序説:日露戦争の世界史的意義と各章の概要
 

 日本が国際社会に参入したのは黒船の来訪に始まるが、この時期にはアジア・アフリカの殆どの国や民族が西欧の植民地とされ、その波は大清帝国へと迫っていた。しかし、アジアやアフリカには西欧諸国に反撃できる有色人種の国は一国もなかった。国力、軍事力、経済力、科学技術力、何もかも比較にならず、アジア、アフリカは西欧帝国主義諸国に征服される以外に選択肢のなかった時代であった。

 このように、アジア、アフリカが完全に欧米植民地支配に飲み込まれ、欧米の圧倒的な植民地化の波が中国大陸、朝鮮半島に迫りつつあった時に有色人種の日本が立ち上がり、初めて白色人種を敗北させたのが日露戦争であった。

 1498年にバスコダ・ガマがケープタウンを廻ってインドに到着してからの500年の海の歴史は、白色人種による有色人種支配の歴史であった。この歴史の流れの中で日露戦争をとらえ直してみると、日露戦争は全世界を席巻した欧米植民地支配に対し、アジアの新興国日本が反転攻勢に転じた初めての戦争であり、アフリカ、アジアに対する欧米植民地帝国主義の侵略を日本が跳ね返した戦争でもあった。
 
 そして、日露戦争の日本の勝利を境にアジア、アフリカ、アラブなどの民族独立運動が高まり、その動きは単に有色人種間だけに止まらず、ロシアの圧制に苦しむフィンランドやポーランド、トルコなどへも飛び火し、ポーランドやフィンランドなどの独立へと連なっていった。また、米国では黒人の人種差別撤回運動へと連なっていった。このように日露戦争は全アジア・アフリカの有色人種を覚醒させ、総ての西欧植民地に致命的打撃を与え、有色人種やロシアの支配下にある白色人種にも民族独立の夢と戦いを生んだ戦争でもあった。

 第1章の「日露戦争の概要」では、日露戦争に至る西欧諸国の植民地化の概要と、ロシアの満州や朝鮮への南下など、日露戦争に至る背景と日露戦争の主要な戦闘、および欧米諸国の日露戦争に対する動向を各国の新聞を中心に記述した。次いで日露戦争の主要な陸上戦闘と日本の勝利を確定し、ロシアを講和会議のテーブルに着かせた日本海海戦の概要と、この海戦が世界のパワーバランスと国際政治に与えた影響を明らかにした。

第2章の「日露戦争がヨーロッパ諸国に与えた影響」では、日露戦争がロシアに与えた影響、すなわちロシアの敗北がロシア革命に連なったことから、ポーランド、フィンランド、さらにはヒトラーに与えた影響などを記述した。

 第3章「日露戦争のアジアに与えた影響」と、第4章の「アラブ社会に与えた影響」では、日露戦争がアジアから中東、ロシアの支配下にあった東ヨーロッパ諸国、さらにはアメリカの黒人に与えた影響を扱った。インド独立運動の指導者ジャワハルラル・ネルーは『父が子に語る世界歴史』のなかで、「アジアの1国である日本の勝利は、アジアの総ての国々に大きな影響を与えた」。「ヨーロッパの一大強国が破れた。とすればアジアは、昔たびたびそういうことがあったように、今でもヨーロッパを打ち破ることができるはずだ。ナショナリズムは急速に東方諸国に広がり、『アジア人のアジア』の叫びが起こった」。「日本の勝利は、アジアにとって偉大な救いであった」と書いているが、日露戦争における日本の勝利は、ヨーロッパ最大の陸軍国の白色人種の国ロシアが、「猿まねがうまい黄色い小人」と侮蔑していた日本に敗れたのである。白色人種が有色人種と戦争をしたら、白色人種が勝つという歴史的確信を消滅させ、白色人種の優越性を打破したのである。

 明治のお雇い医師のドイツ人のベルツは「日本は、今や巨大な一歩を押し進めたのである。かくてまたもや世界歴史の1頁がーそれも、現在ではほとんど見透しのつかない広大な影響を有する1頁がー完結されたのである。今や日本は陸に、海に、1等国として認められた。われわれが東アジアにおいて、除々ではあるが間断なく発展するのを観たその現象が、今や近世史の完全な新作として、世界の注視の的となっているーアジアは世界の舞台に登場した。そしてこのアジアは、ヨーロッパ諸国の政策に、従ってわれわれの祖国の政策にもまた、共通の重大な影響を及ぼし得るのであり、また及ぼすはずだ。ヨーロッパだけの政策は、もはや存在しない。世界政策があるのみだ。東アジアの出来事は、もはや局部的な意義をもつものではなく、今日ではわれわれにとって極度に重要な関心事である。これらすべての意義を、世人はいまだに気づかないが、しかし時がこれを教えるだろう」と指摘したが、日露戦争後の歴史はベルツの予言したとおりに流れ始めた。

 すなわち、ロシアでは旅順が陥落するとレーニンが「プロレタリアートは喜んでよい理由かある。われわれの最も兇悪な敵の破局は、ロシアの自由が近づいていることを意味するばかりではない。ヨーロッパのプロレタリアートの新しい革命的高揚をも予告しているのである」と書いたが(『レーニン全集』第8巻)、旅順陥落の直後にはロシアの首都のサンクトペテルブルクの「血の日曜日」事件が起こり、この日を境に革命の波が一挙に全国に広がり、それから1七年後には世界で始めて共産主義国家を誕生させた。

 第4章の「日露戦争と米国のネーバリズムと人種差別」では、日露戦争が西欧諸国、特に米国を中心とした白色人種に与えた影響を、人種差別(黄禍論)とネーバリズム(海軍至上主義)、そして門戸開放主義とモンロー主義の視点から分析し、これらと合体した海軍モンロー主義が具現化したフィリピンを例に、日米が太平洋戦争へと進んでしまった軌跡を明らかにした。

 一方、第1次世界大戦が勃発すると、ドイツは英国が黄色人種の日本と同盟し、キリスト教徒である白色人種を殺傷し、キリスト教文明を破壊するのは白色人種に対する反逆であると宣伝した。さらに、ドイツは英国だけでなく、英国とオーストラリアをも分断しようと、日本が南洋群島を占領すると、オーストラリアの対日警戒心を日英分断、英豪の連係弱化に利用した。そして、移民制限などの人種差別を受けた日本は、ベルサイユ講和会議に人種平等法案を提出した。しかし、この法案は門残払いで却下され、1924年には排日移民制限法案が米国で可決され、さらに、ワシントン会議では米国の策謀で黄色人種と白色人種間で初めて締結された日英同盟が解消され、黄禍論が1930年代の日本を西欧社会から排除させる大きな要因となったことなどが紹介される。

 第6章の「第2次世界大戦と民族独立」では、大東亜戦争初期の日本軍の快進撃が、アジアから欧米帝国主義諸国の勢力を一掃し、「アジアのためのアジア」のスローガンがアジア人に独立の夢を与えたが、日本は敗北し四年半後にはアジアから撤退した。しかし、欧米諸国、がかっての植民地に再び復帰することは出来なかった。民族独立に目覚め自信をつけたアジアの人々、日本軍が養成した軍隊が、日本軍が教育した青年たち(南方特別留学生など)が、一斉に民族独立の戦いに立ち上がったのである。西欧の史書はフランス革命が国民国家(民族国家)を成立させたとしているが、民族国家独立をアジアやアラブ・アフリカ諸国に目覚めさせたのは、日露戦争であり、その運動に火を付け有色人種の民族国家を建国させたのは、「先の大戦」と呼ばれる「大東亜戦争」ではなかったのか。本章ではこのような史実が紹介される。

 第7章の「日露戦争百年の回顧」では、コミンテルンの共産主義と覇権主義の欧米帝国主義、特にマニフェスト・デスティニー(神から与えられた摂理)のモンロー主義の百年の功罪を比較した。すなわち、ソ連は西欧資本主義諸国の重圧を軽減しようと民族独立運動を支援し革命を輸出したが、その理論的支柱が「民主集中指導体制」という独裁体制であり、その指揮中枢がモスクワのコミンテルンであった。特にコミンテルンが革命を輸出する市場として重視したのが、国内が軍閥に支配され四分五裂に混迷している中国であった。コミンテルン(ソ連)は東方国境の安全を確保するために、陰謀を駆使して日中を戦わせ続け、日本を太平洋戦争へと追い詰めていった。そして、最後に日本は人種差別と覇権主義の米英と、コミンテルンというソ連の2つの陣営に挟撃されて敗北したのであった。この章ではメシア意識が強く、世界に革命を輸出した民主集中という共産党一党支配の独裁体制が、戦争や内乱、国内の権力闘争を生み、粛清、強制収容や強制労働、亡命、難民など大きな災害をもたらしたことを指摘した。次いで日本の掲げた世界はみんな家族だとする「八紘一宇」の大家族主義のアジア主義と、米国の有色人種(未開人)を文明化しキリスト教徒にすることを「神から与えられた義務」とし、自己中心の覇権を確立していったモンロー主義とを比較した。

 本書はこのような1世紀という長い視点と、地球儀的世界観で日露戦争が世界の歴史に与えた影響を見直したものである。本書が日本の歴史、日本の国柄を考える上に一石を投じ得ることができるならば幸いである。