はじめにー「食は文化なり」
                                                                           平間洋一

 世界の国々には風土や歴史に育まれたフランス料理やドイツ料理、イタリア料理、東洋では中華料理やインド料理など、料理は風土や歴史、伝統から生まれ「食は文化なり」と言われ、それぞれの民族や国家の文化や伝統を象徴しているが、日本料理だけはいかなる国の料理とも異なっているように思う。日本料理は日本人が漢字から平かな、カタカナを造り出したように、あらゆる国の料理を取り入れ日本化したからである。日本人は米食へのこだわりが強い食習慣の中で、中国から「めん」が伝来するとそれを吸収同化し、「そうめん」、「ひやむぎ」、「うどん」、「そば」、最後にはインスタントラーメンなど、日本古来の味噌と醤油で造り出してしまう民族である。

 一方、西欧からパンが伝えられると、パンを西洋の主食から切り離し「おやつ」として明治7年には饅頭の西洋版ともいえる「あんパン」を、明治33年には「ジャムパン」、明治37年には「クリームパン」、昭和二年には「カレーパン」、さらには「あんドーナツ」を誕生させ、日本ほど多様なパンを作り出し販売している国はない。さらに日本人は西洋料理の「カッレツ」を小麦粉・卵黄・パン粉で包み、和洋折衷の「とんかつ」を作り、さらに「かつ丼」、「串かつ」、「コロッケ」、「魚フライ」など、日本独特の料理を次々に造り出し、世界にもまれな多種多彩な料理文化の花を咲かせている。

 この流れの中で陸海軍はどのような役割を果たしたのであろうか。明治維新を迎え急速に近代国家を建設し、欧米列強と対等な立場に立つためには食の明治維新も必要であった。明治天皇や政府は積極的に肉食を奨励したが、1200年におよぶ肉食禁忌の思想を打ち破ることはなかなかできなかった。この食の明治維新の先頭に立ったのが海軍であった。海軍には脚気問題という大きな問題もあったが、さらに海軍には外国基準の兵器や艦艇を運用しなければならず、西洋人と同等の身長や体力の必要性を実感していた。それが海軍が栄養学や食品学の進歩に貢献し、滋養豊かな和洋折衷の洋食という新しい食文化を切り開かせた主力選手とさせたのである。また、海軍は志願兵や徴兵された多数の兵士を通じて、洋食という日本独特の西洋料理を全国に普及させ、国民食とするうえにも大きく貢献した。帝国海軍は八八年で幕を閉じたが、帝国海軍が研究し開発した海軍グルメは戦後に花咲いた。最も利用されているのが真空乾燥法であり、この技術は初代南極観測船「宗谷」などに搭載され、現在では各種の冷凍食品、さらにはインスタントラーメンに代表されるインスタント商品を生んだ。また、横須賀の「海軍カレー」や呉の「海軍さんのコーヒー」、舞鶴の「肉じゃが」など町おこしにも利用されているが、海軍料理は今話題のB級グルメに溢れており、本書で紹介される海軍グルメが母港の活性化に連なるならば、「艦(ふね)の士気の根源は食事」と調理に精魂を傾けてきた冷たい海底に眠る「メシ焚き」と言われ、光の当たることのなかった主計科関係者の霊も慰められるのではないか。