警鐘
「栗栖超法規発言」と「田母神論文」
WBCの「侍ジャパン」の最終回の逆転優勝は国民を涌かした劇的な出来事であった。なぜ、実力は日韓同等、ある意味では韓国が優っていたが勝てたのであろうか。それは選手たちが日本の代表として「日の丸」を背負い、多くの国民が一丸となって声援したので、実力以上の力を発揮したからではなかったか。軍隊の戦闘力は兵器の性能と運用(使い方)、隊員の士気の相乗積で決まるといわれているが、愛する家族と別れ戦地に赴き、命令ならば死を覚悟して弾の中に飛び込まなければならない兵士の士気や規律は、愛国心で支えられ国民の感謝と支持に支えられて不動の信念へと高められるのである。そのため、いかなる国も戦没者を称え感謝と哀悼の意を捧げているが、それは兵士の祖国への忠誠心が国の安全を大きく左右するからである。
また命を捧げる祖国は「誇りある国」でなければ愛国心は生まれない。侵略国家と言われる祖国のために、兵士が命を捧げることはできない。しかし、日本では国のために戦い命を捧げた兵士を侵略戦争の先兵であったと、天皇も歴代首相も参拝しないだけでなく、戦死者を貶める首相談話を「政府見解」として憚らない。村山談話に反したとして田母神航空幕僚長が職を解かれ、自衛官の精神的支柱である「誇りある国」の教育は、「罪深い国を自覚させる教育」に変えられた。さらに、防衛省内局は「村山談話に違反していないか」と、思想統制とも言うべき防衛監察を実施し、村山談話に合致した歴史を教えよと命じた。検証も経ずに軽々に「侵略国家」と断定した「村山談話」が、自衛官の精神的支柱を奪い、自衛官を骨抜きにしつつある。このまま自虐史観を強制し、自衛官を蔑視し栄誉も地位も与えないならば、侵略を受けたときに自衛官はクエート軍のように、数時間で霧散してしまうのではないか。
栗栖統合幕僚長が法律で縛られ弾を撃つにも「正当防衛か」「過剰防衛にならないか」「使用武器平等の原則に違反しないか」などと、警察官職務執行規則を見ながら戦うことはできない。侵略を受けたときには「超法規で戦うしかない」と発言し辞職させられてから三〇年が過ぎるが、有事の法体系は憲法が禍して改善されず、武器は最新鋭に変わったが、自衛隊には警察官以下の権限しか与えられていない。海賊を捕らえても調査は海上保安官しか行えないなど、列国海軍には全く理解できない「弾も撃てない護衛艦」がソマリア沖に派出されたが、この事実が世界に知れ渡れば、日本の抑止力は大きく失われてしまう。「国滅びて平和憲法を残した民族がいた」などと、後世の史書に書かれることがないことを祈るのみである。