人生を変えた恩師の言葉
    今はなき依田・和田先生に捧ぐ


 高校時代には社会科学部に入部し、民主社会主義青年同盟(現在の民青同)とかいう「コーワーイ」組織に何となく入り、マルクスの『資本論』やレーニンの『共産党宣言』など、今でも完全には理解できないような超高級な本を読み、『今日のソ連邦』などというカラフルな、人民が幸せそうな、写真が一杯の宣伝雑誌を眺め、ソ連の素晴らしさに感動し、社会主義に酔っていました。そして、学校が終わると「単独講和反対」「ゴーホーム・ヤンキー」などのビラを配り、電柱にポスターを貼り、警察から学校に通報があって仲川鋭三郎校長に2時間近くも校長室で説教されたこともありました。

 その左翼学生が突然、防衛大学校(当時は保安大学校と呼称)に入ったのですから皆驚きましたが、この私の転向を決したのが、恩師依田正徳先生の「人行かぬ 山に花あり スミレ草」の一句でした。どの大学にしようかと相談に職員室(何時も呼び出され怒られる場所なので印象は良くない)行きました。そして進路相談をしたところ、「何をしたいのか」と聞かれました。若気の至りから「日本を代表する外交官として、『お国のために(今では死語ですね)』働きたかったが、東大を滑ったので、どこの大学にしようかと悩んでいます」と申し上げました。すると依田先生は即座に、「保安大学校に行きなさい」。「駐在武官という道がありますよ、東大を出なくても軍隊を代表して、一国の代表になれるよ」と云われました。

 このように、依田先生の一句が私を防衛大学校に進ませたのです。それから、これは和田仁雅先生ではなかったかと思うのですが、夏休みの読書の宿題に、和辻哲郎の『風土・人間学的考察』の読後感を書くように命じられました。その時は何だか理解できませんでした。しかし、海上自衛隊に入隊し、欧州への遠洋航海で、紅海から地中海に入ったときの風景の違いや、住んでいる人々の考え方の違いに、ふと『風土』を思い出したのです。その後も遠洋航海や外国出張で世界各地を訪れ、いろいろな体験を重ねるうちに、「そうだ、定年後に、暇があれば『民族性の外交・戦争に及ぼす影響』という本を書こう」と決心したのです。

 そして、現役時代には風土関係の本を買い、読み、ノートを取り、駄文を書いておりましたが、それが認められ、定年後の防衛大学校の教官へと連なりました。このように、恩師の二つの教えが、私に海上自衛官31年、防衛大学校110年、一般大学(清和・筑波・常磐大学)5年という、自衛官と学者の2つ人生を歩ませ、「顧みる時の微笑み」で2つの人生を回想させて頂いております。天国におられる両先生への感謝の言葉を記し、結びとしたいと存じます。「依田先生、和田先生、本当にありがとうございました」。