再版の理由
初版発行から半年しか過ぎないのに、第3版を改定版にすることには、「内容に誤りが多々あっと誤解される」と、出版社からは抵抗があった。しかし、ロシア海軍軍令部が編纂した『千九百四、五年 露日海戦史』(『露日海戦史』と略記)が2004年8月に、横須賀の記念艦三笠で発見され、記述が大きく変わるのだからと改訂版にさせて頂いた。記述を大きく変えたのは、初版ではロシアの意図などを、当時の外交文書や関係者の回想録などから裏付けていたが、それを『露日海戦史』に記載されていた当時のロシア中央政府(皇帝や陸海軍、外務省など)の、会議における関係者の発言や報告書などを引用し置き換えた方が、より事実に近いと考えたからである。
一例を上げれば、『露日海戦史』には日本に勝利するためには1.5倍の兵力が必要であり、兵力増強が完了するまで2年間は対日戦争を避けるべきであり、ロシア海軍軍務局員の作戦計画担当者は、当面は「縦令、多大ノ譲歩」をしても対立を回避するのが「得策」である。海軍は「今後二カ年ヲ経テ日本ニ対シ宣戦スルノ堅キ決心ヲ以テ、不撓不屈戦備ヲ修メ」、外務省は開戦時までに有利な国際関係を構築すべく努力すべきである。また、極東でロシアが「絶対優位権ヲ確立セント欲ス」るならば、「須ク日本ヲ撃破シ」し、「艦隊保持権ヲ喪失セシメ」なければならない。対日戦争では朝鮮を占領し、馬山浦を前進根拠地とし、「日本人ヲ撃破スルノミニテハ不十分」で、「更ニ之ヲ殲滅セサル」べからずとの上申書に置き換えた。また、ロシアが対日回答を延期していた背景として、ウエレニュース少将指揮下に戦艦オスラビア、巡洋艦アウローラ、ドミトリ・ドンスコイや駆逐艦・水雷艇一〇数隻が極東回航中であった事実を追加した(開戦時、ジプチ在泊中であった)。
『露日海戦史』は日本海軍が寄贈した『明治三十七八年海戦史』と対比し、これを批判しつつ編纂しており、本書により仁川沖海戦の最初の砲火は日本海軍の水雷艇の魚雷であったことなど、日本海軍が隠蔽していた事実も追加した。この『露日海戦史』は日露協商下の帝政時代に書かれたため、スターリン時代のような極端な覇権意識や反日感情もなく、イズムにも冒されていない。このため、戦争や作戦をめぐる対立、失敗した作戦の責任者を実名で非難しており、日露戦争を理解するロシア側の第一級史料である。読者は本改訂版と同時期に芙蓉書房出版から再版される『一九百四、五年 露日海戦史』で、引用した細部を確認して頂きたい。
2004年12月15日