アメリカ海軍の特攻対策
防空重視のアメリカ海軍
航空機が実用化の兆候を示すと、 イギリス海軍やドイツ海軍などのヨーロッパの海軍は、
戦艦や巡洋戦艦の1部に7・6センチ高射砲を二門から4門を搭載した。 しかし、
アメリカ海軍も日本海軍と同様に第一次世界大戦前には高射砲を搭載していなかった。
しかし、 第一次大戦が勃発し航空機の活躍が報じられると、 アメリカ海軍は旧式戦艦を含む総ての戦艦に7・6センチ高射砲二門を搭載し、
さらに、 第一次大戦後は実艦を標的とした大規模な爆撃実験を行い、 航空機の威力を認識すると戦艦ネバダ級以降の改装艦には1二・7センチ高射砲8門を搭載し、
1万トン型巡洋艦もこれにならい8門を搭載した。
一方、 日本海軍は新造時の戦艦には7・6センチ高射砲4門と、 アメリカ海軍の半分しか搭載しなかったが、
第二次改装工事により1二・7センチ連装砲8門と倍増した。 また、 初期の巡洋艦は新造時は7・6センチ高射砲4門であったが、
後期に完成した巡洋艦には1二・7センチ連装砲8門を搭載し、 さらに二5ミリ連装機銃4基を増設し、
さらに妙高級までは二0センチ主砲の最大仰角が40度であったものを、 高雄級以降は70度に増やし対空射撃ができるよう改装するなど、
日本海軍も武器装備上は対空射撃の重要性を理解していた。 しかし、1937年に摩耶の砲術士であった築土龍男氏によれば、
主砲による対空射撃訓練が行われたことはなく、 1938年度からは一部の駆逐艦に、
40年度には全駆逐艦も対空射撃訓練を実施するようになったがあまり熱意はなかったという。
日米海軍の艦隊防空軽視を表徴するのが駆逐艦の砲装で、 日本海軍は魚雷戦や対水上砲戦を重視し、
駆逐艦の主砲は水上射撃を主とし仰角も55度しかなく指揮装置も装備されていなかったが、
アメリカ海軍は1934年に建造したフラガット級駆逐艦以降は、 水上射撃の命中率を犠牲にして主砲の5インチ砲を対空と水上目標に使用できる両用砲とし、
対空目標を対象とした射撃指揮装置も装備していた。
また、 アメリカ海軍は3連装魚雷発射管4基を装備し、 ソナーや爆雷投射機を装備するなど、
防空巡洋艦としては不徹底な面もあったが、 1939年には1二・7センチ連装砲8基を搭載する最初の防空巡洋艦アトランタ級を建造した。
また、 開戦直前から戦争中に改装または新造された戦艦は副砲を全廃または半減し、
新造戦艦には二0門、 改造戦艦には16門の高射砲を装備し、 さらに、 1939年に竣工したシムス型駆逐艦からは駆逐艦にも対空射撃の指揮装置を装備し、レーダーが開発されると砲とレーダーを組み合わせた射撃指揮装置を開発した。

アメリカ海軍の艦隊防空で注目すべきことは、 科学技術の開発速度と多数の武器を有機的に結合するシステム的運用法で、 第二次大戦が始まるとレーダーと指揮通信装置を組み合わせたCIC(Combat Information Center)と呼ばれる各種情報を収集・展示・評価・配布する戦闘情報指揮システムを開発した。 その運用の一例を空母レキシントンに求めれば、 レキシントンには対空見張用のSKとSCレーダー、 高度測定用のSMレーダー、水上目標用のSGレーダー、それぞれのレーダーが探知した目標を評価し、 CICから迎撃戦闘機に迎撃針路や高度などを即座に指示する艦隊防空システムを確立した。 1942年5月7日から8日に戦われた珊瑚海海戦では、レキシントン搭載の対空警戒SCレーダーが70海里前方で日本軍の攻撃隊を探知し、9機の要撃機を発進し誘導した。しかし、低空で侵入した雷撃機に誘導された2機は零戦に妨害され、急降下爆撃機に誘導された3機は高度を上げたが高度不足から会敵できず、 残る3機は外方に15海里も誘導されたが会敵できずに戦闘には参加できなかった。
一方、ヨークタウンは全戦闘機を日本部隊の攻撃に投入してしまったため手元に戦闘機がなく、
SBD爆撃機23機を発進させたが、速力が遅く適切に誘導できずに4機を零戦に落とされてしまった。
このように開戦直後はアメリカ海軍の早期警戒態勢も迎撃戦闘機の管制も不完全なものであった。
しかし、 その後は経験を重ね徐々に改善し、 2年後のマリアナ沖海戦では高度測定用レーダーや探知目標を平面的に表示するPIIスコープの開発などの電子兵器の跳躍的進歩と、
それをシステム化した艦隊防空体制が確立し日本の攻撃機は機動部隊の前方で、
優位な位置に誘導されて待ち構えている要撃機に高空から奇襲され、 「マリアナ沖の七面鳥狩り」と“やゆ"された完敗を期したのであった。
さらに、 マリアナ沖海戦では海軍長官フォレスタルに「この独創的な装置が米艦隊の水上艦を守った」とい言わせ、
アメリカ艦隊最高司令官キング大将に「アメリカを勝利に導いた主要な科学的功績である」と絶賛させたVT(Variable
Time Fuse)信菅が全艦艇に配布され、 対空砲火の威力を驚異的に向上させた。 そして、
この科学的な艦隊防空システムに日本海軍が対処できる方法は「十死零生」の特攻隊しか残されなかった。
マリアナ沖海戦敗北4ケ月後に、 日本海軍航空育ての親と言われる大西滝次郎中将が第1航空艦隊司令長官としてフィリピンに赴任したが、
大西中将は着任前に大本営を訪れ、 「最近の敵は電波兵器を活用し、 空中待機の戦闘機をもって、
我が攻撃機を遠距離から捕捉し阻止することが巧妙になったので、 我が方の犠牲者は多くなり攻撃も困難となってきた。
このさい第一線将兵の殉国の至誠に訴えて、 必死必死の体当たり攻撃を敢行するしかほかに良策がない。
これが大義に徹するところと考えるので、 これについて大本営の了解を求めたい」と、
特攻攻撃の了解を求めた。 日本海軍はアメリカ海軍の科学技術力に「大和魂」という精神力で応じたのであった。
特攻攻撃対策
昭和19年10月25日に最初の特攻攻撃に見舞われた第3艦隊のハルゼー部隊では巡洋艦6隻が損傷を受け、
キンケイド部隊では戦艦2隻、 巡洋艦2隻、 駆逐艦7隻、輸送船2隻に命中され、
駆逐艦アブナー・リードを失った。 特に、 12月6日の攻撃はすさまじく、 駆逐艦マハン、
輸送駆逐艦ウォード、 駆逐艦レイドが沈み、 駆逐艦コールドウエルが大破しただけでなく、
多数の輸送船が破損し、 アメリカ海軍を狼狽させ撤退の危機にまで追い詰めた。
アメリカ海軍はミサイルにも相当する特攻攻撃に、 さらに新しい防空態勢を考えなければならなかった。

合理性を重視し総てをプラグマチックに考えるアメリカ人には、 特攻隊を理解できなかったのであろう。 終戦後に来日した戦略爆撃調査団は「特攻隊攻撃は強制的にやらせたのではないか」、 「特別な特攻隊隊員の養成機関を設立したのではないか」と繰り返し質問したという。 確かに、アメリカ軍にとり特攻攻撃は西欧の観念が初めて目撃したショックであり、 第58機動部隊司令官のハルゼイー少将は特攻攻撃が行われるとの情報を受けると、 「この情報はわれわれにとって、 あまりにも受け入れがたいものであった。 生きるために戦うアメリカ人にとって、 死ぬために戦うというという事実を認識することは困難であった。 『ハラキリ』の伝統があるとはいえ、 日本軍が多数の特攻隊志願者を集めることができると、 われわれには信ずることができなかった。 しかし、 翌日に神風特攻機が空母フランクリンとベリューウッドの2隻に命中したとき、 この考えを厳しく修正された」、 とアメリカ海軍は最初は狼狽し、 特攻攻撃による士気の低下を恐れ、 特攻攻撃に関する報道を禁止した。
この特攻攻撃にアメリカ海軍が最初に採用した対策は、 攻撃の重点を上陸部隊の支援援護から飛行場攻撃に移し、
フィリピンおよび周辺の飛行場を連続的に攻撃し、 滑走路には修復できないように時限爆弾を投下し、
さらに飛行場から特攻機が飛び上がれないよう常に飛行場上空に戦闘機を配備することであった。
また、 特攻攻撃を事前に無効にするために空母搭載の急降下爆撃機を半分以下に減し、
艦上戦闘機を2倍以上に増加した。 また対空砲火と空中哨戒機を集中するため、
機動部隊の空母群の数を従来の4グループから3グループに減らし、 さらにレーダー装備の駆逐艦を特攻機の来襲方向の前方60海里に配備し、
早期警戒と帰投機のチェック・ポイントとし、 味方航空機が攻撃から帰投する場合には必ずこのレーダー警戒艦の上空を旋回後に空母に帰投させることとした。
しかも、 このレーダー警戒艦には直衛機を付け、帰投機に紛れて侵入する特攻機を捕捉撃墜する戦法をとった。
また、 多数の大学教授などの学者を急遽動員し、 OR(Operation Reseach)研究班を編成し第3艦隊に派遣した。
そして、 これら科学者に特攻機に狙われた場合、 火力を発揮して特攻機を撃墜したほうがよいのか、
火力発揮をある程度犠牲にしても、 回避運動を行なったほうか被害を減少し得るのかという問題を検討させ、
現場に派遣された科学者次の報告が提出された。
旋回運動と被弾との関係
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旋回運動をした場合の
被体当たり命中率 |
旋回運動をしなかった
場合の被体当たり命中率 |
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大型艦艇 |
22% |
49% |
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小型艦艇 |
36% |
26% |
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旋回運動と対空砲火の命中率との関係
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旋回運動した場合
の対空砲火命中率 |
旋回運動をしなかった
場合の対空砲火命中率 |
大型艦艇 |
77% |
74% |
小型艦艇 |
59% |
66% |
1 戦艦、巡洋艦、空母は特攻機に狙らわれたら急速回避運動をす べきである。急速旋回運動をすることによ り被体当り率は49・7パーセントから22パーセ
ントに低下する。 また、 急速旋回運動をした方が対空砲火 の命中率も74から7
7パーセントに向上する。
2 駆逐艦などの小型艦艇は急速回避行動をすると、 対空砲火の命中率は7パーセン
ト低下する。 しかし、 被体当り率は10パーセント低下できる。
このように日本軍の精神力や「悠久の大義」という念力の特攻攻撃に、 アメリカ海軍はレーダーピケット駆 逐艦や直衛機の配備、
OR手法の利用などアメリカ人の伝統的国民性である科学的プラグマティズムで応 じたのであった。
第二次大戦後の防空
特攻隊という有人ミサイルに悩まされたアメリカ海軍は、 艦隊防空システムを格段と進歩させていったが、
第二次大戦後は朝鮮戦争やベトナム戦争の実戦経験を経てさらに艦隊防空態勢を強固なものとし、
現在では航空機、 水上艦艇や潜水艦搭載の対艦ミサイルに対処するため、 機動部隊の中心から100マイル以上離れた上空に早期警戒機E−2Cや電子戦機EA-5Bを配備して警戒網を張り、
機動部隊から外側50マイル以内の上空に迎撃機を配備し、 さらに要撃機を突破した航空機やミサイルに対しては長中距離ミサイル、さらに1万メートル程度に近づいた目標に対しては個艦装備の短射程対空ミサイル、
CIWCと呼ばれる短射程ではあるが発射速度が驚異的に早い機関銃などて対処してきた。
しかし、 第二次大戦後の個艦防空システムの驚異的進歩を象徴するのは、 1983年に完成したタイコンデロガが搭載したアムスド(ASDM:Anti-Ship-Missile
Defense)と呼ばれるイージスシステムであろう。 このシステムはドプラー方式の超遠距離対空レーダー、
敵味方識別装置、 電波探知機、指揮管制システム、 武器管制システムなどのコンピューターと電波妨害機、ミサイルとその射撃指揮装置、
各種口径の砲やファランクス20ミリ対ミサイル機銃などからなり、 レーダーで発見した10数目標を瞬時に計算し、
同時に多数のミサイルを発射する情報処理用の大型電子計算機と組み合わされた指揮装置で、このイージス・ミサイル艦の開発がアメリカ海軍に世界最強の洋上防空態勢を確立させた。
しかし、アメリカ海軍は本年3月には冷戦時代の戦略防衛構想(SDI)を小型にした「軽量大気圏外迎撃体(LEAP)」と呼ばれる洋上の戦域ミサイル防御網(TMD)の実験に着手し、 イージス艦に搭載しようと大気圏外で実験を実施したが、 さらに、 敵のミサイルの発射、 飛行データを迎撃システムに直接伝達する宇宙配備のセンサー「プリリアン・アイズ」を開発しようとしているという。 太平洋戦争で零戦に、 次いで特攻攻撃に悩まされたアメリカ海軍の艦隊防空は、 21世紀には宇宙からのミサイル攻撃にも対処する艦隊防空へと発展するのであろうか。 アメリカ海軍の新らしい脅威や事態への対処速度や対応姿勢は、 今も変わらないように思われる。
参考文献:
ニミッツ『ニミッツの太平洋海戦史』(恒文堂)
NHK取材班編『エレクトロニクが戦いを制す』(角川書房)
『世界の艦船』(第375号、 1987年2月号)