海軍とユーモア精神
ユーモア戦前編―旧海軍
海軍では練習艦隊の遠洋航海が終わると候補生に「次室士官心得」が渡されたが、その中に「ユーモアは一服の清涼剤」との文章があり、海軍では「ユーモアを解かせざるものは海軍士官の資格なし」とまで言われていた。これは男ばかりが長期間の海上生活を強いられ、狭い緊張した閉鎖空間に住む船乗りのストレス解消法として生まれた智恵かもしれないが、海軍の例を二―三紹介すると次のようなものがあった。
予備士官の採用試験で英語が堪能で、海軍としても採用したい好青年が志願してきた。しかし、いかんせん、小柄であった。身体試験の最初は身長と体重測定、体重は五二キロ以上ないと不合格、しかし、この好青年は体重不足、試験官は「もう一度体重計に乗りなさい」と何回乗せても体重計の目盛りは規定以下、たまりかねた試験官が「ドーンと乗れ!」と指示、すると針がピーンとふれて基準値を超えた。試験官は大声で「よーし、合格!」と叫んだという。また、技術系の士官の採用試験では、「蟻の歩くスピードは何ノットか?」と聞かれた。この場合、正確に計算して何ノットと答えては落第。「世界には約四千種類の蟻がいますが、どの蟻のスピードをお答えしましょうか」と答えたら合格させたとの話しも聞いた。
また、作家の阿川弘之大尉はある講演会で、海軍のユーモアについて次のような話をしている。
「まことに変な話ですけど、日本人のつくった社会で、ユーモアというものを大事にせよと、口をすっぱくして言った組織が一つだけあります。それは五八年前に滅んでしまった帝国海軍です。海軍ではユーモアのセンスを解せざる者は、海軍士官の資格なしといって、非常に、そのことを強調しました。航海中は訓練に次ぐ猛訓練で候補生を鍛え上げるわけですけれども、中尉クラスの指導官付というのが一番怖い。鬼の鈴木というのがいて、鍛えに鍛えていたんですが、ヨーロッパ遠航が終わり、日本が近づくと急に態度が変わりにこにこし出したんです。鬼の鈴木中尉は帰国して間もなく大尉に進級して、東京にいるフィアンセと結婚するんですが、4か月ぶりのフィアンセとの再会というので、「八雲 鈴木中尉 何月何日何時何分ごろ横須賀入港の予定」という電報を打つわけです。それをもらった東京のお嬢さんは、海軍に縁のない家庭のお嬢さんだから、民間電報を海軍士官に送ると、どう扱われるか知らないで、信書の秘密を保って通るものと思っているから、「まあうれしい 花子」と書いて出したわけです。
横須賀郵便局から横須賀港務部という海軍の施設に一括して配達された電報を、公務部が一通一通チェックし、緊急を要すると思うのは手旗信号で、あるいは夜なら発光信号で、その船に送ってやるんです。非常に気をきかしたのがいて、「まあうれしい 花子」というのも送ってやれよということになったんですね。戦艦山城を呼んで、「八雲鈴木中尉あて民間電報あり、中継頼む」という信号を発信、「了解 送れ」というので、「本文、まあうれしい 花子 終わり」(笑)。山城からも直接見えないんで、もう1隻巡洋艦というのがある。「了解 送れ」「本文、まあうれしい 花子 終わり」。これ、三段跳びで届くわけです(笑)。
笑ってらっしゃるけど、公務ですから、全部、当直日誌に書いてあるわけです(笑)。当直将校が午後点検に回ってくると、「何じゃ、こりゃ」。それで怒られたかというと、みんな喜ぶんだそうですね。それから鈴木中尉は大尉になっても半年ぐらい、会うたびに「まあうれしいが来た」とやられたものだそうです。
しかし、昭和の海上自衛隊となると発光信号は無線電信、それも国際電信で私が知っているだけでも英語、フランス語やスペイン語、しかも「愛している武雄、ポーツマスで待つ」とか、「キールに行くとか」、練習艦隊を国を跨いで追いかけてくる来る女性もいた。このため国際結婚も多い。写真はエクアドル人ノルマ嬢と結婚し、生まれた長男にエクアドル海軍に入り、エクアドルと日本の架け橋になれと東郷元帥の名を頂き、ザビエル・平八郎・川辺と命名した元「あるさめ」乗組員川辺末雄氏と妹のマリアさんと田辺元起練習艦隊司令官。
また、ユーモアに関する旧海軍最高の傑作電報は、奥さんに「青島を出港した佐世保に来い」を、電文を短縮し電報代を節約しようと「チンタッタ、サセニコイ」ではないであろうか。このほか点検や教場では後ろがよいが、休暇は突発事態で中止されることがあるので前期にとれの「整列は後列、休暇は前期」や、トイレット・マナーの「一歩前進、捧げ銃、帽振れ」などが有名である。
ユーモア戦後編―海上自衛隊
洋上の挨拶(一)
洋上で護衛艦同士がすれ違うときは、後任者から先任者にラッパを使って「気をつけ!敬礼!」と敬意を表する礼式が定められているのだが、それだけでは愛想がないので「お早うございます」などと発光信号で挨拶を送るのが慣例となっている。しかし、この挨拶が難しい。「お早う御座います」の挨拶だけなら誰でもできるので、心打つ一言つけ加えるのが海軍のしきたりであったが、旧海軍出身者の中には「艦橋の 眼鏡に写る 都井岬 若齣の歩む見ゆ(南部伸清・兵六一期)」で、宮中の歌会に選考された人もいたくらいだから短歌などが送られて来るので、戦後派にはさらに難しい。
しかし、戦後派も負けてはいない。私がちとせ艦長の時に、上司の第四護衛隊群司令と洋上で会合した時に、「艦橋の 眼鏡に写る 群司令 威信とご慈愛 溢るる見ゆ」との和歌を送ったが、これで勤務評定Aは間違えないと思ったが、その後の人生を顧みるとあまり効果はなかったようだ。この和歌の交換は送る方よりも送られてきた方が難しい。このような挨拶を交わす場合は反航態勢の場合が多いので時間的に余裕がないからである。昭和三八年のヨーロッパ遠航時は副官であったが、司令官から「お前も一緒に作れ」といわれ、お見せすると「この部分を貰うぞ」などと言われ、多少はお手伝いしたが、今でも海上自衛隊の名誉を守れたと思っているのが、日本郵船長から和歌に対する返歌である。
日本郵船船長から
外(と)つ国の 青海原で 巡り会う 同胞(はらから)乗りし 船懐かしき
練習艦隊司令官返歌
たらちねの 母なる国を 後にして われ遣いせん 遠き外つ国
また、私が艦長や司令時代に送ったユーモアがある狂歌を紹介すると次のようなものがある。
◎佐世保沖で出会った元大湊の同僚が指揮する輸送艦「みうら」艦長宛
最(さい)果(は)ての ひなびた里で 会いし君 今は佐世保の 夜の帝王
◎大湊所属の駆潜艇が舞鶴で修理を終え大湊に帰るときに送った歌
雪深き 妻子待ちなむ 下北へ 飛んで帰れや 春を背負いて
◎群訓練を終え洋上で解散し、母港の大湊に帰る時
ガタガタと 四群内を かき回す 下北の猿 また帰り来ん
この信号は「下北の猿」とはなにかと乗員には不興を買ったが、自動車も少なく信号機もあまりなく、道の真ん中を歩き慣れている大湊の隊員は、横須賀に入港すると必ず自動車に跳ねられ、何時も横須賀地区病院にお世話になっていた。また大湊では雪道で転倒するため制服に長靴が許可されているので横須賀でも長靴で上陸し、「制服に長靴は服装規定違反だ」と注意され、下北の「田舎者」がと笑われていたのだから。しかし、やはり、この信号は出すべきではなかった。
◎江田島時代の教官が指揮する隊との戦技で勝った時
かって我 教えを受けし 教官を 葬り去りて 心乱れる
成長したと喜んだか、この野郎と怒ったかは不明
洋上の挨拶(二)
洋上で陣形運動訓練が行われているときに、旗艦を先頭にした単列から、左斜め四十五度方向に並ぶ方位列陣形を作る命令が下令されると、後方の艦は速力を上げて左前方に進出し、タイミングを見計らって速力を下げ、航走中の旗艦の斜め四十五度後方の位置につくよう艦を動かすが、ある艦が減速のタイミングを誤り旗艦の左斜め後方どころか、前方に飛び出し旗艦の左正横にまで出てきてしまった。
こういうときには、司令から「繰艦者名しらせ」などとお叱りの信号が出るのだが、それより早く出過ぎた艦から発光信号が点滅し、「おはようございます」との信号が入った。司令は怒ろうとしていたが先を越され、ニヤリと笑っただけで「『おはよう』と返事をしておけ」と指示しただけで、「繰艦者名しらせ」は出なかった。しかし、どうしたことか、同じ艦がまったく同様のミスをし再び左正横にまで出てきてしまった。こんどこそ、お叱りが出るだろうと皆が思ったその時、司令から出た言葉は「何度も挨拶に来るに及ばす」であった。
海上自衛隊発足当初は、訓練海面などは厳格に定められておらず、周囲に他の船がいなければ実爆雷の投下訓練も好きな海面で実施できた。魚の居そうな海面に爆雷を投下すると、爆発の衝撃で大量の魚が海面に腹を見せて浮き上がって来る。ボートを降ろして魚を拾い上げ食卓に供するのだが。訓練中でありおおっぴらには拾えない。
司令護衛艦が遠くに離れていたので見つからないと思って内火艇を卸して漁業に励んでいると、司令から「何をしている?」と聞いてきた。艦長はとっさに「われ溺者救助訓練中」と機転を効かせたが、司令からの信号は「生きのいい溺者を当方にも送れ」であった。司令はお見通しだったのだ。
駐仏日本大使も賞賛した私の迷通訳
昭和三八年にドイツ首相アデアウアーが来日し、池田勇人総理にドイツが練習艦エムデンを訪日させるので、日本からも艦艇を派遣できないかとの申し出を受け、急遽豪州遠航がヨーロッパに変えられた。そして、大阪外国語大学でフランス語を研究中の私に、一月で教務を打ち切り練習艦隊に着任せよとの命令を受け、フランス語担当としてヨーロッパ遠航に参加することになった。最初に能力を試されたのはツーロン軍港で、県知事主催の歓迎会で知事の歓迎の辞を通訳することであった。しかし、悲しいかな知事が何を言っているのかさっぱり分からない。頭の中は真っ白となったが腹を決めた。そして「知事は日仏関係の深さを話されているようだが、私には訳す力がない。しかし、知事のお話が終わったらみんな大きな拍手をしろ。パーティではカクテルは強いのがあるので、三杯以上飲むな。酔っぱらって見苦しい行為を行っている者を見つけたら、地下に警務官がジープで待っているから、当直候補生は目立ないように連れて行け。この通訳が終わったら盛大な拍手をせよ」と翻訳(?)した。
盛大な候補生の拍手が止むと、駐仏大使が私の所に寄ってきて、「外交官を四〇年近くやっていますが、今日のような名訳を聞いたことはない。素晴らしい通訳でした」と褒められた。
トイレットペーパーの話
統合幕僚学校の教官時代にヨーロッパにおける統合教育の視察を命じられ、帰国後に統合幕僚部の大会議室で陸海空幕僚部や内局などの関係者に帰国報告を行ったが、報告の終わりに、訪問した諸国の統合運用や教育は、それぞれの民族性を反映しておりました。各国の国民性文化的特徴をトイレットペーパーと国民性の視点から申し上げますと、大判のポスター用紙に三〇種類の各国の統合幕僚学校のトイレ、フランスはベルサイユ宮殿とモンマルトルの丘の公衆便所からタベルニーの地下の防空司令部、イギリスはバッキンガム宮殿前のトイレや高級ホテルからピカデリーサーカスの公衆トイレ、ドイツはヒトラーが大演説を行ったミュンヘンのビヤホール・ホープブロイ、さらにクーリエとしてロシアからスエーデンに来た駐在武官から「ロシアの田舎は新聞だよ」と聞き、プラウダをそれらしく切って貼り付けた。そして、フランスは自由平等の本家と思われておりますが、場所によりトイレットペーパを見る限り人種的に差別があります。また、フランスの防空司令部の機能はトイレの数から判断すると余り大きくはありません。英国は節約家、ケチというかトイレットペーパが小さく使用上技術を要しますが、ドイツに比べると洗礼されております。ドイツは本当に機能本位で色彩などに対する配慮は全くありません。ロシアは経済的には未だのようで農村では新聞紙だそうです。これが日本のトイレットペーパーで大きく厚く二重、中には香のシミこかせたのもあり日本人の繊細さが見えます。しかし、費用対効果と言う観点からいかがな者でしょうか。なお、この英単語が書かれているのはわが家のペーパーですと報告したものだから、以後、トイレットペーパー報告だけが評価され肝心な本編は上手に出来たのに注目されなかったのは残念だった。
また、トイレットペーパーで思い出すのが遠洋航海である。食料などは日数による搭載量が直ちに算出できるが、初期の遠洋航海ではトイレットペーパが大きな問題であった。スペースが限られる戦後の護衛艦では容積が大きいため至る所にトイレットペーパーが積み上げられるからである。一人一日何メートル使うのかから始まり乗員数に航海日数を掛け合わせて搭載量を算出するのだが、目的外使用も以外と多くなかなか数量が算出できず、初期の遠航部隊では弾薬の一部を陸揚げし、ビールとともに弾火薬庫などにも積み込んだように思う。
オーチャン・マインド
一九八一年の練習艦隊司令官の田辺元起海将が、「セサ(先任幕僚)、今回の遠航の指導方針として、実習幹部におおらかな海のロマンを体験させたい。『オーシャン・マインド(Ocean
mind)』というのを指導方針にしよう」と言われた。そこで直ぐに調子に乗るセサは、赤道祭では護衛艦を赤道一〇〇メートル前に停止させ、各艦の後甲板でゴルフクラブを振らせ、一〇〇メートル以上飛ばした者には「貴官は北半球から南半球まで赤道を超える超長打をしたことを認定する。XX艦長」と証明書を出すことと、実習幹部に自分の乗っている護衛艦をカッターで曳航して赤道を通過させることを考えた。カッターで曳航できるはずはなく風に流され、あるいは密かに機械を廻した艦もあったが、いずれの艦からも発光信号で「われ赤道通過一二〇五」などと、もっともらしい報告があり全艦赤道をカッターに曳航されて通過した。実習幹部の所見には「得難い思い出となった」と、「馬鹿みたいなことをする」とがあったが、後者は漕がされた者に多かったように思う。
一方、海外にも知られた海上自衛隊のユーモアとしては、二〇〇七年七月四日のアメリカ独立記念日を祝う洋上式典に参加した練習艦隊のエピソードがある。この式典に世界各国から艦艇七〇隻がニューヨーク港に集結し、翌五日には英国の豪華客船クイーンエリザベス号が入港してきたのだが、折悪しくも二ノット半の急流となっていたハドソン河の流れに押された巨大な客船は、あれよあれよと言う間もなく、係留中の「かしま」の船首部分に接触してしまったのである。着岸した「QE」からすぐさま、船長のメッセージを携えた機関長と一等航海士が謝罪にやってきた。相手の詫び言に対応した「かしま」艦長はこう答えた。
「幸い損傷も軽かったし、別段気にしておりません。それよりも女王陛下にキスされて光栄に思っております」
これが大評判になり、ニューヨークだけでなく、ロンドンにも伝わって「タイムズ」や「イブニング・スタンダード」も、日本のネイバル・オフィサーのユーモアのセンスを高く評価したと聞いている。このようにユーモア精神は今でも海上自衛隊に引き継がれているのである。
「おまけ」:陸海空自衛隊の性格を揶揄したこと8文字熟語
「陸上自衛隊 : 用意周到 動脈硬化」
「海上自衛隊 : 伝統墨守 唯我独尊」
「航空自衛隊 : 勇猛果敢 支離滅裂」