水交会第六代会長・木山正義様を偲ぶ
陰徳の人―木山さん
木山正義様と私との関係は、妻の伯父の佐藤勇が機関学校同期で、その叔父が岡田資中将と同じく無実の罪で横浜のBC級戦犯として処刑されたことにはじまる。木山さん(以後、海軍式に「さん」とする)は伯父に米軍の心証を害するような発言を慎めと何回も忠告したが、伯父は「俺が殺されなければ誰かに言いがかりを付けて裁判にかけるだろう。戦争裁判は勝者の首狩り祭りだ。誰かの首を備えなければ終わらない」と最後まで応じなかった。木山さんは「佐藤が正直に馬鹿なことを言ったから、惜しい奴を失った」と常々話されていたが、木山さんは残された遺族を精神的だけでなく、財政的にも長期にわたり支えたのである。叔母からは何時も「木山さんが、また送ってくれた」と暖かい援助を与えて下さったことを聞かされたが、病院で木山さんのご家族にこのことでお礼を申し上げると、「佐藤さんのお話は、良く聞きましたが、父がそのようなことをしていたとは聞いたことはありません」と言われた。また、木山さんのお話を聞くうちに、イカロス社の雑誌『J-Ships』に「サイレント・ネービー、黙して語らない。そんな海軍の美学」を伝えたいと、「魂のサイレント・ネービー」の特集を始めることになった。そして、木山さんにインタビューをし、「このように掲載します。写真が主となる雑誌なので写真撮影をお願いします」と雑誌を見せたら、「こんなに大きな写真を掲載する雑誌ならば、インタビューなど受けなかった。私は人前に出るのは、出しゃばるのは嫌いだ。写真は絶対駄目だ」と頑として応じてくれない。ここで折れては連載に穴が開く、そこで「座談中の写真ならよいでしょう」と許可を取ろうとしたら、「一人では駄目だ」ということになり、通常は四、五枚掲載されるのにたった一枚、しかも黒子のインタビューアーの私まで掲載されてしまったのがこの写真である。木山さんは最後まで学生時代の第一分隊幹事・斉藤元固少佐(海機二四期)の教え「名利を求むることなかれ。使命を尽くせ。使命に死せ」を守った陰徳の人であった。
市来会と木山さんの遺言
このような叔父と木山さんの関係、私が戦史を研究してきた関係で、歴史が時を経るに従い実情を知らない戦後の戦史研究家や作家に歪曲されることを憂慮し、私に「当時の体験を研究者の人に知って貰いたい。若い人を集めてくれ」と言われ、三年前から学士会館で昼食をご馳走になりながら、上海事件や南京攻略作戦の体験、燃料の問題(開戦と石油備蓄量、人造石油、松根油)、海軍の教育や人事制度、海軍と皇室の関係などを伺ってきた。この会合がもとで市来俊男氏(兵六七期)を座長とした「市来会」へと発展したのである。
6月14日(平成20年)に市来さんから木山さんの面会が限られた人に許されたとの知らせを受けて、広尾の日赤救急センターに駆けつけた。亡くなられる一週間前であった。ベットを傾けて座っておられたが意識も言葉も明瞭で、私の顔を見ると付き添いの家族に「あれを渡してくれ」と色紙を渡された。この色紙は機関学校在学中に五・一五事件があり、社会主義に同調するところがあったのか「アカ」と睨まれ、卒業すると上海から揚子江を3000キロも遡った奥地の四川省宜昌に在伯中の河川砲艦「保津」に飛ばされてしまった時に詠んだ漢詩「長江悠々と流れる」が書かれていた。それまでに何回も聞かされた漢詩であったが、なぜ、この失意の時に詠んだ漢詩を遺品として用意したのか。その理由は私には判らないが、「失意の中でも国家に最善を尽くせ」との教えであったと受け止めて戴いた。事実、木山さんは機関科将校であるにもかかわらず、陸戦隊長として南京攻略作戦では揚子江に張り巡らされた防雷網を撤去する航路啓開作戦に3回も従事し、沈座座礁した中国の巡洋艦「寧海」を捕獲したりの活躍が認められ、戦場にあること僅か一ヶ月に満たなかったが、金鵄勲章を授与されている。
木山さんの次ぎに出た言葉は「平間君、日本はどうなる。国家戦略の基本は外交、軍事、政治で決まるが、現在の日本は軍事を全く無視している。これでは国家戦略が立たず、このままで中国に呑み込まれてしまう」。「平間君、頼むよ」ということであった。木山さんのいつものセリフなので、いつもの通り「木山さん、私に言ったって無理ですよ」と応えようと思った。しかし、あまりにも真剣な顔つきであり、これが最後の会話となるかもしれないと考え、補聴器も付けていなかったので、傍らのメモ用紙に思わず「はい、判りました。頑張ります。ご安心して下さい」と書いてしまった。
水交会の代表者の方には海軍の伝統の継承、英霊の慰霊顕彰や海上自衛隊への支援などを言われたのに、どう考えても私が一番難しい依頼を受けてしまったように思う。この木山さんのご遺志を実現する一つが、正しい真実の歴史を多くの人に伝えて行くことではないか。木山さんを囲んで始めた木山会の活動を継続することが、木山さんのご遺志を実現する私に出来る一手段と考え、市来会を今後とも続けて行きたいと考えている。「木山さん、判りました。頑張ります」ので安らかにお眠り下さい。(市来会代表世話役)