう。「東欧を制するものはハーランドを制し、 ハーランドを制するものは世界島を制し、世界島を制するものは世界を制する」と主張した。

 この理論に対してアメリカの地政学者スパイクマン(Nicholas J. Spykman 1893ー1943)は、マッキンダーの理論を発展させ、「リムランド(Rimland)」理論を唱えて出現した。スパイクスマンは世界はランドパーとシーパワーが対立するという単純なものではなく、 ハートランドの周辺地帯でランドパワーとシーパワーの接触している地域をリムランドと呼称し、このリムランドに位置する日本やイギリスが政治的軍事的に重要である。ヨーロッパ大陸が一大強国に支配されるのを防止するには、リムランド地帯の国々が共同してハートランドの勢力拡張を防ぐべきであると、マッキンダーの警句を修正し、「世界を制する者はハートランドを制するもの」でなく、 「リムランドを制するものがユーラシアを制し、 ユーラシアを制するものが世界を制す」と主張した(8)。
海洋国家アメリカはマハンの理論を旗印に大海軍を建造し、第1次世界大戦でドイツ、 第2次世界大戦で日本とドイツを破り、世界第1の海軍国に成長し、その海洋力によって一時世界に君臨した。

 しかし、第2世界大戦が終わると大陸国家のソ連が台頭し、 マツキンダーのハートランド理論は、ドイツの代わりにソ連が主人公となった他は予言どおり実現したかにみえた。 ソ連は巨大な外向力をもって着々と内側三日月型地帯を勢力下に収め、 その勢力はアフリカなどの外側三日月型地帯にも及んだ。 ソ連は東欧を制してマッキンダーの警句の第1段を達成し、 第2段の世界島の支配に乗り出し、 ユーラシアのリムランドはアメリカの強力な支援がなければソ連の手に入りつつあった時に出現したのがスパイクマンの理論であり、 それを実現したのが「ソ連封じ込め政策」であった。 その後もソ連は一時的ではあったが、リムランドにある中国やアフガニスタンを影響下に収め、 海洋超大国アメリカは力を失い、 海洋一国支配の歴史に幕が閉じられたかに見えた。 

 しかし、 大陸国家ソ連は安価大量の物資を運び得る海洋国家、 経済的には有無相通ずる国際分業と国際的自由貿易による相互依存関係で結び付く海洋国家群に対し、 その地理的制約や専制的な大陸的な国家体制が災いして経済的に破綻してしまった。 ソ連や東欧圏の崩壊はデモクラシー国家の勝利であり、 経済的には自由経済制度の勝利であったが、 地政学的には海洋国家の大陸国家に対する勝利でもあった。 また、近世の歴史、 少なくとも1500年以降の歴史は制海権の獲得に成功した国家が覇権を握り、 覇権国家の変動はオランダ、 スペイン、 イギリス、 アメリカと、 シーパワーにかかわるパワーバランスの変化と連動してきたことを示している。 現在、 海上交通路(Sea Line of Communication)はシーレイン(Sea Lane)と呼称は変わったが、 海洋を制した国家が世界を制するというマハンの理論に代わる理論は生まれていない。

3.歴史から見た遺訓
 
 次に大陸国家と海洋国家と日本はどのように関わってきたであろうか、また、今後いかに関わってゆくべきであろうか。この問題を歴史的に見てみたい。黒船の到来で始まった近代日本は、 海洋国家と連携した時には繁栄の道を歩み、 大陸国家と結んだときには苦難の道を歩まなければならなかった。 すなわち開国早々の日本は海洋国家イギリスと同盟し、 海洋国家アメリカの援助を受けて日露戦争に勝ち、 海洋国イギリスの同盟国として第1次世界大戦をへて国際連盟を牛耳る五大国に成長した。 しかし、 日本が国家の基本である憲法をドイツ憲法を参考としたこと、 国内政治に大きな影響を持つ陸軍がドイツに学んだこと、 日露戦争で大陸に権益を保有してしまった歴史の皮肉などから、 第1次大戦中に戦後の世界情勢を読み違えて、 海洋国家イギリスとの同盟を形骸化してしまった。 そして、 1916年には大陸国家ロシアと事実上の軍事同盟(第4次日露協商)を、 1918年には中国と日華共同防敵協定を結んでシベリアに出兵、 さらに日中戦争から抜け出そうとして大陸国家ドイツと結んで、 第2次世界大戦に引き込まれ、 海洋国家イギリス・アメリカを敵として敗北してしまった。しかし、第2次大戦後に海洋国アメリカと締結した日米安保条約で平和を保障され空前の発展を遂げた。

 一方、日本は大陸国家の中国に対して長期にわたり中国文化を受け入れたが、 自国に必要なものしか取り入れず、 さらに「日本化」するなど一定の距離を保ち、 歴史的にも文化的にも中国を中心とした「華夷体制」の外側にあった。中国を師と仰いで遣唐使や遣隋使を派遣し、足利幕府の3代将軍義満の時代には一時に「臣下の礼」をとつたこのはあった。しかし、それ以外は海が天与の防壁となっていたため、聖徳太子以来、日本は「日出ずる所の天子、 書を日の没する所の天子に致す。 恙なきや」として、防人などの軍備を充実し「離れず近づかず」の距離を置き、対等な関係を維持してきた。中国との貿易も朝貢貿易には従わず、拒否されれば海賊に変身する「倭寇」という変則的な貿易で押し通し、中国に対しては対等な隣人、 時には挑戦者で通してきた。

 一方、アメリカの中国に対する対応はペリー(Matthew C.Perry)提督の日本遠征の目的が中国との通商にあったことが示すとおり、 中国との通商拡大がアメリカのナショナル・インタレストであり、 通商上の夢でもあった。 そして日米両国はペルー以来中国市場を求めて争ったが、最終的には日米ともに敗北し今日に至っている。すなわち、日本は第1次大戦中にヨーロッパ列国が戦乱で中国にかかわれない好機を利用して優位な地位を確保しようと、 鉄道や電話の整備、貨幣制度の改善などの名目で、6億7600万円(地方政府や民間事業に対する借款3億7600万円、 直接事業費3億円)の資金を投入する大正の「円外交」を展開し地歩を築いた(9)。しかし、これらの投資は軍閥への軍資金であったと、政権が変わると返却されなかった。
 
 一方、 アメリカも中国市場の魅力に惹かれ、第1次世界大戦で得た多額のドルを中国市場の将来性に賭けて投資し、 その投資額は1930年から1940年には常に日本を越え、 投資額は日本の3倍を越えていた。 このためアメリカの貿易関係者からは中国より日本を重視すべきであるとの異見もあったが、アメリカは中国を選び抗日戦争を戦う中国に同情し、多額の経済資金や軍事援助、最後には義男軍(パイロット)まで投入した(10)。しかし、アメリカもソ連に支援された中国共産党が政権を執るに及んで撤退、次に現れたソ連も多額の軍事援助を与えながら共産主義をめぐる理論的対立で敗退しなければならなかった。 最近のアメリカも中国市場への過大な期待から中国への経済的関心が高まり、 中国市場をめぐって再び日米の競争が激化しつつあるように見える。また、最近のアメリカでは日本の優位はごく一時的なもので、20年から30年後には中国の方が日本より発展し、日本より政治的に「今より重要になる国」であると、アメリカの中国への期待と夢は1930年当時と変わっていない。しかし、留意すべきことは経済的利益のために中国に利用され、日米安保体制に亀裂が生じることである。

 アメリカの対日・対中投資額の比較(11)
  (1930-1940年) (単位:1000ドル)    
国名 1930年 1936年 1940年
中国 129768 90593 46136
日本 61450 46694 37671
 アメリカの対日・対中投資額の比較(11)
  (1990-1995年)(単位:万ドル)
国名 1990年 1993年 1995年
中国  354   916  1997
日本 22599 31095 39198

 1930年代の日米の中国に対する対応は、経済的利益から両国の対応が常に分裂・対立し、経済的利益から日米が相互に争い中国にすり寄り、それが中国に利用され日米が戦ってしまったが、今こそ、次に示す元駐華公使マクマレー(Van A.MacMurray)から1935年に国務省に退出された「極東における米国の政策に影響を及ぼしつつある諸動向(12)」を読み直してみるべきではないであろうか。
 「ワシントン体制を崩壊させたのは日本ではなく、中国及びアメリカを先頭とする欧米列強である。...............国際法や条約は各国が順守し、その変更はルールに則って行われなければ安定した国際社会を築くことは不可能である。関税主権の回復や治外法権の撤廃のためであれ、領土保全のためであれ、ナショナリズムを口にして国際法や条約を揉濁することは許されない」。(傍線著者)

4.新しいアジア安定化への道

 このような日米中関係下のアジア・太平洋地域の安定をいかにして確保すべきであろうか。アジアはヨーロッパとは宗教、 文化や政治体制が大きく異なり、宗教一つをみても仏教・キリスト教・回教徒・ヒンズーン教と同一でなく、アジアには多国間相互安全保障体制が有効であり、アメリカとの2国間同盟が時代遅れの冷戦型思考との批判もある。しかし、2国同盟に1国を加えることは加藤高明によれば「ウイスキーに水を入れるようなもの(13)」であり、同盟の実効性を低下させることは、日英同盟という強力な2カ国体制(Bilateral System)を日英米仏の4カ国に拡大し「太平洋の平和を目的としたた四カ国条約」、中国の権利利益を擁護し、 中国市場の門戸開放・機会均等を定めた「中国に関する九カ国条約」、日米英仏伊5カ国の「海軍軍縮条約」などによるワシントン体制も、ヨーロッパのロカルノ体制という多国間による国際協調体制も第2次世界大戦を防止できなかったことことから明らかであろう。アジア・太平洋地域の安定には、アメリカ軍の前方展開を含むアメリカの関与の維持が不可欠であり、アジア・太平洋の平和と繁栄のためには、リベラルな民主主義的価値観を理想として、アメリカと2国間同盟を結んでいる日本、韓国、オーストラリア、それに台湾の4先進国が、政治的には「デモクラシー」という価値観、経済的には自由貿易体制を掲げて連携し、ともにアジアの平和と繁栄に対する責任を分担するのが最も効果的な方策ではないであろうか。特にオーストラリアは太平洋の南端に位置し、アングロサクソン民族の西欧の一国であり、日韓とは地理的には遠く離れているが、民主主義を国是とし、軍事的にはアメリカの同盟国であり、経済的には下表が示すとおりオーストラリアのアメリカからの大幅な入超を、日本が2722億豪ドル、韓国が890豪億ドルの原料輸入による入超によって日米韓豪の4カ国間でバランスされており、日米韓豪の4ケ国は経済的にも極めて密接な相互依存の関係にあるtぴえよう(14)。

        オーストラリアの貿易関係(単位:億ドル)
順位 10
輸出 日本 韓国 NZ 米国 中国 シンガポール 台湾 香港 英国 インドネシア
21,6 8,7 7,4 6,1 5,0   4,7 4,5 4,0 3,7   3,7
輸入 米国 日本 英国 ドイツ 中国   NZ シンガポール 台湾 韓国 イタリア
22,6 13,9 6,3 6,2 5,2  4,6   3,4 3,3 2,9  2,9

 また、オーストラリアは戦略的には日米韓の3国が北東アジアの安定に不可欠であるように、インドやミヤンマー、スリランカなどを含む東南アジアやインドネシア、さらにはパプアニューギニアや太平洋島喚国家群の発展と安定に不可欠な国家であり、次表に示すとおり、14万(90%がアジア)の留学生を受け入れており、アジアに民主主義を定着させるうえにも極めて重要な国である。
   オーストラリアにおける留学生の数
大学生 5万4000 職業訓練施設 3万8000
各種学校 1万5000 英語学校 3万6000
 
 さらに、オーストラリアはアメリカとの同盟を最も重要な戦略的関係と位置づけ、戦略的重点を北東アジアと規定し、日本を重要なパートナーと認識し、日本との協調体制の必要性をオーストラリアの外交通商白書や国防白書は次のように述べている(15)。

 「オーストラリアの対日関係の奥深さと質は、オーストラリアの幅広い安全保障と経
  済上の目標推進のため極めて重要である。政府は最上級の相互依存関係を築き上げ
  ている。..........今後の15年間に、日本はアメリカとの強固な同盟関係の枠内で、
  徐々に自国の安全保障に対してより大きな責任を果たし、域内でさらに密接な防衛
  提携を促進して、オーストラリアにとっていっそう重要な防衛上のパートナーにな
  るであろう」(『国益に沿って:In The National Interest-Australia's Foreign and Trade                                 Policy: White Paper』)

 「アメリカとの同盟は最も重要な戦略的関係である。東南アジアや南西アジアや南西太
平洋地域の多くの国との長年にわたる防衛の連携も協力促進の基盤である。われわれは
域内の平和と安定のために、できるだけ多くのアジア太平洋地域諸国の間で共通の決意
推進に努めている。しかし、、東南アジアや南西太平洋地域の近隣諸国との絆が、膨大
な戦略的重要性を持っているものの域内の戦略的重点が北東アジアにあるのは事実であ
る。このため我々は北東アジア、特に日本と中国との連携を強化している。オーストラ
リアは日本との戦略的利害を多く共有しており、すでに定期的なポリティコ・ミリタリ
ー協議(PM協議)を発足させ、これを情報交換など適度の軍事的連携で補完している」。
      (『オーストラリアの国防政策:Australia's Strategic Policy』)

 アメリカの貿易が占めるアジア・太平洋地域の割合は約30パーセントを占め、その多くが次ぎに示す日韓豪などとの貿易で占められ、アメリカにとってアジア、特に日韓豪の関係は次の表が示すとおり、アメリカの発展にも不可欠な重要性を持っている。

            アメリカの輸出入額(16)
国名 日本 韓国 オーストラリア 台湾 中国
米国の輸出 67536 26583 11992 18413 11978
全貿易に対する割合(%) 10,8 4,2   1,9 2,95 1,9
米国の輸入 115218 22667   3855 29911 51495
全貿易に対する割合(%)  14,55  2,86    0,5  3,8  6,5

 これらアジア・太平洋地域の日米韓豪の4カ国、それに台湾がEUと同じように経済的政治的な連携を深め、将来は「民主主義と自由経済体制」という共通の理念のもとに、共通の外交や安全保障政策を樹立し、化学兵器禁止条約、総括的核実禁止条約などの軍縮・軍事管理などの分野から、PKOなどの平和維持活動を共同で実施し、世界の平和と安定に貢献すべきではないであろうか。台湾を除く日米韓豪の4国は、すでにトップレベルの政府首脳の安保対話から、艦艇の相互訪問、留学生の交換や環太平洋合同演習(リンパック)への参加など、様々なチャンネルでの防衛協力が進行中であり、これら4国がアジアの海の平和活動(OPK)に参加する意義は極めて大きなアジアの平和への貢献となるであろう。
  アジア・太平洋海洋国家のGNPと海軍力(1996年)(単位:ドル)
日本 韓国 豪州 台湾 米国 中国
国力(GNP) 4,2兆 433億 525億 293億 8,1兆 563億
主要水上艦艇 57隻 38隻 11隻 36隻 138(62)隻 534隻
 潜水艦 16隻 14隻  4隻  4隻 84(34)隻  63隻
哨戒艦艇  6隻 105隻  15隻 101隻 20(−)隻 830隻
人員(海軍) 43800 35000 14300 38000 380000 251000
人員(海兵隊) 25000 30000 171000 29000
(The Military Balance 1998/99)     (米国の括弧内は太平洋所在数)
 
 この海洋国家連合論に対して中国を敵視しているとか、アジアの国々を排除したアングロサクソン連合であるとかの批判があるかも知れない。しかし、この海洋連合は決して中国を敵視し、またアジアの国々を排除するものではない。このアジア・太平洋海洋連合は民主主義と自由貿易という価値観で結ばれた連合であり、アジアの国々の民主化と経済的な発展に手を差し伸べ、条件が整った国からヨーロッパにおける通貨統合のように加盟を認め、アジアの安定と平和に共同の責任を分担しようとする国々の連合体であり、決して排他的な軍事同盟を意図した同盟ではない。また、台湾を加えたのは台湾が民主主義の国であり、西欧的な政治と経済システムを持ち密接な経済的相互依存関にあるからである。



1 Samuel P.Huntington,The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order(New
 York:Simon & Schuster,1996)〔鈴木主悦訳『文明の衝突』(集英社,1998年)を参照。
2.平松茂雄「中国海軍と中華世界の再興」(『新防衛論集』第20巻第3号、1992年12月)26-27頁。
3.川野 収『地政学入門』(原書房、 1981年)24-27,55-65、66-75頁およびホールフォード
J・マッキンダー(曽村保信訳)『デモクラシーの理想と現実』(原書房、 1985年)177頁、
Nicholas J. Spykman, The Geography of Peace(New York:Harrcourt Brace,1944)を参照。
4徐光裕「合理的な3次元的戦略国境を追求す(『解放軍報』1987年4月3日)」(平松茂雄蘇る
 中国海軍』(勁草書房、 1991年)26-27頁。
5.中国軍事科学院(張聿法・余起 編-浦野起央他訳)『第2次世界大戦後 戦争全史』(刀水書
 房、 1996年)185、 424-425頁。
6.佐藤徳太郎『大陸国家と海洋国家』(原書房、1973年)1-16頁を参照。
7.Alfred Thayer Mahan,The Influence of Sea Power upon History,1660-1783(Boston:Little
 Brown,1890)、日本語版としては北村謙一訳『海上権力史論』(原書房、1984年)を参照。
8、前掲、川野、66-75頁。
9..勝田竜夫『中国借款と勝田主計』(ダイヤモンド社、1972年)5-6頁。中国の未返済分は西原借款のみで8件、1億4500万円、ロシアの第1次大戦時の未返済分は債権が2億6099万円、請求権が6498万円(政府保有分のみ、民間は不明)であった。なお、細部については拙書『第一次ぎ世界大戦と日本海軍:外交と軍事の連接』(慶応義塾大学、1998年)247-252頁を参照。
10.Refer,Daniel Ford, flying Tigers:Claire Chennault and the American Volunteer Group (Washington:Smithonian Institute Press,1991).
11.Mira Wilkins,"The role of U.S.Business2,Drothy Borg and Sampei Okamoto,eds.,Peral Harbor as
  History:Japanese American Relations,1931-1941(New York:Colombia University Press,1973), p.374, Table 6.アメリカ合衆国商務省センサス局編(鳥居泰彦監訳)『現代アメリカデータ総覧1997』(東洋書林、1998年)795頁。
12.Arthur Waldon,ed.,How the Peace was Lost: The 1935 Memorandum Developments Affecting
American Policy in the Far East(Hoover Institution Press,1998)(布川 宏訳『平和はいかに失われたか』(原書房、1997年)を参照。
13.伊藤正徳『加藤高明』(加藤伯伝記編纂委員会,1929年)662頁。
14.JETRO『オーストラリアの概要』(JETORO、1997年)
15.オーストラリアの国防白書や通商白書は次のインターネットで閲覧可能である。
 www//.defence.gov.au/minister/sr97/welcome.html
16.前掲『現代アメリカデータ総覧 1997』803-806頁。