日本の安全と日本語 言霊は世界に通用するか-

はじめに
 古来日本人は、言葉とそれを伝える空気(「気」というその場の雰囲気)を大事に考えて来た。それは、話すときの場面が意志伝達のうえで大きな役割を果たし、言葉には意志とそれを実現する力があるという精霊崇拝主義(アニミズム)に基づくものであった。そして、日本人は言葉には魂が宿るという言霊(コトダマ)信仰を2000年以上にわたって育んできた。一方、日本語という言葉は美しく繊細であり、豊かな表現力を持ち、さらに多様性に富んでいる。しかし、この世界に類がない日本語の美しさや豊かさゆえに、理性や打算が重視される現実の世界では多くの問題を生起させ、日本に不幸な道を歩ませてしまったことも否定できない。そこで、本論ではこの日本の精神文化を象徴する日本語という言葉が、日本の歴史、特に日本の安全保障にどのような影響を与え、日本をいかにミスリードして来たかを考えてみたい。

言霊と日本人

 日本の文化は場面(雰囲気)への依存性が強く、生け花の美は場面(床の問、飾り棚などの背景)との調和があって初めて味わえるものであり、俳旬も作られた時の雰囲気など、文字の外側にある情景や感情を想像して初めて理解できるのである。日本語もこれと同じく背景を伴って理解されるため、日常の会話などでも論理的な話は「理屈ぼい」、長い話は「駄弁を弄し」と嫌われるため、極力無駄を省き「禅問答」のように「阿咋の呼吸」の会話となる。このため文学においても長歌が次第に廃れて短歌、さらに短縮されて世界一短い文学といわれる17字の俳句が生まれた。俳句は短いだけに「古池や蛙飛び込む水の音」と、西洋人には「古い池に娃が飛び込み水の音がしたというが、それがどうかしたのか」と理解されないのである。このように、俳旬は短文のため意味や内容が不明確で西洋人には理解できないが、日本人は言外の意味や余韻を楽しみ、情景や身上を想像し、察してさらに感動を深めるのである。すなわち、俳句や和歌は詠われない余白に価値があり、これが日本語の神髄でもある。
 言葉に対して特別の感情を持つ日本人にとり、言葉は常に意志を伝えるコミュニケーションの手段であるだけでなく、言葉は理念や願望のエネルギーが凝縮したものであり、日本人は発せられた言葉の霊の力で、発した言葉の内容の通りの状態が実現すると信じ、これを言霊と称し、「敷島の大和の国は言霊の助ける国ぞ真幸くありこそ(万葉集・柿本人磨呂)」と、日本は「言霊が助けてくれる幸せな国である」と、独自の言語に対する自負のような感情を外国人に対して持っていた。それが、昭和に進むと、国粋主義的な要素も加わり、言霊への依存がさらに深まり、昭和15年7月26日には、「皇国ノ国是ハ八紘一宇トスル嚢国ノ大精神ニ基キ、世界平和ノ確立ヲ招来スルコトヲ以テ基本トナシ、先ツ皇国ヲ核心トシ、日満支ノ強固ナル結合ヲ根幹トスル大東亜ノ新秩序ヲ建設スル」、との日本を中心とし、世界を一つの家と考える自分勝手な「八紘一宇」の言霊を盛り込んだ「基本国策要綱」が決定された。

 そして、昭和16年12月8日には「天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇昨ヲ践メル大日本天皇」から、「億兆心国家ノ総カヲ挙ゲテ征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺憾ナカラシムコトヲ期セヨ」との詔勅が発せられ、「億兆心国家ノ総カヲ挙ゲテ」太平洋戦争に突入してしまった。昭和20年4月には戦艦大和に「皇国ノ興廃ハ正ニ此ノ一挙ニア}……愈々特死奮戦敵艦隊ヲ随処ニ磯滅シ、以テ皇国無窮ノ礎ヲ確立スベシ」と、「皇国無窮ノ礎ヲ確立」するために特攻命令が発せられ、そして、大和は沈んだ。しかし、大和が沈み敗戦が確実になっても、日本のリーダーは言霊に勝利を託し、敗戦ニカ月前には「今後採ルヘキ戦争指導ノ基本大綱」を採択し徹底抗戦を決定した。しかし、この方針は次に示す通り格調は高く力強いが、何ら具体性はなく、単なる気合と、言葉に願を託のりとする言霊的文章が書かれているに過ぎない祝詞なのである。

 方針:七生尽忠ノ信念ヲ源カトシ、地ノ利、人ノ和ヲ以テ飽ク迄、戦争ヲ完遂シ以テ国体(国柄のこと)ヲ保持  シ、皇土ヲ保衛シ征戦目的ノ達成ヲ期ス。
 要領:1.速カニ皇土戦場態勢ヲ強化シ皇軍ノ主戦カヲ之ニ集中ス。
     2.世界情勢(省略)(現実とは遊離した希望的情勢や対策が記されている)。
     3.国内ニ於テハ挙国一致、皇土決戦ニ即応シ得ル如ク国民戦争ノ本質ニ徹底スル諸般ノ態勢ヲ        整備ス。

 しかし、戦争に負けると敗戦を「終戦」と言い換えて敗北感を薄め、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われわれは、平和を維持し専制と隷従を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めようと思う」と、勝手に「平和を愛する諸国民の公正と信義」を信じて武器を放棄してしまった。そして、「平和憲法の擁護」、「平和憲法を守れ」と連呼し、「世界人類が平和でありますように」との看板を立てれば、言霊の力により平和が実現すると
夢想して今日に至っている。そして、さらに、国際性が欠如している日本人は、外国人も言霊を信仰していると考えているのであろうか。それとも、「世界人類」は皆んな日本人と同じメンタリティを持っているとの国際性の欠如からか、ご丁寧にも英語で、May Peace Prevail on Earthとも書いた柱を日本国中に立てまくっているのである。

言挙と日本外交

 気心の知れた小集団の「ムラ」社会では、言葉を発しなくとも察し合い理解し得る社会のため、相手の感情を傷つけたり、相手が不快を感じる言葉を発することを控え、聞く方も言外の雰囲気や会話がなされた雰囲気などから、相手の本音を理解し応じるのが美徳と考えられてきた。このため、要望などを否定する場合でも「前向きに検討する」とか、「善処する」と肯定的否定の表現を用いるのである。このように日本は、「秋津島大和の国は神柄と言挙せぬ国(万葉集・作者不詳)」と、「言挙げ(言葉に出して論じ争うこと)」をしない平穏な国であるとし、「言挙げせぬ国」という言葉は日本を称える美称となった。しかし、このように「言挙げ」しないことが国際化を迎えた現在、どれだけ国益を損なっているであろうか。中国人や韓国人は雄弁であり論理的で、論争は強烈である。その例を台湾の分離独立を主張する李登輝に対する中国の「文攻武嚇」に求めれば、中国は台湾近海でミサイル発射や上陸演習を行うなどの威嚇的軍事演習を繰り返す一方、メディァを総動員して激しい非難を李登輝や分離独立派に加えたが、その非難は「李登輝は千古の罪人である」、「李登輝を歴史のゴミために掃き捨てることが、海峡両岸の中国人の歴史的責任である」などと口汚くののしるもので、李登輝総統は日本の記者に、これまで私は12回も中国の論文で批判されたが、日本ではこれに耐え得る首相はいないのではないですか」と語るほど強烈なものであった。

 この強烈な論争は政仏7石や外交上ばかりでなく、中国人や韓国人が夫婦喧嘩をする場合にもみられるもので、中国人や韓国人は声を出し大勢の人に自分の言い分を聞かせ、どちらの言い分が正しいかを判断して貰うため戸外で行うという。一方、「言挙げ」することを嫌う日本人は、中国や韓国から南京事件や従軍慰安婦問題などで非難されると、論争を避け何とか穏便に済ませようと反論を控え、相手が日本人と同じように過去を「水に流してくれる」ものと考え、唯々頭を下げ謝罪し反省し「言挙げ」せずに通してきた。そして、この結果、いつの問にか、南京では50万人を虐殺し、実在しなかった「従軍慰安婦」が創設されてしまった。
また、日本人は言霊が空気中に宿っていると考え、「気」、すなわち、その場の雰囲気の影響を敏感に受けている。日本語に多い「気が合わない」;凧に障るL「気に入らない」「気のおけない」などを列挙するまでもなく、日本人が空気(ムード)に大きく影響されていることが理解できるであろう。すなわち、日本では空気が絶対的な支配力を持ち、それに抵抗するものを異端として社会から葬り去ってしまうのである。そして、この空気や言霊の支配を受けた日本人は、言葉の持つ漢然とした気分、ムードに酔い流され、日本では現実から全く遊離した言葉だけが独り歩きをし、戦前は新聞に「外交転機に立つ米英仏依存外交は失敗(報知新聞)」、「大転換必至の帝国外交(朝日新聞)」と書きたて、「バスに乗り遅れるな」と日独伊三国軍事同盟を締結して世界から孤立してしまった。しかし、戦争に負けると、今度は「平和」「文化」「民主」や「自由」という言霊を信仰し、「安保反対」「改憲反対」「平和憲法を守れ」と唱え、ムードに流されて一目散に走りだすのである。また、日本人は狭いムラ社会に住んでいるため、常に他人の評価が頭から離れず、「他人が自分をどう判断するか」「他国が日本をどう評価するか」と他人の批判に気を配り、他人の評価によって正否・善悪を決めるのである。そして、この外国の評価を過度に意識する国民性が外国の宣伝戦に乗じられ、思うままに引き込まれ、引きずられて日本を太平洋戦争へと進ましてしまったのであった。

言葉狩りと日本人

 西欧には「魔女狩り」があったが今はない。しかし、日本には未だに「言葉狩り」が生きており、この「言葉狩り」のために国防という国家の基本問題の議論が戦後50年にわたって回避されてきた。すなわち、日本人は常に言葉によって、災いが起こったり、運命が変わると考える言霊信仰から、言葉には良い結果を呼ぶ言葉と、悪い結果を呼ぶい不吉な言翼があるとし、戦争中には「敵性語」として英語が追放されて、ストライクが「良い球」、ボールが「悪い球」となった。しかし、戦争に負けると「平和」「文化」「自由」などが良い言葉とされ、「義務」「愛国心」「犠牲心」などの言葉が封建的であるとか、民主的でない、軍国主義の復活に連なるなどと悪い言葉として、追放し死語にしてしまった。そして、さらに戦争に懲り平和を願う日本人は、「戦争」「軍隊」「軍人」などを不吉な言葉とし、国の防衛に当たる「軍隊」を「自衛隊」、「戦車」を「特車」、「砲兵」を「特科」と言い換えて、これにより日本から軍事力が消え、大佐を一佐、少将を将補などと言い換えれば、軍人が消せると考えたのであった。しかし、なぜ日本人はこのように言葉を極端に問題視するのであろうか、それは悪い言葉を追放することによって、その言葉によって表現される敵や悪が退治でき、消滅すると考えているからである。

 一方、不思議なのがシビリアン・コントロールという自衛隊発足とともに生まれた国籍不明・意味不明の言葉である。この外来語は政治も軍事もよく分からないマッカーサー司令部か保安庁の通訳かが、シビリアン・コントロールを「文氏統制」と誤訳したために、外国語のCivilian Controlとは全く異なる「官僚のための官僚による制服の統制」として根付き、日本では制服さえ着ていなければ誰でも軍事にクチバシを入れられるとして定着してしまった。そして、この結果、進歩的文化人や新聞などによる制服自衛官の一挙一動を統制するシビリアン・コントロールが半世紀にわたって続いてきた。西欧では魔女狩りは消えたが、日本では二十世紀を迎えても、いまだに「言葉狩り」が生き永らえ言霊の支配が続いているのである。

おわりに

 土地に縛られ移動が難しい稲作民族にとり、意見の不一致はムラ社会の崩壊であり、協調性を過度に重んじたため、含蓄の多い暖昧模糊とした日本語を利用して反対や賛成を不明確にする必要がある。この暖昧さこそ歴史に育てられた国民性であるが、この暖昧模糊とした玉虫色の表現による妥協が、日本に悲惨な敗戦と破壊の不幸をもたらしたのでもあった。次は昭和16年11月16日に裁決された「対米英蘭蒋戦争終結促進ニ関スル腹案」であるが、攻勢作戦を主張する海軍と長期自給作戦を主張する陸軍と、全く異なった作戦構想を主張して譲らなかった両軍を、「帝国ハ迅速ナル武力戦ヲ遂行シ、東亜及西太平洋ニ於ケル米英蘭ノ根拠ヲ覆滅シ、戦略上優位ノ態勢ヲ確立スルト共ニ、重要資源地域ニ主要交通線ヲ確保シテ長期持久自足ノ態勢ヲ整フ、凡有手段ヲ尽シテ適時米海軍主カヲ誘致シ之ヲ撃滅スルニ努ム(実線は陸軍が、点線は海軍が主張し実施した)Lと、」の異なる主張を「共ニ」と並記することで妥協し、、日本を戦争に導いてしまった太平洋戦争に対する日本陸海軍の戦争指導方針であった。そして、戦争がはじまると日本軍は言霊を信じて勇壮な気合の入った美辞麗句の報告電報を発して善戦もしたが、前線からの美辞麗旬を連ねた言霊電報が上級司令部の誤判断を生み、また上級司令部からの気合の入った願望を言葉に託す不明確な言霊的指示や命令が前線の兵士に非合理的な戦いを強いたのであった。そして日本は言霊の呪縛により敗れたのであった。

 現在、政界では政党の再編成が進行中であるが、この再編成を左右する一つが日米安保条約に如何に対応するかである。この問題は政党の基本倭勢を明確にするものだけに、また言霊が通じないアメリカが絡むだけに難しい。新聞によれば民主党が結党以来掲げてきた「常時駐留なき安保」という表現がアメリカに即時撤退を求めているとの誤解を与えるとして一時は削除する方向にあった。しかし、社民党出身議員らの反発を受けて再び盛り込むことになったが、これでは米国の誤解は解けない。そこで「常時駐留なき安保」を「コンデショナル・ステイショニング(条件付き駐留)」と英訳し、「国内向けと米国向けに使い分け」ることで両派と妥協したという。一方、自社さ3党の連立政権も「日米防衛協力のための指針」の見直し作業を行っているが、どのような指針ができるのであろうか。多分、これら3党は国家の安全よりも政権維持を優先させ、お得意のレトリック(修就学)や訓詰学を駆使し、日本語の暖昧模糊とした単語を適当に並べて糊塗し妥協するのではないであろうか。かつて日本陸海軍が「対米英蘭蒋戦争終結促進ニ関スル腹案」に両論を併記し、日本を破滅の戦争に導いたように。